kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小沢信仰」はカルト宗教だ。今こそ「さらば小沢」と言おう

小沢信者はもはや「見ざる、言わざる、聞かざる」の域に達しているようだ。一昨年の「西松事件」の頃に小沢一郎を批判した私は、小沢信者から「隠れ自公」と非難されたものだが、現在小沢一派が自公に接近して内閣不信任案の提出と可決に躍起になっているのを小沢信者の誰も批判しない。小沢一郎こそ「隠れ自公」、いや自公の仲間そのものではないか。小沢一郎は、本心では清和会の連中同様、なんとか原発を守ろうと必死なのではないか。

ところで、当ブログに下記のコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110516/1305551149#c1305607408

ursaemajpris 2011/05/17 13:43
小沢一郎の懐刀」とかの平野貞夫氏が「小沢一郎妙見菩薩の加護を受けている」と言っているそうな。
昨年、小沢系の議員が立ち上げた北辰会も「小沢一郎を中心(北極星)にして結集したとかで、すでに小沢一郎周辺はカルト(オカルト?)化してるみたいです。


そんな話は全然知らなかったが、ネット検索をかけたらすぐに見つかった。


平野貞夫の国づくり人づくり政治講座 第47回 《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第34回 ―「 日本の政治の原点(7) 」―

《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第34回 ―「 日本の政治の原点 (7) 」―


『龍馬と女と妙見信仰』を脱稿する昨年の12月頃になって、不思議なことに「妙見信仰」についての情報が、湧き出すように私に寄せられてきた。最初は『妙見信仰の史的考察』というものだった。伊勢神宮外宮の宮司の血筋の人物で、中西用康氏が自費出版で出した労作である。

その序文に「過去の人びとの妙見信仰がそれぞれの時代区分の上で、一役を演じていることがおぼろげにわかった」と述べており、私は大きなショックを受けた。日本の主な歴史をふり返ってみよう。


妙見菩薩信仰と政治革命


平将門が関東の民のために起した「承平・天慶の乱」(将門の乱)の背後には、妙見信仰に生きる民がいた。将門も妙見菩薩を信仰しており、平安の地方分権の改革であった。将門の改革運動は失敗し、妙見を信仰する民も散り散りとなる。その後、240年後源頼朝による鎌倉幕府が成立する。

この鎌倉幕府の成立は、将門一族の後裔にあたる千葉常胤ら千葉一族の貢献なくしてはありえなかった。千葉一族は妙見信仰で、それが鎌倉封建制度という歴史をつくった。幕府制度の再生を行ったのは徳川家康であった。家康も妙見菩薩を信仰していた。

この徳川体制も約300年近くの歳月を経て、腐敗した幕政が坂本龍馬という妙見信仰の星によって大政奉還させられることになる。妙見菩薩は権力にしがみつく人間達よりも、清い国家をつくろうとする人間に力を与える。1月16日のNHK大河ドラマで、岩崎弥太郎の出生地安芸市妙見山と星神社が紹介されていた。弥太郎だけでなく龍馬も北斗の妙見信仰の中で、育ったことはあまり知られていない。わが国での権力の移行は、妙見菩薩を信仰する人たちによって行われていると、私は考えている。  
 

無血革命


さて、この見方で現代の政治を検証してみよう。昨年8月30日の衆院総選挙で「国民の生活が第一」という民主党が勝利し、本格的政権交代が実現した。国民の投票による初の政権交代であった。それだけではなく、神武天皇以来初めて日本の民衆によって国家権力をつくった「無血革命」であった。

この「無血革命」を指導した人物が、小沢一郎という政治家であったことは誰もが認めるところだ。小沢一郎が妙見信仰の精神的DNAで生かされてきたことを知る人は少ない。自民党という腐敗官僚に支えられた日本政治を改めるため、妙見菩薩小沢一郎に力を与えたといえる。

この無血革命はまだ成功していない。7月の参院通常選挙で、民主党が単独で過半数を占めることで完成といえる。しかし、反動反革命勢力は徹底的な抵抗をする。それが人間の歴史というものだ。東京地検特捜部が小沢一郎政治資金団体陸山会」に、不正な資金が導入されていると、1月15日夜、突然元秘書の衆院議員と2人の秘書を逮捕した。まさに反革命そのものだ。民主党大会の前夜、小沢一郎を幹事長から引きずり下ろすための暴挙である。  


妙見菩薩がこんなことを許すはずはない


自民党や巨大マスコミなど反動勢力が、とやかく攻撃してくるのは予想どおりだ。驚くのは日本共産党の態度である。民衆のための革命政党とはいえない。検察国家権力の代弁者、いや協力者としての活躍をしていることに驚く。機関紙「アカハタ」では、インチキ企業として知られている元経営者の話を、真実とばかり報道している。

小沢一郎を政界から葬ろうとする志位委員長の言動は反革命の政治家の代表といえる。共産党の政治家がここまで劣化し、歴史認識と方向性を見失うことで、マルクスは泣いていると思う。民衆による政治を理解すべきだ。

それに反革命を強く検察などを後押ししているのが、巨大マスメディアである。国民主権で国家権力をつくる真の民主政治が確立すれば、既得権を失い経営に大きな影響が出るからである。

私は小沢一郎氏との40年にわたる交友の中で、不正の資金を使う政治家でないことを熟知している。強化した弁護団によれば、陸山会に貸与した4億円に不正の資金はないことを確認し、検察の捜査に協力すると伝えた直後に、元秘書3人の逮捕を強行したとのこと。

これらの背後には、歴史の進歩を逆戻りさせようとする集団の謀略が感じられる。妙見菩薩がこんなことを許すはずはない。


文章から見て、昨年初め頃に書かれたものらしいが、平野貞夫はこの文章で小沢一郎を「革命家」に見立てるとともに、小沢一郎には妙見菩薩のご加護があると言い、小沢一郎に歯向かう共産党を「反革命」と断罪している。なんともはや、カルト宗教そのものではないか。

私は、東京電力原発メルトダウンにもはや驚かないのと同様、小沢信者のカルトぶりにいまさら驚きはしない。

原発安全神話と同時に、小沢一郎の「剛腕神話」も終焉した。「小沢信仰」はカルト宗教に過ぎないことはいまや明白だ。

小沢信者には何を言っても無駄だが、私はそれ以外の、小沢一郎に一定の評価を与えてきた人に言いたい。


今こそ、「さらば小沢」と言おう、と。

「ダブル池田」の救いがたいトンデモぶり

東電原発事故によって言論状況もメルトダウンしたかのような惨状を呈している。昨日は、2人の「池田さん」のトンデモ言論に唖然とした。


まずノビーこと池田信夫
「メルトダウン」は致命的な事故ではない – アゴラ


「『メルトダウン』は致命的な事故ではない」のだそうだ。原発推進派の論陣は、いまやここまで後退した。


続いては、「9条護憲派」でいらっしゃるらしい池田香代子
http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/70315992030527489

これは正しい。民主党はもともと2割削減すると言っていた。このたび1割削減を打ち出したけどそれだと焼け太り。2+1=3でしょ @hanayuu 国家公務員給与、3割削減を…橋下知事 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - http://goo.gl/jMfAp


この「つぶやき」で池田が何を言っているかというと、なんと橋下徹のトンデモ提言を肯定し、積極的に評価しているのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110516-OYT1T00899.htm

国家公務員給与、3割削減を…橋下知事


 大阪府橋下徹知事は16日、東日本大震災の影響で地方交付税が削減されるという一部報道があったことを受け、財源不足を補うために、府職員の給与カット(現行3〜14%)の拡大を検討する考えを示した。

 報道陣の質問に答えた。国家公務員給与を1割カットして復興財源に充てる政府の方針について、「国難を乗り切るために別の財源が必要となれば、国を挙げてやらなければならない。地方交付税が削減された場合、住民サービスを削ることは府民が許さないだろうから、職員給与のカットは当然ある」とした。

 また、国家公務員給与のカットの幅について言及。民主党が2009年の衆院選マニフェスト政権公約)で「総人件費2割削減」を掲げていたことを指摘し、「緊急時だから3割ぐらいはカットしないと、平時に2割カットなんてできない」と批判した。
(2011年5月16日19時32分 読売新聞)


民主党の「総人件費2割削減」自体、そもそも典型的な新自由主義政策だが、それでさえ「総人件費2割カット」は「賃金2割カット」と同義ではない。ところが池田はそれを等号で結んでしまった上、それをさらに1割削減せよという。8割になった賃金をさらに1割カットしたら28%カットであって30%カットではないのだが、そんな揚げ足取りはこの際どうでも良い。

護憲派」でいらっしゃるらしい池田大先生が、河村たかしでも言わない、いや河村は「半減」だから言ってたか、それはどうでも良いけど新自由主義で鳴らすトンデモ首長のトンデモ発言を手放しで絶賛するあたりに、この国の「護憲派」、あるいは「左派」の絶望的な現状がある。


なるほど、これならこの人には小沢一郎が「サハッ」に見えるらしいことにも納得できる。

「ベント」にブレーキをかけたのは東電経営陣だ。東電温存などとんでもない

http://jp.wsj.com/Japan/node_237921 より。

福島第1原発、事故直後の新事実が明らかに―WSJ分析

2011年 5月 18日 15:42 JST


 【福島】福島第1原子力発電所では、極めて重要な地震発生後24時間において、これまで考えられていたよりもはるかに急速に状況が悪化していた。ウォール・ストリート・ジャーナルによる事故状況の分析によって明らかになった。


 壊滅的な被害をもたらした地震津波発生から数時間後、発電所の作業員は途方に暮れていた。夕暮れが迫る中、彼らは付近の家屋から懐中電灯を探し出すことを余儀なくされた。正常に機能していない原子炉計器を必死に復旧させようと、津波で押し流されず済んだ自動車を見つけ、バッテリーを取り出した。原発の完全な電源喪失により、危険なほど過熱していた原子炉内の圧力を下げる蒸気放出作業(ベント)ができず、作業員は手動でバルブを開けなければならなかった。

 そのとき重大な判断ミスが発生していた。作業員は当初、発電所の非常用電源がほとんど機能していないことに気付いておらず、復旧の時間はもっとあると勘違いしていたことが調査で明らかになった。その結果、これまで想定していたよりも数時間早く核燃料の溶融が始まっていた。東京電力は今週、福島第1原発の6基ある原子炉のうちの1基で地震当日に相当なメルトダウン炉心溶融)が発生していたことを認めた。

 東電は16日、2000ページ以上に及ぶ原子炉の運転状況を記録した「日誌」を公開した。日誌からは、これまで明らかになっていなかった震災発生直後の様子を一部垣間見ることができる。地震発生直後、津波が到達する前、発電所作業員は原子炉の1つの予備冷却システムのバルブを閉鎖した。冷却システムは外部電源に依存していないため、閉じても問題はないと考えたためだ。専門家は、この判断が核燃料の急速な溶融を招いた可能性があるとしている。

 本紙の分析は、東電や政府資料を精査し、行政当局や企業幹部、国会議員、監督当局への数十回に及ぶ取材を基にしている。これにより、菅直人首相と東電幹部が真っ向衝突する異常な状況の中、原子炉の1つで危険な水準にまで上昇していた圧力を下げるためのベント作業について、なぜ東電幹部が最終的な決断を7時間も遅らせたのか、その詳細が新たに明らかになった。

 東電幹部は、危機の深刻さを当初認識していなかったことを認めた。ベントを決断したときには、既に建屋内の放射線レベルはかなり高まっていた。自ら志願して手作業で安全弁開放を行った作業員は、わずか数分間で日常生活時の1年間の被ばく量の100倍もの放射線を浴びることになった。

 政府自身も、菅首相自らが直接関与していたにもかかわらず、統一された早期対応策を示すことができなかった。当局者が楽観的過ぎる状況判断に足をすくわれたこともあるが、緊急対策室が置かれたビル自体も停電し、電話回線がつながらなかったことも一因だ。

 政府・東京電力統合対策室事務局長の細野豪志首相補佐官は 「それぞれの組織が自分のチャンネルを使って情報を発信し統一性がなかった」と述べている。

 マグニチュード(M)9.0の地震が発生した3月11日午後2時46分、福島第1原発の幹部の多くは発電所の会議室で監督当局と会議を行っていた。地面が揺れたのは、ちょうど会議を終えようとしていたときだった、と原子力安全・保安院横田一磨・統括原子力保安検査官は話す。ファイルが倒れ、壁や床はひび割れ、細かい白いほこりが辺りに舞った。

 そして電気が消えた。横田氏は神経質な笑みを浮かべながら当時を振り返って、「いやーひどいね」と誰かが言ったと述べた。

 だが、事態は統制されているように見えた。福島第1原発の稼働中の3つの原子炉は緊急停止した。予備のディーゼル発電機が作動するとともに非常灯が点灯し、警報器が鳴った。

 それからちょうど1時間後、約15メートルの津波が到達し、非常用電源が停止した。

 午後3時37分、東電本社の事故対策本部に福島第1原発から「全交流電源喪失」との通報が入った。これは発電所で交流電源を供給できなくなる状態を示す用語で、日本最大の原発の1つで完全な停電が発生したことを意味していた。

 当時事故対策本部にいた原子力設備管理部の小林照明課長は、そのとき「なんでブラックアウトしたの」と思ったと述べた。完全停電は災害対策で想定していた最悪の事態だった

 だが小林氏は、本当に深刻な事態に発展するまで、電源を復旧させる時間はまだ8時間あると考えていた。原子炉の燃料棒の冷却や主計器の電源となる予備電源は8時間持つと想定されていたためだ。予備電源は、発電所の最後の頼みの綱だった。

16日に公開された文書によると、東電作業員は、全部ではないとしても、ほとんどの予備電源が津波で機能不全に陥ったと今は考えている。だが、当時はそれが分からなかった。彼らは予備電源は依然機能しており、8時間の猶予があると考えていた。

 午後3時42分、菅首相率いる政府の震災緊急対策本部に交流電源喪失の通知が届いた。その場にいた2人の関係者によると、菅首相は通知を聞いて、「危ないのは原発じゃないか」と述べたという。

 福島第1原発に夕暮れが近づくと、技術者たちは取り外した車のバッテリーを使って臨時装置の電力とし、原子炉の中で何が起こっているのか解明しようとした。午後9時21分には危険なサインを発見した。1号機の水位が急激に下がっており、燃料棒がいまにも露出しそうだった。

 冷却装置がなければ水は沸騰し、炉内の圧力が高まる。沸騰した水の量が増えれば、燃料棒は溶け出し、空気に触れて反応する。そして、放射性物質を放出し、爆発を引き起こす危険がある水素ガスができる。

 午後11時頃、最初の発電用トラックが到着した。東京の首相官邸では歓声が上がった。

 だが、喜ぶのはまだ早かった。発電所の損傷したメインスイッチに、発電機をつなぐことができなかったのだ。ケーブルの一部が短すぎて、発電所の別の部分まで届かなかった。津波警報も発せられ、作業員は高台に避難しなければならなかった。最初の24時間のうちに接続できた発電機はわずか1台だったことを、東電の資料が示している。

 真夜中には、1号機の格納容器内の圧力が、設計時に想定された最大レベルをすでに50%超えていた。放射能レベルが非常に高かったため、東電の清水正孝社長は作業員に建物からの退避命令を出した。

 関係者によると、大胆な手段を取る必要があることが、東電と政府の目に明らかになってきた。すなわち、格納容器が圧力で破損する前に、原子炉内の蒸気を放出しなければならない。

 蒸気放出にはリスクがあった。蒸気は放射性物質を含んでいる可能性があり、近隣地域に危険を及ぼす。だが放出しなければ、容器が壊滅的に破壊される危険が非常に大きかった。菅首相海江田万里経済産業相は、午前1時半頃、公式に蒸気放出を認めた。

 その後何時間も続いたのは、情報の行き違いや混乱だった。3月12日午前2時45分、東電は原子力安全・保安院に1号機の格納容器内の圧力が想定最大レベルの倍になっているようだと伝えた。

 それでも、蒸気放出口は閉じられたままだった。首相官邸から、海江田経済産業相は東電の経営陣に1時間ごとに電話をし、進捗状況を尋ねた。午前6時50分、海江田経済産業相は蒸気放出を命じた。だが、実行はされなかった。

 東電が今週公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。

 政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。

 これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。

 3月12日の朝が近づくと、東電の役員を自らせっくために、菅首相福島第1原発に飛んだ。午前7時頃、10人乗りの自衛隊ヘリコプター、スーパーピューマは、菅首相と複数の補佐官を乗せ、発電所に到着した。

 一行が緊急の対策本部に入ると、東電の職員が放射線レベルをガイガーカウンターで確認した。同行した補佐官は振り返る。同時に入った発電作業員の放射線量が非常に高く、測定した職員はこう叫んだ。「あー、結構高いな、ここは」

 グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。

 同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。一時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。

 菅首相の補佐官によると、「人ぐりが悪い」と武藤副社長は言った。

 同席していた人にようると、菅首相は「悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ」と怒鳴った。

 この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。

 菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。

 かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。

 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。

 福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。関係者によると、彼は「俺が行く」と言った。

 彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。


正直言って、この記事のどこがどう新しいのか、私にはわからない。

大震災翌日夜に、官邸による下記のpdfファイルが公開されていたし、ネットで熱く議論されていたからだ。
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103122050.pdf


このpdfファイルの3ページには、こう書いてある。

(3月12日)03:00 原子炉格納容器内の圧力をベントを解放させて降下する措置を行う予定


ところが、WSJの記事によると、この日の朝、菅直人首相と怒鳴り合ったという東京電力副社長・武藤栄は、

あと4時間蒸気放出はできない

と言い放ったとのことだ。つまり、東電福島第一原発の現場はベントを決めていたのに、武藤ら東電の経営陣がそれにストップをかけていたことになる。私の想像通り、武藤ら東電経営陣の頭の中には、ただ一つ「原子炉の温存」しかなかったのだ。


最終的には東電の経営陣も折れた。WSJ

 菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。

と書く通りだ。しかし、その決断は遅きに失した。


やはり、この東電原発事故は、東電経営陣が犯した人災以外のなにものでもなかったのである。


WSJの記事は、手動でベントを行った勇者に言及している。

 かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。

 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。

 福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。関係者によると、彼は「俺が行く」と言った。

 彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。


このいきさつも、官邸の資料からたどれる。

10:49 2つあるベントのうち、片方の弁を開く作業が難航中。放出はされていない。


こんな状況下で、シフト・マネジャーによる決死の手動ベントが行われたのである。


官邸の資料に記された被曝状況は生々しい。それは、ベント作業を行ったシフト・マネジャー一人にとどまるものではない。以下引用する。

○人的被害 社員4名(うち2名は軽傷、残りの2名は負傷の程度は不明だが病院へ搬送)
      協力会社4名(うち1名両足骨折、残りの3名は負傷の程度は不明だが病院へ搬送)
      行方不明2名
      急病人2名(脳梗塞、左胸をおさえて立てない)
      管理区域内で17名が顔面に放射性物質が付着(病院への救急搬送を要しない程度の被ばく)
      ベント操作に伴い作業員1名が放射線大量被曝(線量106.30mSv)
      17:30にはオフサイトセンターに搬送


赤字ボールドの部分が、ベント作業を行ったシフト・マネジャーの被曝状況だ。


この資料を私は、3月12日の夜に目にした。後に原発事故の収束について、「オレなら手がある」というほざいたという「剛腕」の与党大物政治家は、その頃姿をくらましていた。大物政治家の言う「決死隊」は、3月12日の東京電力福島第一原発に現に存在したし、「裸の王様」が大酒をかっ食らっているであろう今も存在し続けている。


東電の温存も、緊急時に雲隠れしていた「剛腕先生」の跳梁跋扈も、ともに決して許してはならない。