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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ヤクルト・宮本慎也内野手が引退へ

http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013082501001089.html

ヤクルトの宮本が引退へ プロ19年目の42歳


 プロ野球ヤクルトで3度の日本一に貢献し、日本代表の主将も務めた宮本慎也内野手(42)がプロ19年目の今季限りで現役を引退することが25日、球界関係者への取材で分かった。26日にも記者会見を行う。

 宮本は大阪・PL学園高から同志社大、社会人のプリンスホテルを経て1995年にドラフト2位でヤクルトに入団。95、97、2001年に日本一に輝き、昨年5月には通算2千安打を達成。05年から3年間、プロ野球選手会選手会長も務めた。

 日本代表ではアテネ、北京両五輪で主将を務め、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献した。

共同通信 2013/08/25 09:44)


テレビのプロ野球中継を見なくなって久しく、今年は4月下旬にヤクルトが読売を3タテした3連戦の2戦目の後半を見ただけだが、6月2日に千葉のQVCマリンフィールドで7年ぶりにスタンドでプロ野球の試合を観戦した。ヤクルト戦に限れば2002年6月の甲子園以来、実に11年ぶりの生観戦だったが、11年前と同様、敵地での快勝の試合だった。だが、下記にリンクした日刊スポーツのスコアから確認できるように、宮本は2点を勝ち越した8回表一死三塁のチャンスに代打で登場したものの、三振に倒れて追加点を挙げることはできなかった。
http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2013/il2013060204.html
この時、宮本ももう見納めかもしれないなと思ったが、やはり今季限りで引退ということになった。


宮本のヤクルト在籍中に3度日本一になった時の日本シリーズ第5戦*1のスコアを確認すると、宮本は1995年にはセカンドの守備固めで9回表だけの出場だが、1997年には8番ショート、2001年には2番ショートで先発、全イニング出場している。つまり3度日本シリーズ制覇の瞬間にグラウンドにいた選手だった。
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore1995_5.html
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore1997_5.html
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore2001_5.html


ヤクルトは2001年を最後にリーグ優勝から遠ざかり、特に2008年から監督を務めた読売OBの高田繁がチームをガタガタにして読売に歯が立たないお荷物球団にしてしまったかに見えたが、2010年のシーズン途中で高田繁を更迭して小川淳司が采配を振るうようになると、一転して力を盛り返し、同年は優勝した中日や3位の読売をいじめ、それが翌2011年に優勝目前まで行く快進撃につながった。この年は、落合博満の更迭を焦った中日球団フロントの妄動が逆に中日の選手を奮い立たせるという余計なことをしてくれたおかげでヤクルトは優勝を逃したが、一度高田繁にボロボロにされたチームが立ち直ったのは、小川監督の功績もあっただろうけれども、過去の栄光を知る宮本がチームにいたことが大きかったのではないか。あの年、最後に負けたとはいえ、ヤクルトに黄金期の遺産がまだ生きていたことに驚いた。

そのヤクルトも、昨年、そして今年と年々チーム力を落とし、落合を更迭して過去に監督失敗歴のある高木守道を監督にした球団経営陣がチームを弱体化させた中日ともども没落したために、今季の読売リーグは独走の読売を少し離れて阪神が追い、他の4球団は蚊帳の外という、まるで70年代に逆戻りしたかのような、否、70年代でもそうそうはなかったと思われるようなくそ面白くもないペナントレース展開になってしまった。

思えば宮本が初めてスタメンで日本シリーズ制覇を経験した1997年は最高のシーズンだった。この年は開幕の読売戦で小早川毅彦が読売の大エース・斎藤雅樹から3連発を放ったのを皮切りにヤクルトが独走していたが、夏場に横浜の怒濤の追い上げを受けた。ヤクルトは過去の優勝で読売(1978年)、阪神(1992年)、中日(1993年)、広島(1995年)に競り勝ったことがあったが、横浜との優勝争いは1997年が最初だった。過去にも何度か書いたと思うが、子供の頃に見ていたプロ野球は、いつも読売を阪神が追う展開だったから、「良い時代になったなあ、でもこんな年はこれが最初で最後じゃないかなあ」と思った。この年、読売、阪神、中日が揃ってBクラスに落ち、「伝統あるチームが弱いとリーグが盛り上がらない」と、読売リーグの会長らが地団駄を踏み、彼らとナベツネらは以後巻き返しに出てきた。悪い予感は当たり、時計の針は40年前に戻された。

今にして思えば一昨年は最後のチャンスだったかもしれないが、宮本が「勝つ味」を現世代の主力選手たちと分かち合い、伝統を引き継ぐことは残念ながらできなかった。世間一般ではWBCや五輪の印象が強いと思われる宮本だが、やはりヤクルト黄金期を支えた名内野手として記憶されるべき選手であろう。

*1:この3度のシリーズで、ヤクルトはいずれも神宮球場の第5戦でシリーズ制覇を決めた。