kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

広河隆一の件に見る「個人崇拝の行き着く先」と指導者の暴走を縛る仕組みの必要性

 河添誠氏のツイートより。

 

 広河隆一の一件は、どんなに高邁な理念を掲げる者でも自身の弱さを抱えているのが普通で、いかにそれに心酔する者であっても「権力者の暴走」(雑誌編集長は編集部員に対する権力者以外の何者でもない)を縛る仕組みが必要であることを示している。さしあたっては労働組合がそれに当たる。

 崇拝する指導者への隷従、あるいは政党の執行部への隷従などがどんな結果をもたらすか。広河の一件はその典型的な悪例だと思う。

 立憲主義は保守思想が生み出した最良の果実だと思うが*1、左翼政党の党内にも執行部の暴走を縛る仕組みが必要だろう。議会では立憲主義、党内では民主集中制などというのは、執行部にとってのみ都合の良い二重構造だ。

 一般のリベラル・左派たちも、個人崇拝の悪弊をいい加減に思い知るべきだ。

*1:但し自民党は国会議員たちが平然と「立憲主義とは耳慣れない言葉だ」と言い放つ政党だし、立憲民主党では党の名前に反して枝野幸男への個人崇拝がまかり通っていることを指摘しておかなければならない。