kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「アップダウンクイズ」司会者の小池清氏が死去

http://mainichi.jp/select/news/20120430k0000m040035000c.html

訃報:小池清さん80歳=元毎日放送アナウンサー


 毎日放送の視聴者参加クイズ番組「アップダウンクイズ」(1963〜85年)の名司会で知られた元毎日放送アナウンサー、小池清(こいけ・きよし)さんが28日、肺炎のため死去した。80歳。葬儀は関係者のみで行う。喪主は長男祐士(ゆうし)さん。

 東京都出身。54年、毎日放送の前身の新日本放送入社。「ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、夢のハワイへ行きましょう」の冒頭あいさつが流行語になったアップダウンクイズに83年まで出演し、日曜夜7時のお茶の間に親しまれた。関西で初めて、地域密着のニュースをじっくり放送しようと76年に始まった「MBSナウ」の初代キャスターも務めた。

毎日新聞 2012年04月29日 19時33分(最終更新 04月29日 19時59分)

昨年、こんな記事を書いていた。
児玉清と小池清 - kojitakenの日記

大阪の朝日放送が制作している老舗のクイズ番組「パネルクイズ・アタック25」の司会で有名な俳優の児玉清が死去した。享年77。

(中略)

アタック25」は、番組開始当初から知っている。なぜか日曜日のクイズ番組というと在阪局、というイメージがあり、私が子供の頃には、毎週日曜日の夜に、毎日放送制作の「アップダウンクイズ」を見ていたものだ。

(中略)

で、「こ○○きよし」つながりで思い出したのが、最初に書いた「アップダウンクイズ」の司会者・小池清だったというわけである。「アップダウンクイズ」も長寿番組で有名だったし、司会の小池清は最後の頃にはおじいちゃんになったなあと思っていたのだが、毎日放送のアナウンサーだった小池清が番組の司会を退いたのが1983年、まだ52歳の時だった。小池の退任後、司会は西郷輝彦に代わったのだが、その2年後に番組は終了した。番組の寿命は22年だった。

アタック25」はもう36年もやっている。37年目にして司会者がこの世を去った。驚いたのは、児玉清は今も健在の小池清より2歳若いだけだということだ。小池清は1931年8月10日生まれで、児玉清は1933年12月26日生まれ(戸籍上は1934年1月1日生まれ)。77歳まで現役を務め上げた児玉清には感服するばかりだ。

児玉清死去から早いものでもうすぐ1年。引き合いに出した小池清も亡くなってしまった。リンクを張った毎日新聞記事には「アップダウンクイズ」の画像が張られているが、小池氏の隣に写っているのは毎日放送アナウンサーの佐々木美絵毎日放送はテレビのほかラジオもやっていて、毎週木曜夜の「MBSヤングタウン」は笑福亭鶴光角淳一毎日放送アナウンサー)、佐々木美絵の3人でやっていた。その番組で佐々木美絵は、「アップダウンクイズ」とは打って変わって、関西アクセントの言葉をしゃべっていた。角淳一も同様。

あと、アップダウンクイズで思い出されるのは、プロ野球・阪急ブレーブス加藤秀司(のち英司と改名)が出演して1問も答えられなかったこと。これも以前書いた。
プロ野球開幕記念・元阪急「アホの加藤」の野次 - kojitakenの日記

「アホの加藤」のあだ名は、この番組出演時の不名誉に起因するのではないかとの推測は、書いた当時眉に唾をつけられたものだが、こんなTwitterがあったようだ。
http://tweetmeme.com/story/5645776941/kojitaken

http://t.co/uxn6E2r 元阪急主力打者・加藤英司氏に対する「アホ、アホ、アホの加藤」の野次。ブログ主は、加藤氏が、オフに『アップダウンクイズ』に出演し、1問も答えられなかったのが理由と推察。実は、加藤さんの同僚、代打男・高井保弘氏の本にも、それが理由と書かれている


やはりそうだったのか。だが、加藤英司は健在だけれど阪急ブレーブスは既に無く、小池清も亡くなった。

小池清は、毎日放送が1976年に放送を開始した夕方6時のローカルニュース番組『MBSナウ』の初代キャスターでもあった。こちらの方が局アナ本来の仕事といえるだろう。のち、前大阪市長平松邦夫もキャスターを務めたが、最近ではこの番組の後身である『VOICE』が橋下徹の教育基本条例を批判する特集を組んで、橋下の「怒りのTwitter」を引き出して話題になった。『VOICE』が『MBSナウ』の後番組だと知った時にも小池清を思い出したものだった。

故人のご冥福をお祈りする。