kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ヤクルト・宮本慎也内野手が引退へ

http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013082501001089.html

ヤクルトの宮本が引退へ プロ19年目の42歳


 プロ野球ヤクルトで3度の日本一に貢献し、日本代表の主将も務めた宮本慎也内野手(42)がプロ19年目の今季限りで現役を引退することが25日、球界関係者への取材で分かった。26日にも記者会見を行う。

 宮本は大阪・PL学園高から同志社大、社会人のプリンスホテルを経て1995年にドラフト2位でヤクルトに入団。95、97、2001年に日本一に輝き、昨年5月には通算2千安打を達成。05年から3年間、プロ野球選手会選手会長も務めた。

 日本代表ではアテネ、北京両五輪で主将を務め、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献した。

共同通信 2013/08/25 09:44)


テレビのプロ野球中継を見なくなって久しく、今年は4月下旬にヤクルトが読売を3タテした3連戦の2戦目の後半を見ただけだが、6月2日に千葉のQVCマリンフィールドで7年ぶりにスタンドでプロ野球の試合を観戦した。ヤクルト戦に限れば2002年6月の甲子園以来、実に11年ぶりの生観戦だったが、11年前と同様、敵地での快勝の試合だった。だが、下記にリンクした日刊スポーツのスコアから確認できるように、宮本は2点を勝ち越した8回表一死三塁のチャンスに代打で登場したものの、三振に倒れて追加点を挙げることはできなかった。
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2013/il2013060204.html
この時、宮本ももう見納めかもしれないなと思ったが、やはり今季限りで引退ということになった。


宮本のヤクルト在籍中に3度日本一になった時の日本シリーズ第5戦*1のスコアを確認すると、宮本は1995年にはセカンドの守備固めで9回表だけの出場だが、1997年には8番ショート、2001年には2番ショートで先発、全イニング出場している。つまり3度日本シリーズ制覇の瞬間にグラウンドにいた選手だった。
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore1995_5.html
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore1997_5.html
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore2001_5.html


ヤクルトは2001年を最後にリーグ優勝から遠ざかり、特に2008年から監督を務めた読売OBの高田繁がチームをガタガタにして読売に歯が立たないお荷物球団にしてしまったかに見えたが、2010年のシーズン途中で高田繁を更迭して小川淳司が采配を振るうようになると、一転して力を盛り返し、同年は優勝した中日や3位の読売をいじめ、それが翌2011年に優勝目前まで行く快進撃につながった。この年は、落合博満の更迭を焦った中日球団フロントの妄動が逆に中日の選手を奮い立たせるという余計なことをしてくれたおかげでヤクルトは優勝を逃したが、一度高田繁にボロボロにされたチームが立ち直ったのは、小川監督の功績もあっただろうけれども、過去の栄光を知る宮本がチームにいたことが大きかったのではないか。あの年、最後に負けたとはいえ、ヤクルトに黄金期の遺産がまだ生きていたことに驚いた。

そのヤクルトも、昨年、そして今年と年々チーム力を落とし、落合を更迭して過去に監督失敗歴のある高木守道を監督にした球団経営陣がチームを弱体化させた中日ともども没落したために、今季の読売リーグは独走の読売を少し離れて阪神が追い、他の4球団は蚊帳の外という、まるで70年代に逆戻りしたかのような、否、70年代でもそうそうはなかったと思われるようなくそ面白くもないペナントレース展開になってしまった。

思えば宮本が初めてスタメンで日本シリーズ制覇を経験した1997年は最高のシーズンだった。この年は開幕の読売戦で小早川毅彦が読売の大エース・斎藤雅樹から3連発を放ったのを皮切りにヤクルトが独走していたが、夏場に横浜の怒濤の追い上げを受けた。ヤクルトは過去の優勝で読売(1978年)、阪神(1992年)、中日(1993年)、広島(1995年)に競り勝ったことがあったが、横浜との優勝争いは1997年が最初だった。過去にも何度か書いたと思うが、子供の頃に見ていたプロ野球は、いつも読売を阪神が追う展開だったから、「良い時代になったなあ、でもこんな年はこれが最初で最後じゃないかなあ」と思った。この年、読売、阪神、中日が揃ってBクラスに落ち、「伝統あるチームが弱いとリーグが盛り上がらない」と、読売リーグの会長らが地団駄を踏み、彼らとナベツネらは以後巻き返しに出てきた。悪い予感は当たり、時計の針は40年前に戻された。

今にして思えば一昨年は最後のチャンスだったかもしれないが、宮本が「勝つ味」を現世代の主力選手たちと分かち合い、伝統を引き継ぐことは残念ながらできなかった。世間一般ではWBCや五輪の印象が強いと思われる宮本だが、やはりヤクルト黄金期を支えた名内野手として記憶されるべき選手であろう。

*1:この3度のシリーズで、ヤクルトはいずれも神宮球場の第5戦でシリーズ制覇を決めた。

小沢一郎の肝臓?

一瞬不味そうだなあと思ってしまった(笑)


https://twitter.com/ecoyoko/status/371421173587787777

川崎陽子 KAWASAKI Yoko
@ecoyoko


鶴見芳浩ニューヨーク市大教授の著書『アメリカ殺しの超発想』(1994年)を読んで日本を操る「小沢レバー」があったことは衝撃でした→ http://senmon.fateback.com/soukagakkai/katsudou/00008.html … QT @elkorevolo @ittten @euematsu 小沢さんが反米の英雄という小沢派・・


2013年8月24日 - 16:58


リンク先より。1998年に書かれた文章らしい。霍見芳浩の著書は、上記Twitterにもある通り1994年の出版。

(前略)日本を操るアメリカの秘密兵器は「小沢レバー」であった。レーガン、ブッシュ、クリントンと続く米国大統領は誰もが、日本政治のフィクサー小沢一郎を利用して市場開放、湾岸戦争への拠出金、米国からの武器調達等の要求を次々に日本に呑ませ、小沢はその見返りにリベートや利権を手にしてきた。米国が日本の腐敗した金権政治に一役も二役も買ったのは間違いない。

在米30年以上のニューヨーク市立大学教授、霍見芳浩氏は著書『アメリカ殺しの超発想』で、この「小沢レバー」を詳細にわたって暴露している。筆者によれば、米国はアメとムチの両方を使って小沢を操ってきたという。アメは在日米軍関係のリベートや、日本の特定市場開放に伴う日本の関係企業からの献金だった。もちろんこうしたリベートはただで与えられるはずはない。そこには恐喝というムチも利用されてきた。例えば小沢、池田、ノリエガの三角関係である。以下、同書からの抜粋である。(以下略)


しかしこの霍見芳浩という人、こんなことも書いている。


この素晴らしき薄汚れた世界 : 「国策冤罪天国の日本と民主党潰し」 霍見芳浩教授の論文から

昨年の西松事件のときのもので少し古いのですが、今回の陸山会の問題と同じですので、ニューヨーク市立大学の霍見教授の論文の一部を掲載します。日本のメディアには見当たらない貴重なご意見です。論文は『ニューリーダー』に掲載されたものです。

「国策冤罪天国の日本と民主党潰し」 霍見芳浩

小沢騒動と日本の司法腐敗

日本の商業メディアは、また、検察庁の冤罪リークに踊らされて、小沢一郎民主党代表の「西松建設汚職」をあたかも真実のように噺し立てている。しかし、推定無罪(有罪が裁判で立証されるまでは、起訴されても被疑者は無罪の推定)の民主的法治国の精神が、国民の多くに浸透しているから、ニューヨーク・タイムズ紙も東京発記事で控え目に小沢一郎氏の秘書が政治献金規正法違反の疑いで逮捕された」と事実を報じただけである。しかも行間には、日本通でなくとも、「次の総選挙で敗色の濃い麻生自民党と司法官僚による国策冤罪捜査の臭いがある」と分かる警告がにじみ出ていた。しかし、日本のメディアは「小沢氏有罪」を煽っている。民主党議員の中にもメディアの尻馬に乗って、小沢批判をバラ捲く者もいる。

日米共に、政治献金規制法はザル法の典型でループホール(抜け道)だらけ。特に日本の政治献金規制法は、規制されたくない議員と国策捜査のサジ加減が欲しい司法官僚が国民の無知を良い事に作ったのだから、時の内閣と司法官僚(検察庁と裁判所)による政敵潰しに悪用される。日本の商業メディア人と違って、権力監視のジャーナリズム文化の担い手のニューヨーク・タイムズ紙の在京記者は、検察庁の「特種リーク戦術」に迷わされなかった。事実だけの第一報の後は、検察庁リークの情報操作に乗せられていない。小沢一郎民主党代表としては、「やましい事はしていない。汚職の証拠があるなら、私を堂々と起訴しろ」と麻生内閣検察庁と対決すべきである。(以下略)


これらベクトルの向きが正反対の文章群のおかげで、霍見芳浩は反小沢派からも「小沢信者」からも文章を引用される希有の人物になっている。いや、そういう人は珍しくないかもしれない。たとえば有名ブロガーにも、極端な反小沢から「小沢信者」へと転向し、小沢が没落した現在は距離を置いている人間がいる。

いずれにせよ、主張の振れ幅が極端に大きな人物の言説は信頼を置くに値しないだろう。

なお、「小沢レバー」の「レバー」とは、"liver" じゃなくて "lever" なんだろうな、いくらなんでも。

「なんちゃって反米右派」石原慎太郎の化けの皮を剥いだ好著・豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』

小沢一郎には「親米」の顔と「反米」の顔があって、小沢の手前勝手な都合で使い分けているだけだが、その小沢にも政治的信念はあって、その一つが「集団的自衛権の政府解釈を変更すべき」ということだというのは、今や誰でも知っている常識だろう。中には、「集団的自衛権の政府解釈変更」に反対しながら、小沢一郎が一貫してそれを求め続けてきた事実から目をそらしている不誠実な「リベラル派」のブログもあるが、毎日新聞が2007年の参院選以来、国政選挙の度に行っている「えらぼーと」に毎回「集団的自衛権の政府解釈変更」の是非を問う項目があって、小沢一郎は2009年も2012年も政府解釈変更を求めているほか、今年の参院選でも生活の党としての方針が「集団的自衛権の政府解釈を変更すべき」というものであった事実を改めて指摘しておく。これまで何度書いたかわからないけれど。

集団的自衛権の件はともかく、小沢一郎がご都合主義で親米にも反米にもなる人間だということは常識の範疇に属する事項だと思うが、石原慎太郎の「反米」も見せかけだけである事実は案外知られていない。この事実を鋭く指摘したのが豊下楢彦著『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫, 2012年)である。


「尖閣問題」とは何か (岩波現代文庫)

「尖閣問題」とは何か (岩波現代文庫)


この本について、さる(ある程度)有名なネトウヨのブログ*1は「豊下楢彦氏の著作を少しネットで調べると、かなり左に偏った主張を展開しているように思えた」と書いているが、私が読んだ限り、著者は高坂正堯を高く評価するなど、昔なら「右寄り」、今の基準でも「中道」と言って差し支えない論者だろうと思った。それが「左に偏っ」ているように見えるくらい今の右翼のものの考え方、見方がコチコチに硬直して劣化著しいということだろうが、それはともかく、この本で目を引いたのは第3章に指摘された事項だ。


本書でも言及されているが、2012年5月10日付中日(東京)新聞に、本書の著書・豊下楢彦氏が書いた下記の論評が掲載された。

尖閣諸島購入」問題の本質 米国の立ち位置隠し
豊下楢彦


 石原慎太郎東京都知事が、尖閣諸島のうち個人所有の3島を都として購入する方針を明らかにしたことで、その狙いや賛否をめぐり議論百出の状態である。しかし、問題の本質をえぐった議論は提起されていない。
 石原氏は購入の対象として魚釣島、北小島、南小島の3島を挙げている。しかし、同じく個人所有の久場島については全く触れていない。なぜ久場島を購入対象から外すのであろうか。その答えは同島が、国有地の大正島と同じく米軍の管理下にあるからである。海上保安本部の公式文書によれば、これら2島は「射爆撃場」として米軍に提供され「米軍の許可」なしには日本人が立ち入れない区域になっているのである。
 それでは、これら2島で米軍の訓練は実施されているのであろうか。実は1979年以来30年以上にわたり全く使用されていないのである。にもかかわらず歴代政権は、久場島の返還を要求するどころか、高い賃料で借り上げて米軍に提供するという「無駄な行為」を繰り返してきたのである。ちなみに、一昨年9月に中国漁船が「領海侵犯」したのが、この久場島であった。それでは事件当時、同島を管轄する米軍は如何に対応したのであろうか。果たして、米軍の「抑止力」は機能していたのであろうか。
 より本質的な問題は、他ならぬ米国が尖閣諸島の帰属のありかについて「中立の立場」をとっていることである。久場島大正島の2島を訓練場として日本から提供されていながら、これほど無責任な話があるであろうか。なぜ日本政府は、かくも理不尽な米国の態度を黙認してきたのであろうか。
 言うまでもなく日本政府は一貫して「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題などは存在しない」と主張してきた。ところが米国は、1971年に中国が公式に領有権を主張して以来、尖閣諸島について事実上「領土問題は存在する」との立場をとり続けてきたのである。
 とすれば日本がなすべき喫緊の課題は明白であろう。尖閣5島のうち2島を提供している米国に、帰属のありかについて明確な立場をとらせ、尖閣諸島が「日本固有の領土である」と内外に公言させること。これこそが、中国の攻勢に対処する場合の最重要課題である。これに比するなら「3島購入」などは些末な問題にすぎない。
 しかし、仮に同盟国である米国さえ日本の主張を拒否するなら、尖閣問題が事実として「領土問題」となっていることを認めざるを得ないであろう。その場合には、日中国交正常化以来の両国間の「外交的智慧」である「問題の棚上げ」に立ち返り、漁業や資源問題などで交渉の場を設定し妥結をめざすべきである。
 いずれにせよ、石原氏が打ち上げた「尖閣諸島購入」という威勢の良い「領土ナショナリズム」は結局「中立の立場」という無責任きわまりない米国の立ち位置を覆い隠す役割を担っているのである。
(とよした ならひこ)=関西学院大教授、国際関係論・外交史

中日新聞 2012年5月10日)


東京新聞の読者でない私は、豊下氏の著書を読むまでこの事実を知らなかった。2011年に書かれた孫崎享の「トンデモ」ではない方の著書『日本の国境問題』(ちくま新書, 2011年)にもそんなことは書いてなかった。孫崎も豊下氏の記事が新聞に載るまでこのことを知らなかったのか、Twitterで感嘆の声をあげていた。

https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/200710855824912385

孫崎 享
@magosaki_ukeru


尖閣諸島・石原:豊下教授鋭い。「尖閣諸島購入」問題の本質 米国の立ち位置隠し 豊下楢彦(10日付東京新聞):石原氏は購入の対象は魚釣島、北小島、南小島。しかし、同じく個人所有の久場島に言及無し。なぜ久場島を購入対象から外すか。その答えは同島が、国有地の大正島と同じく米軍の管理下。


2012年5月10日 - 15:16


著者の指摘に慌てたのか、石原は同年6月8日になって、久場島も取得すると言い出した。こちらは朝日新聞の記事がネットに残っている。
asahi.com(朝日新聞社):尖閣・久場島も購入検討 石原都知事 - 尖閣諸島問題

尖閣久場島も購入検討 石原都知事


 尖閣諸島の購入を計画している東京都の石原慎太郎知事は8日の定例会見で、これまで購入対象としていた魚釣島、北小島、南小島の3島に加え、久場島も取得する考えを示した。

 石原知事によると、久場島は3島を所有する男性の妹が所有しており、「(親族間で)どう説得されるか分かりませんが、併せて取得できると思っている。一島だけ別の人が持っていたらややこしい」と語った。11日に所有者の男性と今後の手続きについて協議するという。

 久場島は1972年から現在の防衛省が賃借しており、米軍が訓練に使える射爆場となっている。賃料は公表されていない。

 一方、9、10日に都職員が参加予定だった尖閣海域での漁業ツアーについて、知事は「非常に政治色の強いグループ。やめさせた」と派遣中止を表明した。

 また、丹羽宇一郎駐中国大使が英紙のインタビューで尖閣諸島購入計画について「日中関係に極めて重大な危機を招く」と述べたことについて、「もう少し自分の国のことを勉強してものを言え。じゃなきゃ大使の資格はない」と批判した。

朝日新聞デジタル 2012年6月8日19時45分)

しかしこの朝日の記事には石原発言の背景が何も書かれていないので、この記事だけでは石原の意図はさっぱりわからない。


しかも石原は、9月7日の定例記者会見で久場島取得の意向をあっさり撤回してしまったのである。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/ARC/20121031/KAIKEN/TEXT/2012/120907.htm

【記者】尖閣諸島に関連してなんですが、以前知事は、魚釣島と北小島、南小島とあと、久場島も一括で購入ということを…。

【知事】久場島は地権者の妹さんが持ってアメリカにリースしているようですからね。アメリカも今まで爆撃演習に使ってたみたいで、それはそのままで良いんじゃないですか。

【記者】それは国有化しなくても良いと。

【知事】それは、とにかく日本の国土が一部、爆撃の対象にされてたのは悔しい話だけれど、この頃あまりやってないみたいだから。この契約がどういう形でこれから変わっていくか分かりませんけれども、今現在、アメリカとのそういう貸借関係にあるみたいだから、これは私達が口出せる問題じゃない。返してもらいたいなら、日本の外務省が交渉すべきことです。


ところが久場島大正島の米軍射爆場が1979年以来30年以上も使われていないことを著者は明らかにしている。2010年に社民党照屋寛徳代議士が提出した質問趣意書*2に対する政府の答弁書*3に、下記の驚くべき事実が示されている。

 久場島及び大正島は、昭和四十七年五月十五日に開催された、日米地位協定第二十五条1の規定に基づき設置された合同委員会(以下「日米合同委員会」という。)において、日米地位協定第二条1(a)の規定に従い、それぞれ黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場として、米軍による使用が許されることが合意された。
 久場島は民間人一名が、大正島は国が所有している。
 黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場は、それぞれ陸上区域、水域及び空域で構成されており、日米合同委員会における合意において、米軍がその水域を使用する場合は、原則として十五日前までに防衛省に通告することとなっているところ、昭和五十三年六月以降はその通告はなされていないが、米側から返還の意向は示されておらず、政府としては、両射爆撃場は、引き続き米軍による使用に供することが必要な施設及び区域であると認識している。


「黄尾嶼」とは久場島の、「赤尾嶼」とは大正島の中国名であり、そんな名前を政府が正式名称として用いていること自体驚きであるが、米軍の射爆撃場として過去に使われており、最近は30年以上も放置されているけれども未だに米軍に借り上げられた状態のままであり、それにもかかわらずアメリカが尖閣諸島の帰属について今に至るもあいまいな立場をとり続けているという矛盾に満ちた状況になっている事実を、私は全く知らなかった。前述のように孫崎の著書にはそんなことは書かれていないし、尖閣諸島の地権者だった栗原一族に触れた部分のある佐野眞一の『誰にも書かれたくなかった沖縄』(集英社文庫, 2011年)にも、久場島が米軍の射爆場として用いられていることが一言さらりと触れられているだけだった。領土問題が主題ではない佐野本はともかく、領土問題をメインテーマにしている孫崎本がそんなことで良いのかと思わずにはいられなかった。

孫崎の悪口はともかく、著者は、尖閣諸島をめぐって日中関係が悪化した引き金を引いた、石原の2012年4月16日のヘリテージ財団における講演で、石原が「(尖閣を)国が買い上げると支那が怒るからね」と発言した事実を指摘し*4、石原の意図を下記のように推定している。

(前略)「本当はね、国が買い上げたほうがいいんだけれど、国が買い上げると支那が怒るからね」と語っているのである。つまり、尖閣諸島の「国有化」が中国の大きな反発を引き起こすであろうことを十分に織り込んだ上での購入方針の提起であった。

 つまり、東京都による尖閣購入をうちあげ、次いで政府をして「国有化」せざるを得ない状況をつくり出し、日中関係の緊張を激化させようという訳である。それでは石原氏は、より具体的に、いかなるシナリオを描いているのであろうか。例えば二〇一〇年九月の中国漁船の領海侵入事件をめぐって同氏は、「つまり、本当の軍事紛争にはならない。軍隊まがいの人間がきて、ああいうこと(船長の逮捕)をしても、捕まえるのも(海上保安庁だった。あれは軍隊が出て行って追っ払ったらいい。それでそれが軍事紛争になるなら、アメリカが、もっとそれを拡大したら踏み込んでこざるを得なくなる」といった見取り図を披瀝しているのである(『田原総一朗 談論爆発!』ニコニコ動画、二〇一一年五月一七日配信*5)。

 要するに、海上保安庁が対応しているだけでは軍事的緊張状態が生まれにくいから、自衛隊を前面に出すことによって軍事紛争を引き起こし、米国が軍事的に介入せざるを得ない状況をつくりだそう、ということなのである。だからこそ、彼が主導してきた「たちあがれ日本」はその「政策宣言」(二〇一二年七月四日)*6で、「尖閣諸島への自衛隊の配備」を最優先課題においているのである。このように、石原氏にとって尖閣問題は今や、その「防衛」というよりは、中国との関係をひたすら悪化させて軍事紛争の勃発を導く「引き金」として位置づけられているのである。

 二〇一二年八月一五日に香港の活動家が魚釣島に上陸する事件が起こった時に石原氏は、「首相が自分で行ったらいいよ。尖閣諸島に。野田(首相)が行ったらいいんだよ。私は首相がこの段階になって行かないのは怠慢だと思うけどね」と強調したが、韓国の李明博大統領による竹島訪問が引き起こした衝撃を考えるとき、「野田首相による尖閣訪問」がいかなる事態を引き起こすか、同氏の狙いが透けて見えるというものである。

 いずれにせよ、日本と中国の軍事紛争に米軍が出てこざるを得ない状況をつくり出すというシナリオを描いているからこそ、石原氏はワシントンの財団で尖閣購入をぶちあげ、後に触れるように米国の有力紙に「支援」を求める公告を出したのであり、だからこそ久場島大正島がおかれている「屈辱的な現実」には一切触れようとしないのである。

 とはいえ、日本が尖閣諸島をめぐって中国と戦争するとき、果たして米国は日本を軍事的に支援するのであろうか。人も住まない小さな島々のためには米国は中国と戦争をするべきと考えるのは、石原氏が講演したヘリテージ財団に象徴される、イラク戦争を主導した好戦的で対中強硬派の勢力しか存在しないのではなかろうか。つまり石原氏は、中国との関係をひたすら悪化させるパフォーマンスには長けていても、その後の戦略的なシナリオを欠落させているのである。

豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫, 2012年)94-96頁)


非常に説得力のある指摘である。ここで著者は、「なんちゃって反米右派」石原慎太郎の化けの皮を剥ぎ、石原が卑小な「戦争呼び込み屋」に過ぎない事実を暴き出すとともに、石原の空恐ろしくも邪悪な意図を鋭く指摘している。

著者がいう「ヘリテージ財団に象徴される、イラク戦争を主導した好戦的で対中強硬派の勢力」は、ブッシュ政権時代には政権への強い影響力を持っていたが、現オバマ政権への影響力が強いとは思われない。それどころか、古くは小沢一郎がずっと、そして今安倍晋三が熱心に推進している「集団的自衛権の政府解釈変更」にも同政権は冷淡なようにも見受けられる。アメリカにとってみれば、日本が「集団的自衛権の政府解釈変更」で米軍の戦力を一部担ってくれるメリットと、日中・日韓関係の悪化などによってアメリカ経済が蒙るデメリットを秤にかけて、必ずしも前者を選びかねているという状況なのではないか。そんな状況なのに、日本の右派がイケイケドンドンで突き進んでいることに恐怖を感じる今日この頃だったりする。

なお、本書は孫崎の『日本の国境問題』とは違って、中国の尖閣諸島領有権の主張を、中国(や孫崎享)が根拠として挙げている井上清の論考も紹介した上でこれを俎上にあげて論考し、結論として井上(や中国・孫崎ら)の主張を退けているし、「中国脅威論」にも与する立場に立つ。さらに、1964年に発表された高坂正堯の「海洋国家論」を高く評価している。「海洋国家論」で高坂は、60年代当時に主張された社会党の「非武装中立論」と、いわゆる「軍事的現実論者」の「重武装論」を「両極」として否定し、「必要最小限の軍備を持った自主防衛」の可能性を論じた。著者も書く通り、70年代には高坂正堯は「左」側から「御用学者」として批判されていた。当時の左翼論者から見れば、本書も「御用学者の妄言」として切り捨てられるものであろう*7。だが、孫崎享の『日本の国境問題』と本書の両方を読んだ私が軍配を上げるのは本書の方である。孫崎本は税抜きで760円、本書は同1020円だが、孫崎本を読んだあと本書を読んで、その充実度の差に驚いた。逆に本書を読んでから孫崎本を読んだなら、「なんだ、この駄本は」としか思わなかったであろう。孫崎本も、同じ著者によるトンデモ本『戦後史の正体』みたいな論外の書ではないのだけれど、本書の著者を「中道」とするなら、孫崎は「リベラル・左派の皮を被った右翼」でしかない。そのペラペラの化けの皮でなんとか読ませるのが『日本の国境問題』、化けの皮が完全に剥がれて右翼の正体を剥き出しにしているのがあのトンデモ本『戦後史の正体』だといえるだろう。

またまた孫崎の悪口へと脱線してしまったが、本書が、自分では「保守右派リアリスト」のつもりであるらしいブログ『日はまた昇る』の著者には「かなり左に偏った主張」に見えることについて、今は私が最初に政治に関心を持つようになった1970年代とは時代が隔絶してしまったんだなあと呆然とするばかりなのである。

*1:http://thesunalsorises.hatenablog.com/entry/2013/01/05/141526

*2:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a176044.htm

*3:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b176044.htm

*4:本書6頁, 94頁

*5:http://live.nicovideo.jp/watch/lv49658192

*6:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120704/stt12070419250008-n2.htm

*7:本書を肯定的に論評する私自身も、70年代であれば「何だあの保守反動は」と非難される存在だろうと自分では思っているのだが、そのような非難を受けるよりも「極左」と言われることの方がよほど多い。