kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「既成政党批判至上主義」は現在の「皇道派」(さとうしゅういち氏)

東京都知事選における野党候補は、告示直前に宇都宮健児が降りて鳥越俊太郎に一本化された。繰り返し書くが、私は鳥越氏がベストの候補とは必ずしも思わないが(だから今後も本心を偽って熱烈な応援の記事を書くことはできないが)、種々の制約条件の中から候補を選ぶとすれば、というか落としどころとしては鳥越氏くらいしか妥協点はなかったと思うし、宇都宮氏が降りてくれたことによって、現在の情勢で望み得る選択肢としては、ベストとはいえぬまでもベターだと考える。

「自民でなければ誰でも良いのか」というコメントもいただいたが、安倍晋三自民党総裁である限りにおいては答えは「イエス」だ。コメンテーターの方には、もっと歴史を学び、もっと憲法を学んでほしいと思う。そうすれば、安倍晋三の底知れない恐ろしさを思い知ることができるだろうと私は確信している。私にとって安倍晋三とは、何が何でも打倒しなければならない「ラスボス」ともいうべき敵である。10年前の2006年、安倍晋三自民党総裁・日本国総理になりそうだという情勢にならなかったら、私はブログを開設して、その後10年にわたって政治について書き続けることはなかったに違いない。

反安倍の所信表明はこのくらいにする。今回の宇都宮健児騒動で思い知ったのは、それこそ「『右』も『左』もない」規模で膨れ上がった宇都宮氏へのエールだった。

たとえば、「『右』も『左』もない」の言い出しっぺにして、2007年に安倍晋三が退陣した(あれ以上に嬉しい政治のニュースに接したことがなかった)直後に「水に落ちた犬は叩かない」と書いて安倍晋三への批判を止めることを宣言し、それと同時に城内実平沼赳夫という、ともに優るとも劣らない安倍晋三の盟友たちへの熱烈な応援を開始し、それを周囲の「政権交代を求める反自民」あるいは「リベラル」のブロガーにも勧めて大きく拡散した(これは「リベラル」のネット言論にとって「敗着」の最たるものだったと私は考えている)「喜八」氏(本名は中村順さんという人らしい)が、こんなことをつぶやいていた。

https://twitter.com/kihachin/status/753739893025628160

中村 順 (NAKAMURA Jun)
@kihachin

#宇都宮健児 さんは長きにわたって消費者金融・貧困・差別などの分野で、他の弁護士や市民が目をそむけてきたような厳しい現実に、全身全霊で取り組んできました。そういう方に対してあまりに非礼で心ない仕打ちをする政党や市民っていったい何なんだろう?@utsunomiyakenji

16:56 - 2016年7月14日


私にとって「『右』も『左』もない」の代名詞ともいえる「喜八」氏のこのつぶやきに象徴されるように、今回の宇都宮氏が立候補を取り下げる前後に起きたエールの話者は、本当に右から左に至るまで非常に広範な立ち位置を持つ人たちだった。

たとえば、右では参院選小林興起を推していた人がいた。「リベラル」では、かつて代表的な「小沢信者」のブログ主と思われる人がいた。4年前に孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』を読んで感激していた記憶がある「リベラル」もいた。左では、普段からの言動からし共産党支持者だろうと想像していた人がいた。宇都宮氏の「密室政治」批判は、こうした右から左までの幅広い人たちの共感を得た。

「密室政治」批判で思い出したのは、2000年の森喜朗擁立劇だった。あの5人衆の中には、確か最近一時危篤が伝えられた加藤紘一がいたはずだが、今回は民進党岡田克也(や枝野幸男ら)、共産党志位和夫(や小池晃ら)、社民党の(落選した)吉田忠智(や福島瑞穂ら)、それに生活の党と山本太郎となかまたち小沢一郎山本太郎らが批判の対象になった。

つまり、小沢一郎山本太郎が(「元」がつくかもしれないが)「小沢信者」の批判の対象になり、志位和夫小池晃が(私が勝手に想像していた)共産党シンパの批判の対象になったわけだ。

これは私にとって大いなる驚きだった。

いったいなぜ、と思っていたところに接したさとうしゅういち氏の論考は、いつもながら教えられるところの多いものだった。以下に転載する。

我々「市民派」は、既成政党批判至上主義という「平成の皇道派」になっていなかったか? : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2016年7月16日)

緑の党ひろしま 前代表 さとうしゅういち


2009年から12年のいわゆる民主党政権時代は、大日本帝国時代の政党政治に相当すると言えなくもありません。


それにたいして、反原発などの市民派のなかに、「既成政党批判至上主義」とでもいうべき雰囲気がありました。

わたし自身も手を貸したという忸怩たる思いはあります。


現代の「既成政党批判至上主義」は、昭和10年代の大日本帝国における「皇道派」でしょう。


皇道派」は比較的純粋な想いで当時の政党政治既得権益に怒りを覚えた青年将校の派閥です。

1936年(昭和11年)に2・26事件を起こしたが、失敗しました。


わたしは・26事件は現実には理想を追求した社会主義暴力革命の失敗に近かったと思います。


2.26事件により、政党政治は完全に終わったが 、代わりに権力を取ったのは、東條英機ら統制派でした。


現代の東條英機安倍晋三でし(ママ、「でしょう」のtypoと思われる=引用者註)。


我々「市民派」があまりに戦前の皇道派よろしく、「既成政党批判至上主義」寄りに立ったがゆえに、安倍総理復権=統制派の権力掌握をアシストしたのではないか?

その自責の念は拭えないのです。


今振り返ると、2011年から13年ころの各選挙は2・26事件だったのではないでしょうか?

市民派は既成政党が乗っかってきたお任せ民主主義が原発事故招いたと、既成政党全般を批判してきました。

おおさか維新なども「右の市民派」といえなくもありません。既成政党、自治労打倒を叫んだ。

その結果、民主党政権は倒れたが、市民派(おおさか維新も含む)も、安倍晋三=東條英機の再登場を後押ししただけだったのではないでしょうか?


そして、その安倍晋三は、2013年に特定秘密保護法を強行、2014年には集団的自衛権の行使容認の閣議決定を強行。さらに。2015年にイスラム国に宣戦布告。平成の翼賛選挙=参院選の最中に平成のドゥーリットル空襲=ダッカテロを招いて現在に至っているのです。


あのとき(3.11後)どうすれば良かったかは難しい。


しかし、ともかく、今は、既に始まってしまったイスラム国との戦争からいかに離脱するか?


これ以上戦線を拡大させないかが至上命題です。


「既成政党批判至上主義」は現代の「皇道派」か。なるほど。

「皇動派」という形容は、たとえば最初の方に掲げた「喜八」氏*1のイメージにあまりにもよく合致していたので笑ってしまったが、確かに「皇道派」との類似点が多い。「喜八」氏が弱者のために誠心誠意日々の活動をしていることは事実だし、そのことだけを切り取れば(つまり「喜八」氏が政治的な発言をしない限りにおいては)「喜八」氏に大いに尊敬すべき点を私も認める。だが、それは1930年代の「皇道派」やそのシンパたちも同様だった。「皇軍」の兵士たちの多くは地方の農村出身だったのだ。そして1932年(昭和7年)に起きた「五・一五事件」の実行犯(殺人犯)であるテロリストたちへの日本国民の助命嘆願は日本中に広がった。その国民感情が1936年(昭和11年)の「二・二六事件」を引き起こした側面は確かにある。

その「皇動派」と現在広がりを見せる「既成政党批判至上主義」の共通点、それは本当にその通りだと思った。

2011年の東日本大震災の翌年、2012年に「今は敗戦後より一九三七年七月七日に近い」と指摘し、12年末の「政権再交代(自民党の政権奪回)選挙」から「崩壊の時代」が始まったと言ったのは坂野潤治だった。

それを頭に置いて振り返れば、

今振り返ると、2011年から13年ころの各選挙は2・26事件だったのではないでしょうか?

というさとうさんの指摘は、ストンと腑に落ちる。たとえば、2013年の参院選有権者があそこまで極端な自民党の圧勝を許さなければ、今回の参院選の1人区で「野党共闘」がまさに紙一重の選挙区をいくつも制しながら、選挙後に3年前に当選した無所属の平野達男(元自由党小沢一郎系)を自民党に入党させるという卑怯な手段を使ってとはいえ、「改憲4党」に3分の2超の議席を許すことはなかった。

安倍晋三東条英機とは、その通りかもしれないと私も思う。2006年に安倍晋三自民党総裁・日本国総理大臣になる少し前くらいに、私は安倍晋三を東条にではなく近衛文麿になぞらえたものだったが、安倍とは近衛との共通点(お坊ちゃま体質など)も確かにあるものの、近衛より東条により近い人間かもしれないと最近思うようになっている。

東条英機は、もともと他の将軍と比較してこれといった「戦功」のない軍人だった。その東条が無理に「軍功」を築いたのは、1937年に中国で戦線拡大を行った時のことだった。その東条の性格は非常に小心で、かつ自らに逆らうものは絶対に許さなかった。東条は総理大臣になったあと、政敵や気に食わない論客に赤紙を出して、生還の困難な戦地に送り込むなどという恥ずべき行為を繰り返したのだった。

その東条になぞらえられる安倍晋三を、今まで政権批判側はさんざん助けてきた。私はその中でも最悪だったのは、東日本大震災・東電原発事故の直後の2011年5〜6月に民主党の小沢・鳩山一派が自民党森喜朗ら)を焚き付けてやらかした菅内閣不信任案提出騒動だったと思う。震災や原発事故そっちのけでやらかした民主党政権のていたらくに、「こんな政党に二度と政権を与えてやるものか」と思った人々は少なくなかろう。だが、そうであってもなお、安倍晋三を日本国総理に返り咲かせてはならなかったのだ。

これ以上戦線を拡大させないかが至上命題です。

というさとうさんの指摘には強く共感する。今できることはそれしかない。

*1:「喜八」氏はかつて極右政治家・城内実の旗を熱烈に振り、集会に何度も参加した。最後は城内氏を「9条護憲派」と勝手に思い込んで、「自主憲法制定派」である城内氏の強い信念に抵触することになり、(おそらくはそれが原因となって)城内氏の応援団から去ることになった。