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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「本当の巨悪」岸信介と「スケールの小さな悪」安倍晋三の落差

岸と安倍ほど戦後にそぐわない政治家はいない~アタマの中は戦前のまま : 日本がアブナイ!(2015年1月13日)経由で、産経・阿比留瑠比の記事を知った。

【阿比留瑠比の極言御免】半世紀、変わらぬ国会環境の低次元 安倍首相は祖父「岸信介」を超えられるか(1/4ページ) - 産経ニュース

【阿比留瑠比の極言御免】
半世紀、変わらぬ国会環境の低次元 安倍首相は祖父「岸信介」を超えられるか

 安倍晋三首相の母方の祖父、岸信介元首相が実に面白い。昨年10月と11月に相次いで刊行された「岸信介の回想」(文芸春秋)、「岸信介証言録」(中公文庫)をひもとくと、率直な語り口から時代を超えた政治の普遍的な実相がありありと伝わってくる。

■ 安保など共通項

 第1次安倍政権のころ、多くの政治家を間近で見てきた当時の政府高官に、こう言われたことがある。

 「安倍さんと岸さんが似ているという人が多いが、岸さんは『両岸』と呼ばれるほど融通無(む)碍(げ)だった。安倍さんの真っすぐさはむしろ、『昭和の吉田松陰』といわれた父方の祖父、安倍寛(元衆院議員)の資質を受け継いでいる」

 その時はそういうものかと思ったが、両書を読んでやはり安倍首相と岸氏の考え方や目指す方向性、世界認識には共通項がかなりあると改めて実感した。

 例えば、首相が政策として最も重視するものは何かと問われた岸氏は、こう明快に答えている。

 「第一はね、いうまでもなく安全保障ですよ。(中略)それがなけりゃあ、経済の発展も、あるいは文教の振興もない」(中公)

 これと同趣旨のセリフを、小泉内閣官房副長官だったころの安倍首相から聞いたことがある。だからこそ首相は、左派系メディアの激しい批判を覚悟して集団的自衛権行使の限定容認に踏み切ったのだろう。

 岸氏は昭和35年の日米安全保障条約改定時のことを、「日本がアメリカの核戦争に巻き込まれて、戦争になるというようなわけのわからん議論が盛んだった」(文春)と振り返る。集団的自衛権論議でも似たようなデマが流布されたことを連想してしまう。

 「くだらない問題でしたが、『極東』の範囲なんていうのは、(議会対策で)苦労した格好になっているけれども、あれは愚にもつかなかったね」(中公)

 岸氏は国会での安保条約論議についてはこう語っている。一方、集団的自衛権の政府解釈見直しをめぐって安倍首相は、野党などから「立憲主義の否定だ」と責め立てられて慎重に答弁していたが、周囲にはこんな本音を漏らしていた。

 「ほとんど意味のない議論だ…」

■ 半世紀前と同じ

 半世紀以上がたとうと、問題の本質や重要性・緊急性よりも枝葉末節の形式論に拘泥しがちな国会審議のあり方は、何も変わっていないということか。

 「護憲の連中は憲法を改正するとまた戦争になり、徴兵制が敷かれ、子供や夫をまた戦場に送ることになるんだというような、訳の分からぬ宣伝をしている」(中公)

 憲法改正に関しては岸氏はこう指摘し、さらに次のように論じている。

 「国民に、憲法改正が必要であり、憲法改正をすべきである、あるいは改正せざるをえないのだという気持ちを起こさしめるような宣伝、教育をしていかなければならない」(同)

 これに対し、安倍首相は昨年12月24日の記者会見でこう強調した。

 「国民的な支持を得なければいけない。どういう条文から国民投票を行うのかどうか、またその必要性などについて、国民的な理解をまずは深める努力をしていきたい」

 そっくりだと感じた。違うのは岸氏は安保条約改定に際して衆院を解散して国民に信を問うべきだったと後悔したが、安倍首相は今回、衆院選を断行して勝った点だ。祖父を超えられるか−。(政治部編集委員

MSN産経ニュース 2015.1.8 06:07更新)


いやあ、同じ本を読んでこうまで阿比留瑠比と私で違う感想を持つのかと思った。


岸信介証言録 (中公文庫)

岸信介証言録 (中公文庫)


私は子ども時代に佐藤栄作に反感を持って以来ずっと、岸信介佐藤栄作安倍晋太郎安倍晋三という一連の長州の政治家たちが大嫌いだった。特に岸信介安倍晋三は大嫌いだ。

しかし、岸信介のスケールのでかさは格別だ。この男は「巨悪の中の巨悪」だと思う。そして、その証言録には腹が立つけれども面白さは比類ない。そのスケールといい教養といい、岸信介安倍晋三とでは全く比較にならないと改めて思ったのだった。安倍晋三の発する言葉など見たくも聞きたくもない。

たとえば、岸の証言録に出てくる下記の部分を読んで、安倍晋三と似ていると誰が思うだろうか。

−−北一輝国家社会主義に影響されたというのは、どういうところでございますか。

 それはね、東京の牛込に猶存社という結社体がありましてね。そこが北一輝なんかの巣だったわけだ。そこへ私は誰に連れていかれたのかはっきりしないが、訪ねていって北一輝に初めて会ったんです。彼は隻眼の人です。炯々とした片目で僕を睨みつけてね。こちらは大学の制服を着ていたと思うんだが、北一輝辛亥革命のあの革命服を着ていた。そしてこういうんだよ。「空中に君らの頼もしい青春の血をもって日本の歴史を書くんだ」。北一輝の『国家改造案(原理大綱)』が一つの大きな魅力でもあった。

−−北一輝私有財産の否定ということをいっていますね。

 私には、私有財産制というものを維持しようという考えはなかった。それだから、例の森戸辰男の論文に対しても、私は国体とか天皇制の維持は考えるけれども、私有財産制を現在のまま認めなければならないとは思っていなかった。私有財産の問題と国体維持の問題を分けて考えるというのは、その当時のわれわれの問題の基礎をなしていたんです。したがって、私有財産制の維持というものに対しては非常に強い疑問をもっていました。

−−そこにやはり北一輝に通じるものがあったというわけですね。これは、のちに革新官僚として岸さんが推進したいわゆる統制経済論というものにもつながっていくわけですね。

 まあ、そういうことでしょう。

−−岸さんは学生時代から相当の読書家であったわけですが、マルクス・レーニン主義とか社会主義なるものにかなり関心をお持ちだったのではないでしょうか。ちょうど学生の頃はロシア革命の時代であったわけですし、マルクス(カール・ハインリッヒ。一八一八−八三)レーニン(ウラジミール・イリーチ。一八七〇−一九二四)の本などお読みになりませんでしたか。

 われわれの先輩だが、河上肇先生(一八七九−一九四六。明治から昭和にかけてのマルクス経済学者)が教壇京都大学の上でマルクス・レーニン主義を大いに講義されていましたよ。誰もが若いときに傾倒するのだが、『資本論』は難しかったよ。一応は読みました。マルクスエンゲルス(フリードリッヒ。一八二〇−九五)の往復書簡などはとにかく読みましたよ。でもね、(これらの著作は)どうも根本的に初めから(自分と)相容れないものでしたね。ある意味からいえば、理解できない点が随分多かったと思うんですよ。

−−若い頃にマルクスの理論にぞっこん参ってしまったというケースは、よくあることですが。

 私は参らなかったな。

−−やはり北一輝の方ですか。

 うん。

−−革新官僚統制経済論というのは、例えばゴットル(フリードリッヒ・フォン。一八六八−一九五八。ドイツの経済学者。共同体経営の実践的要求に基づくその経済理論はナチス政権に利用された)などに影響されていると思うのですが。ゴットルの影響などはいかがでしょうか。

 それはあったでしょうね。ゴットルは私も読みましたよ。理論的にはある程度研究しました。われわれは統制経済論によって何か社会革命を行おうというのではなくて、現実の政治的な必要からこれを用いたように思うんです。

(原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫,2014)442-445頁)


マルクスも読んだが、それよりも北一輝を選び取ったという岸信介。その岸信介が心酔した北一輝とは、田中良紹の言うような「民主主義者」などではなく、上記引用文中に書かれているように、紛れもない「国家社会主義者」であった。岸信介もまた国家社会主義者であったのは当然だろう。岸を含む「革新官僚」は、戦争を利用してドラスティックな統制経済体制を打ち立てた。税制も大きく変わり、1940年には法人税が導入されて所得税と分離されると同時に、累進課税制度はそれまでの10%から65%へと極端に強化した。これはさらに75%, 85%へと強化され、敗戦後の「シャウプ税制」によって歯止めがかけられ、所得税最高税率が引き下げられた(シャウプ税制では、その代わりに富裕税が導入された)。

戦時経済の劇的な効果は、12万部売れたというトマ・ピケティの『21世紀の資本』に掲載されているグラフでも確認することができる。戦争によって日本経済の資本の蓄積は大きく取り崩された。もちろんこれは日本に限らずドイツでもそうだし、戦争に勝ったアメリカやフランスでも、日独ほど極端ではないが同様の現象が起きた。総力戦とはそういう性質のものなのだろうが、岸やその仲間の「革新官僚」たちは、戦時中にしかできない大胆な「革新」を断行したものであろう。

安倍晋三とはスケールがまるで違うとしか言いようがない。もちろん、私はこの文章で岸信介をほめたたえる意図など全くない。それどころか、岸が加担した戦争によって、日本にも戦争の相手国にも想像を絶する被害をもたらした、岸の戦争責任は、安倍晋三が現在行っている悪政の罪よりもずっと重いと思う。

さて、阿比留瑠比のクソ記事に話を戻すと、阿比留は岸は解散できなかったけれども安倍は解散したなどと書いているが、これは誤りである。前にも書いたように、岸も1958年4月に衆議院を解散し、翌月総選挙が行われたる。その選挙は、争点がないと評され、議席配分も解散前と変わり映えがしないものであった。つまり、1958年5月と2014年12月の総選挙は実によく似ており、解散総選挙においては安倍晋三岸信介の実績をなぞったといえる。

とはいえ、阿比留が記事に書いた岸の発言は確かに『岸信介証言録』に書かれている通りだ。だが、60年安保当時の「極東の範囲」に関する国会の質疑について岸が「くだらない問題」「愚にもつかなかった」ことと、安倍晋三が「立憲主義の否定だ」と言われた時に「ほとんど意味のない議論だ…」と言っていたとしてこれを並べるのは滅茶苦茶な話というか、「我田引水」以外のなにものでもない。というのは、極東の範囲の議論については、『岸信介証言録』に飛鳥田一雄の下記の言葉が紹介されているのである。

「政治問題は目でみえ、さわって実感できなければ大衆性をもち得ないというのが、われわれの考えであった。『極東』の範囲については魚屋のオジサンも八百屋のオジサンもみんな小学校や中学校で習っている。つまり、『極東』については誰でも世界地図で慣れ親しんできたものだ。だから『極東』の範囲という問題は、すべての国民が理解できるんです。そこでわれわれは横路(節雄)氏をけしかけた。あの議論はわれわれ自身バカバカしいと思ったが、ポピュラリティーというか大衆性はあった。一般大衆が家に帰って湯豆腐などで晩酌をやりながら新聞やテレビをみていると、『なるほど』と(安保の有害性に)納得するわけです」飛鳥田一雄氏とのインタビュー、一九八四年六月十八日、括弧は筆者*1
(原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫,2014)307-308頁)


つまり、岸が「くだらない」と評した「極東の範囲」の件は、社会党からしても大衆へのアピールという狙いが先に立ったものだった。これと立憲主義を並べて同等の問題であるかのように扱う阿比留瑠比は、悪意を持った、とんでもないデマゴーグというほかない。

長くなったのでここらへんで私が言いたいことをまとめると、岸信介というのは本当の巨悪だったが、安倍晋三は今のような退廃した時代でなければ総理大臣になどなりようのなかった、スケールの小さな「悪」だということだ。

だから、岸が「革新官僚」を経て東条内閣の商工大臣になった頃、日本は本格的な「崩壊の時代」を迎えたが、「安倍晋三となかまたち」ではジリ貧がいいところだろうと思うのだ。戦時の統制経済のような大胆な改変は「安倍晋三となかまたち」にはできない。日本が今後直面するかもしれない戦争にしても、中国との総力戦よりはむしろ、アメリカにそそのかされて「テロとの戦い」に突入して自衛官が犠牲になり、その補充は徴兵ではなく、持たざる者をターゲットにした募集で行われるだろう。つまり、「格差を保持ないし拡大しながらの戦争」の時代になるのではないかと予想するものである。

このところの私の持論だが、「希望は、戦争」という言葉に代表される「破局願望」は甘過ぎる。安倍晋三のような小物では、「劇的な破局」(及びそこからの再生)は起きない。真綿で首を絞められるような苦しい時代が続くだろう。

*1:岸信介証言録』の編者・原彬久氏。