Twitterで一昨年の記事にリンクが張られていた。
https://twitter.com/smoketree1/status/372015048417218561
Taka.
@smoketree1
なぜか大いに賞賛されている小泉氏の記事だが、私の感想はこちらと同じ。無責任にもほどがある。/「原子力立国計画」の総責任者・小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格なし - kojitakenの日記 (id:kojitaken) http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110529/1306663802 …
2013年8月26日 - 8:17
リンクを張られた記事は下記。
「原子力立国計画」の総責任者・小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格なし - kojitakenの日記(2011年5月29日)
民主党のエネルギー政策が「原発積極推進」に転換されたのは小沢一郎代表時代の2007年だが、一足早く自民党政権が「原子力立国」を打ち出したのは小泉純一郎内閣時代、2005年のことだった。
基本目標(『原子力政策大綱』)が2005年10月に閣議決定され、 実現方策(『原子力立国計画』)は2006年6月に策定された。いずれも、「郵政総選挙」で自民党が圧勝したあと、第3次小泉内閣時代のことだ。
さらに小泉は、2005年度限りで太陽光発電の補助金も打ち切った。
さらにさらに。小泉は、香川県多度津町に1982年に建設された原発耐震研究のための多度津工学試験場を「国費の無駄」と称して廃止した。これまた2005年9月のことだ。
郵政総選挙に大勝した小泉は、一気に「原発推進」のエンジンを全開にしたうえ、「安全神話」に頼って原発の耐震研究をリストラまでしてしまったのである。「郵政総選挙」で自民党にフリーハンドを与えてしまった日本国民の罪も重いが、それ以上に小泉の罪は、それこそ万死に値する。小泉純一郎のひどさは、小沢一郎の比ではない。
この世紀の大罪人が、今更何を言うか。そう言いたくなるニュースだった。
http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY201105280368.html
「原発の安全性発信は過ちだった」 小泉元首相、講演で
2011年5月28日19時41分
小泉純一郎元首相は28日、地元の神奈川県横須賀市内で講演し、東京電力福島第一原発の事故について「日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった」と話した。
日本食育学会・学術大会の特別講演で、演題は「日本の歩むべき道」。小泉元首相は「原発が絶対に安全かと言われるとそうではない。これ以上、原発を増やしていくのは無理だと思う」と続けた。
日本が1970年代の石油危機の教訓から石油燃料への依存を減らしてきたとも指摘し、「原発への依存度を下げ、世界に先駆けて自然エネルギーを推進しないといけない」と訴えた。
今回話題になっている下記記事を読んでも、もちろん私の感想は一昨年と変わらない。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130826ddm003070155000c.html
脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。
三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」
小泉が答えた。
「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」
「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」
3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。
呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。
その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。
原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。
原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。
帰国した小泉に感想を聞く機会があった。
−−どう見ました?
「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」
−−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」
「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」
もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)
毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊
小泉純一郎は大衆ウケをするようなことを言う前に、まず原発を推進した己の責任を総括しなければならない。
2007年に民主党の政策を「原発積極推進」に転換したり、1991年に核燃サイクル推進派の現職知事を当選させるために剛腕をふるったりした過去に未だに触れようとしない小沢一郎についても、小泉と同じことがいえる。