kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「懐かしの」城内実、選択的夫婦別姓への反対論をぶつ

 平河エリ氏のツイートに、あの「懐かしの」城内実への言及があった。この人の名前は最近さっぱり目にしなくなっていた。

 

 

 早いもので、ブログを始めてもう14年半になる。その間、世論は何も右傾化一本槍ではなかった。たとえば改憲には反対の世論が強くなった。2012年末に第2次安倍内閣が成立するや、安倍は橋下徹の唆しに乗って96条改憲をやろうとしたが、すぐに潰れた。結局安倍は明文改憲を事実上諦めた代わりに解釈改憲をやってのけた。安倍の解釈改憲は、第1次内閣時代の教育基本法改悪と合わせて安倍の大きな「負の成果」だったといえる。しかし安倍をもってしても明文改憲はできなかった。

 新自由主義に対する批判も強くなった。これは既にブログを始めた2006年春にははっきりしていた流れだった。前年の郵政総選挙で小泉自民党が圧勝して小泉独裁政権の力が強まり、選挙に大敗した民主党(この党は結党当時から新自由主義的な体質が強かった)でも、党代表をゴリゴリの新自由主義者である前原誠司に代えたが、それにもかかわらず、それらに対抗するかのように新自由主義批判の流れが猛然とわき起こったのだった。最初は2005年末の耐震偽装強度問題、次いで翌年1月のライブドア事件、6月の村上ファンド事件と続いて、堀江貴文村上世彰といった新自由主義の申し子たちが逮捕された。民主党代表の前原誠司は、のちに自殺した永田寿康が偽メールに引っかかった責任をとって辞任に追い込まれた。NHKは同年7月から翌2007年12月にかけて「NHKスペシャル」で「ワーキングプア」のシリーズを3度放送した。

 前原誠司のあとを受けて2006年4月に民主党代表に就任した小沢一郎は、それまで自らも右翼にして新自由主義者であったにもかかわらず、上記の流れを読んで「国民の生活が第一」などというスローガンを打ち出して新自由主義を批判し始めた。これが当たって民主党は2007年の参院選と2009年の衆院選に大勝、政権交代を実現したのだが、いざ政権についてみると、長年党に染み込んだ新自由主義の体質を脱却することができず、また小沢が大の党内抗争好きだったこともあって民主党政権は3年3か月で崩壊した。だがそれはこの記事の論点から逸れるのでそれ以上は書かない。

 城内実小沢一郎と同様に、この過程において「新自由主義批判」のポーズをとって「コイズミカイカク」の批判者たちの歓心を大いに買ったのだった。ことにネットでは、城内やその師匠格の平沼赳夫を持ち上げる「反自公政権」の面々が跳梁跋扈した。城内と平沼はともに郵政民営化に反対して郵政総選挙で自民党の公認を受けられなかった。城内は静岡7区に刺客・片山さつきを送られて落選し、平沼は岡山3区に送られた刺客・阿部俊子を問題にせず当選したものの2010年に「たちあがれ日本」を結成するまで無所属で活動した。

 平沼と城内の2人はゴリゴリの極右もいいところだったが、郵政総選挙で「造反」したというだけで勝手に「新自由主義批判」の「旗手」であるかのように誤解した浅はかな人士たちがこの2人を応援する旗を振ったのだった。実際には平沼は小泉政権で初代経産大臣を務め、新自由主義の経済政策を推進した張本人だったし*1城内実に至っては選挙に当選するための手段として「反小泉」をネットに売り込んだだけだった。今でも覚えているのは、2006年の年初に城内が、当時ブログ「世に倦む日日」が展開していたブログキャンペーン「STOP THE KOIZUMI」にメッセージを寄せたことだった。あれでネットの「反新自由主義」のかなりの人士が城内になびいた。第1次安倍内閣が倒れた直後に、下記の恥ずかしい記事を公開した「喜八ログ」のブログ主「喜八」氏も、おそらくその一人だろう。氏はのちに「世に倦む日日」を批判するようになったが、2006年の正月の時点ではそうではなかったと推測している。

 

 

 上記ブログ記事の後半には、実に恥ずかしい文章が並んでいるので以下に引用する。

 

信念を通すためには孤立することを恐れない。
困難な状況にあっても友人や同志を裏切らない。
愚直であるばかりではなく、どことなく老獪な部分も感じさせる。

端的に言えば、信頼できる有能な政治家。
それが城内実さんだと私(喜八)は認識しています。
だからこそ、応援したいのです。

ところで城内実さんといえば「安倍晋三氏の腹心」としても知られています。
事実、城内さんは直前のブログ・エントリでは「安倍晋三先生がんばれ!」と安倍首相にエールを送られています。

「さんざん安倍晋三を批判してきたお前(喜八)が城内実を応援するとは矛盾しているではないか?!」という外野からの叱責《しっせき》が聞こえてきそうです(汗)。

また、先に私が「安倍晋三さん、お疲れさまでした」と書いたことについて「なにをお前(喜八)はナニワブシのようなことを言っているのだ! 安倍晋三が行なってきた強行採決政治を肯定するのか?!」というお叱りも複数の方から頂きました。

これについては「まことに仰る通りでございます」と答えるしかないのですが・・・。
白旗を揚げて全面撤退中の安倍晋三氏に対して「追い討ち」をかけるのは、どうにも気が進まないのですね。

それは主に私の人間が甘くできているがゆえではあります。
また、退却している相手を追撃するならば、文字通りの「死闘」、お互いに命をかけての戦いになる。
そういうシンドイことはしたくないという気持ちがあります。

そもそも安倍晋三氏にしても「日本を悪くしよう」なんて意図があったわけではないでしょう。
安倍氏安倍氏なりの信念に基づいて日本を「美しい国」にしようと試みたのでしょう。

もちろん私(喜八)は安倍晋三氏とは大いに意見が異なりますし、だからこそ批判を続けてきたのですが、安倍氏の政治思想や人間性を頭から否定しようとは思いません。

人間は必ず間違える(でなければカミ様です)。
もしかしたら間違えているのは自分の方かもしれない。
そういう謙虚さは忘れないようにしたいと思います。

ここで「結果論」的なことを言えば、安倍晋三さんは「郵政民営化」国会において、城内実さんや平沼赳夫さんとともに「造反議員」となり、反対票を投じるべきであった。
それがベストの選択であったように感じています。

とはいえ過去は変えようがありませんから、こんなことを言ってもしかたないかもしれませんが・・・。

ただ、これからできることもありますよ。
安倍さんは次の総選挙では自民党執行部の意向など無視して、城内実さんや平沼赳夫さんの応援演説を強行されてはいかがでしょうか?

もちろん、そうなったら党からは厳重注意を受けるでしょうね。
でも、総理総裁経験者を簡単に除名することもできませんから、なかなか面白いことになりそうです(笑)。

辞任発表後、「弱り目にたたり目」となった安倍晋三さんは大変だろうとは思います。
でも現在の状況には大きなプラス面もあります。
誰が本当の友人で、誰がニセモノの友人だったのか?
いまこそ、それがはっきりするからです。

もっとも苦しいときに傍にいてくれる人こそ本当の友人なのは言うまでもありません。
安倍晋三さんは、この機会に「本当の友人」と「ニセモノの友人」をしっかりと見極めて、今後は「本当の友人」だけとお付き合いされるとよろしいかと思います。

巧言令色ばかりにたけた「ニセモノ人間」たち。
名誉欲や出世欲は人一倍だが、誠心《まことごころ》がすっぽり抜け落ちた「ニセモノ人間」たち。
そんなヤカラとの付き合いに時間を浪費するのは、完全なるムダというものであります。

安倍さん、「憂国の同志」城内実さんを応援しましょう!

 

出典:http://kihachin.net/klog/archives/2007/09/kiuchiminoru4.html

 

 こんなふざけたことを書く人間がいたから、その後2012年末から悪夢のような「第2〜4次安倍内閣の7年9か月」が続いたのだ。今でも怒りが収まらない。

 ついつい前振りが長くなったが、平沼や城内は政治思想的にはゴリゴリの極右であり続けた(もっとも平沼は2017年に引退し、息子を後継候補に立てたが2017年の衆院選では阿部俊子に敗れて落選した)。いや、城内の選択的夫婦別姓反対論に関しては、実は演技ではないかとも私は疑っているが、極右を支持基盤としてきた惰性から、少なくとも建前上は旧来の主張を墨守している。

 しかし、この14年間で選択的夫婦別姓への賛成論が強まり、城内はもはや時代に取り残されつつある。

 それを感じさせたのが、最初にリンクを張った平河エリ氏のツイートから張られている産経の記事の末尾にリンクされていた「関連記事」だった。5件挙がっているが、その筆頭が下記記事だった。但し、オリジナルは産経ではなく小学館の「週刊ポスト/セブン」のサイトの記事で、それを産経の「iZa」が取り上げている。

 

www.iza.ne.jp

 

 以下、上記記事から拾う。

 

選択的夫婦別姓制度の法制化をめぐる議論は1970年代から行われている。そして、そのたびに賛成反対の両論で割れている、さらなる国民的議論が必要である、とされてきた。だが、今回の調査では7割超が賛成だったのみならず、「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」という反対が14.4%しかなかった。これはもう両論で割れているというには無理のある数字だ。選択的夫婦別姓に反対している日本人は、すでに少数派なのである。

 

出典:https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/201123/lif20112314070006-n1.html

 

 しかし、時は40年以上流れたのだ。当時だってかなり進んでいた核家族化はさらに進行し、家制度的な「お嫁に行く」という感覚も相当薄くなった。それはことさら女性に顕著で、今回の調査で「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」と回答したのは、20~29歳の女性で6.3%、30~39歳で6.6%、40~49歳で8.2%、50~59歳でも8.8%しかいない。〈男性の姓を名乗ることに喜びを感じる〉女性はとても少ないことを物語っている。

 

出典:https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/201123/lif20112314070006-n3.html

 

(前略)中途半端な「通称使用の拡大」ではなく、「えいや」と選択的夫婦別姓に移行するほうが理にかなっている。それでも保守派の一部の反対が強いのは、やはり変化に対する抵抗なのだろう。自分が当然としてきたことを変えられるのが嫌だという気持ち。田母神俊雄氏の感情的なツイートもそうだ。時代から自分が置いていかれるような気がして抗うのだ。

 けれども時代は流れている。菅義偉首相はかつて選択的夫婦別姓を推進する立場で議員活動をした人物だ。さらに、先日、橋本聖子男女共同参画担当相が男女共同参画会議の選択的夫婦別姓制度に関する答申に「深刻な少子高齢化を食い止めるために、非常に重要で配慮すべき」と表明したり、保守派で知られる稲田朋美議員が選択的夫婦別姓に関連して結婚後も旧姓の使用を続けられる制度の新設を提案したり、といった動きもあった。

 保守の側からも、変化をしようとしている。そう遠くなく、選択的夫婦別姓制度は法整備され、「なんであんなに反対する人がいたんだろう」と首を傾げる時代が来ると思う。

 

出典:https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/201123/lif20112314070006-n6.html

 

 記事にある通り、自民党でも「変節」したり、安倍晋三のあとを受けて総理大臣になったために一時的に持論を棚上げしているだけの人間がいる。

 ここには引用しなかったが、旧態依然たる主張をしている国会議員として山谷えり子の名前と主張が紹介されている。この「元ウィークエンダーのレポーター」にして「元民主党衆院議員*2」の影もすっかり薄くなった。山谷は第1次安倍内閣で総理大臣補佐官を務めたため、ブログを始めた頃はずいぶん批判した記憶があるが、それ以降は第2〜4次安倍内閣時代を含めてほとんど目立たなかったために、ブログに取り上げるのもずいぶん久しぶりだ*3

 第2〜4次安倍内閣では、城内実山谷えり子も重用されなかった。彼らのようにアナクロな体質の人間は、同様にアナクロ安倍晋三でさえ大した期待はかけていなかったのではないか。彼らを見捨てたことが、第2次以降の安倍内閣が8年近くも続いた理由の一つだったのかもしれない。

 そう遠くなく、「なんであんなに熱心に城内実を応援した人がいたんだろう」と首を傾げる時代が来ると思う。

 いや、既にそういう時代になってるって?

*1:実際には平沼は経済政策には大して関心がなく、官僚の言うがままだったのだろうけれど。

*2:山谷は鳩山由紀夫民主党代表を務めていた2000年の衆院選に初当選したが、2002年に熊谷弘らとともに離党して保守新党に参加し、2003年の衆院選で落選した。なお、同じ衆院選保守新党代表の熊谷に対して送られた清和会の刺客が城内実であって、無所属で立候補した城内は熊谷を追い落として初当選した。このように、城内実は初当選の時から後ろ暗いところのある議員だった。

*3:ブログ内検索をかけたら、山谷が当選した2016年参院選以来だった。なお、城内実は直接批判されたこともある弊ブログの宿敵だったので、今年に入ってからもしばしば言及していた。