kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「どげんかせんといかん」が東国原英夫知事の言葉とは知らなかった

政治ブログを運営していながら恥ずかしい話なのだが、「どげんかせんといかん」というのが東国原英夫・宮崎県知事の発言とは知らなかった。

私はもともと平日はテレビをあまり見ない人間だ。日曜日の午前中は政治番組をハシゴするので、東国原が「宮崎をどげんかせんといかん」と言っていた映像は見ていたに違いないが、全く印象に残っていない。そもそも私は宮崎県知事選への関心が極めて薄く、東国原が勝利した時も、それだけ自民党民主党も信頼を失っているんだなあ、と感じた程度のものだった。東京の青島幸男や大阪の横山ノックの体たらくは忘れていないので、就任早々東国原がぶれたり、従軍慰安婦や徴兵制に関して極右的な発言をするのを聞いても、最初から東国原には何の期待もしていなかったから、特に腹も立たなかった。

東国原について印象に残っているのは、某人に教えてもらったサンデー毎日・日下部聡記者が毎日新聞本紙の「記者の目」に書いた記事で、「きまぐれな日々」でも紹介した。
きまぐれな日々 東京都知事選の結果と安倍内閣支持率、そして憲法問題

 (前略)石原氏の「集客力」は他候補とはケタ違いだった。石原氏の演説に足を止めた無党派を名乗る人たちに話を聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「あれだけ大きいことできる人だもの。私らとは違うんだから。高い店で飲んだり、高級ホテルに泊まったりもするでしょう」=元会社員の男性(65)

 「いろいろ批判はあるけど、迫力があって引っ張っていってくれそうな感じがする」=主婦(37)

 石原氏のオーラは、最も強い逆風だった「都政私物化」批判さえ吹き飛ばしてしまったのだ。

 こうした有権者の傾向を臨床心理士矢幡洋氏は、「アイドル政治家症候群」(中公新書ラクレ)と名づけている。石原氏や田中康夫・前長野県知事小泉純一郎前首相誕生時の圧倒的人気。そして今年1月、東国原英夫そのまんま東)氏の宮崎県知事当選−−一見、無党派層が強大な力を持ったかに見えて、実は逆に無力化しつつあると矢幡氏は指摘する。

 「リビングでテレビを見る感覚で候補者を論評する。そこにあるのは、主体的に発言・行動する姿勢ではなく、『○○さんなら何かやってくれるだろう』という依存的な心理です」

 (中略)

 「何かやってくれそうな人」をヤンヤの喝采(かっさい)で迎え「あとはお任せ」では、無責任というものだ。政治を「お上の仕事」と見る発想から抜け切れていないともいえる。視点を変えれば「強者」への迎合の心理も見え隠れする。

 (後略)

毎日新聞 2007年4月11日付「記者の目」:『東京都知事選「無党派層」に問う』=日下部聡・サンデー毎日記者=より)

石原慎太郎田中康夫、コイズミ、そして東国原を持ち上げた大衆心理の根っこはすべて同じという指摘だ。いとも簡単にポピュリズムに乗せられてしまう大衆を鋭く批判した注目すべき記事である。

ポピュリズムは、煽る方も悪いが、乗せられる方も罪深いとつくづく思う。そういえば、今頃になって東京都知事選で新自由主義者浅野史郎を応援したのは間違いだったと言い始めたブログがあるが、一体何が言いたいのだろうか?

東京都の教育改革を見れば分かる通り、石原こそ生粋の新自由主義者にしてポピュリストだ。まさか「反米」であれば「反新自由主義」だなどという馬鹿げた思い込みでもあるのだろうか。

「反米」と「新自由主義支持」は立派に両立する。石原慎太郎はその典型例だ。石原は2005年に新自由主義者に転向したのではない。大昔から新自由主義者だったのだ。

都知事選は、何が何でも石原を倒さなければならない選挙だった。石原に評価できる部分など何一つない。