kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「あまりにも重すぎた『既成政党(組織)に天誅!』のツケ・・・2.26青年将校と現代団塊ジュニア一部活動家が『意図せずして』後押しした『破局』」(広島瀬戸内新聞ニュース)

別ブログに書いた通り、半世紀前に文庫本5冊(単行本7冊)にわたって「2.26事件」について延々と書いた松本清張の『昭和史発掘』(文春文庫,全9巻)を読んでいるタイミングでもあるので、『広島瀬戸内新聞ニュース』の下記記事を記録しておく。

あまりにも重すぎた「既成政党(組織)に天誅!」のツケ・・・2.26青年将校と現代団塊ジュニア一部活動家が「意図せずして」後押しした「破局」 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2017年5月4日)

1936年の青年将校による2.26事件=「政党政治家と元老に天誅!」と2011年頃の団塊ジュニア世代を中心とする(左右問わない)活動家(以下「我々」と呼ぶ)による「既成政党(組織)に天誅!」は酷似している、と何度も申し上げてきました。

青年将校たちは、大まじめに
「国民と天皇の間に入り込んで悪さをしている(と彼らの主観で判断した)高橋是清ら既成政党政治家や、斉藤実、牧野伸顕(難は逃れたが)に天誅を加えれば、民主的な国が出来る」
と思い込み、行動を起こしたのです。
繰り返しになりますが、青年将校たちの「綱領」は極めて進歩的であり、治安維持法廃止や政治への男女参画など今日的にも重要なテーゼが盛り込まれています。

「政治への男女参画」を掲げていたとなると、巷間「2.26事件」の黒幕と言われてきた北一輝の思想を完全に超えていたことになる。なんとなれば、北の『日本改造法案大綱』では「婦人参政権」は認められずに排斥されているからだ。松本清張も、行動を起こしてほしくなかった北一輝やそのパシリの「革命ブローカー」西田税の思惑を超えて青年将校たちが行動を起こしたことを繰り返し指摘している。

再び『広島瀬戸内新聞ニュース』からの引用に戻る。

現代の青年将校たる「我々」の場合も、戦中世代の「平和主義」や団塊世代の「日本革命」ではなく「個人の尊重」を綱領としていた。これは、非正規雇用の増大の中で、公務員や正社員を前提とした社会保障や教育、住宅政策を見直し、大手企業正社員や正規公務員でなくとも「個人」が生活が保障される仕組みを模索していたということと同義である。

ところが、その思いに民主党など既成政党や、連合・自治労や電力総連などの既成労組、さらにはマスコミが応えていなかったのである(というのが当時の「我々」の解釈である)。

さて2.26事件の青年将校は、ところが、高橋や斉藤らに天誅を加えたが良いが、その後誰がどうするかというビジョンは全くなかった。真崎甚三郎大将を担ぐという向きもあったが、真崎は引き受けなかった。

真崎甚三郎はそれまでさんざん青年将校たちを煽っておきながら、いざ事が起きると逃げた。そういや昔、橋下徹が「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」を引き起こした時にも、橋下自身は懲戒請求をせずに逃げたことがあったな。いわゆる「偉い人」の典型的な行動様式だと思う。

三たび『広島瀬戸内新聞ニュース』からの引用に戻る。

現代の青年将校たる「我々」も、一部は橋下徹や渡辺嘉美を担いだし、わたし自身は橋下らを支持はしなかったが、橋下を担ぐ諸君の心情については「是」ではないが「了」としたのも事実である。

橋下を支持するある同年代の「とにかくまず壊すことが大事なんです」と目を輝かせて熱く語る姿は今でも目に焼き付いている。その言葉にとてもではないが裏があると思える状況ではなく、当人もそう信じ込んでいたと思わざるを得なかった。

くどいようだが、橋下徹の支持者がみんな右翼とか改憲派とか言うのは大嘘である。どちらかと言えば戦時中の青年将校に近い心情のリベラルがかなりいたのである。
橋下に期待しつつ小沢にも期待するとか、橋下も共産党も両方好きとか、橋下と緑の党両方に期待するとか、そういう人も結構いたのである。

それが勢い余って
「働かないオヤジの既得権益打倒!」
自治労打倒!」
民主党の**議員打倒!」
マスゴミ打倒!」
「既成政党に挑戦状!」
「(年配既成団体幹部の)そんなやり方では(運動は)広がらない!」
こんな言葉が飛び交うようになっていったのである。

だが2011年の大阪ダブル選挙あたりからの政局の勝者は、2012年12月16日の衆院選で圧勝した自公の安倍晋三であった。
「我々」が天誅を加えた民主党や既存労組と、「我々」は共倒れという結果に終わったのである。

2.26事件後の政局でも、最終的に勝利したのは、青年将校ではなく、東條英機ら、後に日本を滅ぼすことになる「統制派」と言われる連中である。現代で言うとバブル世代くらいの世代に該当する連中である。正に東條英機は昭和の安倍晋三であり、稲田朋美なのである。

ネトウヨや極右文化人、産経などをさんざん踊らせておきながら、また、「リベラル」のはずの谷垣禎一の時代に極右復古主義色満載の「自民党第2次改憲草案」が出ていたにもかかわらず、自分から「改憲」の提案をする段になると「9条の1項、2項はそのままにして自衛隊憲法に書き加える」「教育無償化を憲法に書き加える」などと言い出すあたり、確かに「統制派」っぽい手口ではある。稲田朋美はむしろ「皇道派」的なイメージが強いが(笑)。まあ安倍は岸信介を崇拝しているから「統制派」的な動きをして当然とも思える。

四たび『広島瀬戸内新聞ニュース』からの引用に戻る。

東條は対英米戦争を開戦し、安倍は対IS戦争に2014年8月8日、有志連合という形で参加してしまった。日本は72年〜75年前の歴史をそのままなぞりつつある。

今は、「戦争中だけどまだ本土空襲が始まっていなくて、人々が戦争をまだ舐めまくっていた」1942年とか1943年とかあのあたりの感じなのだろう。

2020年に安倍がオリンピックと同時に改憲を施行すると言うが、ひょっとしたら、2020年は日本滅亡ではないかという嫌な思いがふと頭をよぎるのは、そういうこともあるからである。

2012年12月16日の衆院選を1937年7月7日の盧溝橋事件になぞらえ、それから「崩壊の時代」が始まったとする坂野潤治の説に当てはめれば、東京五輪開幕予定日の2020年7月24日は1945年2月にあたる。東京や大阪の大空襲の1か月前で、日本の敗色がもはや濃厚だった頃。先の戦争で庶民の間にも敗戦ムードがにわかに高まったのは敗戦の前年、1944年になってからであることを思えば、現在の日本国民に危機感がきわめて稀薄なのもさもありなんといったところか。

以下、『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事の結びを引用。

「ひょっとしたら、『我々』があのとき、別の行動を取っていれば安倍は政権に返り咲かずに、別の展開はあったのではないか?」
という思いがないと言えば嘘になる。
しかし、そのときはそのときの判断である。

もちろん、年配の既成政党、既存団体幹部にも反省して頂きたい。
「そんなやり方で若者(といってももはや、日本の野党や市民運動の場合、50歳以下)に食い込めない」
「その理由は個人を尊重していないから、以上簡単。」
「連合なんかの場合は、大手正社員・正規公務員クラブだから、なかなか個人尊重にならない、以上簡単。」
というのは紛れもない事実だからである。

しかし、だからといって「我々」(75年後に繰り返し現れた)「青年将校」が、既成政党や既成団体幹部に「天誅!」を加えたからといって、事態がよくなるわけではなかったのは、2.26事件でも民主党政権時代後期の政局を見ても明らかである。この点については「我々」は繰り返された歴史的事実を直視し、率直に反省しなければならない。

双方の歩み寄りが今求められる。

2012年、自民党総裁選に安倍晋三が勝った時点で安倍の政権返り咲きは当然予想されたし、私などは同年末の衆院選で「日本未来の党」の惨敗に大喜びした口だったが、まさか復活した安倍政権がここまで長続きした上、この先まだ4年も総理大臣を続けようと思うようになるとは夢にも思わなかった。しかし、あの当時「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていた小沢一郎の「日本未来の党」を勝たせるわけにはいかなかったとは今でも思っている(2012年衆院選で、私自身は選挙区、比例代表とも共産党に投票した)。2012年は、ああなってはどうしようもなかった。民主党政権の敗因は2010年の鳩山由紀夫の政権投げ出しと、その後の菅直人小沢一郎*1両人の自分勝手な振る舞いに求められるべきだと考えている。当時の民主党の「トロイカ」は、三者三様に民主党政権の失敗に大きな責任を負っているというのが私の見解だ。3人集まってやっと一人前という程度の政治家に過ぎなかったのに、3人とも自己を過大評価していたと思う。

今後の野党及び政権批判勢力に求められるのは、何よりまともな経済政策だろう。今の民進党や「リベラル」人士の多くみたいに緊縮になびいているようではどうしようもない。現状は金融緩和しかウリがない安倍政権の経済政策よりもさらに見劣りする。そもそも政権批判派が「なんとかノミクス」などという「敵性用語」を恥ずかしげもなく用いているようでは、最初から「勝つ気がない」としか思えない。

*1:特に小沢一郎が一度も総理大臣にならず、世論の厳しい批判を受ける立場に立たなかったことは痛恨だった。なんとなれば、小沢の限界を露呈する機会がなかったことが、小沢への幻想を不必要に長引かせたのであって、これは安倍晋三自民党を批判する勢力にとって百害あって一利なしだった。私は、小沢一郎はあまりにも楽をしようとし過ぎたのだと考えている。