kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

社会民主主義と陸続きにあった70年代リベラル

新自由主義と陸続きにあった80年代都市リベラル - Munchener Brucke にて、「私は中高生時代に左翼教師の洗礼を受けて、左翼的思想に染まり、90年前半20歳前後で新自由主義の洗礼を浴び、2003年頃から新自由主義に疑問を持つようになった」とあるが、私も高校時代に政治経済の教師に影響を受けた口だ。ただし、私は「Munchener Brucke」の管理人・kechackさんよりは一世代上に当たる。70年代末に、憲法9条や靖国問題、有事立法問題などについて、授業で「左寄り」の意見を吹き込まれていたのだが、その頃、イギリスにサッチャー政権が成立した。

当時、朝日新聞の論説顧問を都留直人氏が務めていた。また、森嶋通夫氏の「イギリスと日本」(岩波新書)が話題になっていた頃でもあった。新自由主義政権のはしりは、1973年の「9・11クーデター」で成立したチリのピノチェト政権だそうだが、先進国で最初に新自由主義政策をとったのがサッチャーだった。もちろん、当時は「新自由主義」なる用語はなかったが、朝日新聞政経の教師もサッチャーに対して批判的だったし、私もサッチャーやその後相次いで登場したレーガン中曽根康弘らに対していずれもネガティブなスタンスをとった。これは、経済政策よりむしろ政治思想面での彼らのタカ派的政策への嫌悪のウェートが重かったのだが、規制緩和などの新自由主義政策に対しても、批判的な視座が当時の朝日新聞など左派系メディアにおける主流だったと記憶している。

朝日新聞は、90年代前半の「政治改革」の頃から徐々に変節していったのだろう。朝日には、石川真澄という記者(2004年没)がいて、私はこの記者が好きだったのだが、石川は政治改革に異を唱え、特に小選挙区制を厳しく批判した。しかし、当時テレビ朝日の「サンデープロジェクト」などで、政治改革批判者には「守旧派」とのレッテルが貼られた。皮肉にも、小泉純一郎は政治改革にはいたって消極的で、中選挙区制の維持を唱えていた。そして、朝日新聞社内で、石川真澄の主張は主流から外れていき、「政治改革」に理解を示す論調が朝日の社論となった。

だから、「朝日系というのは真の左翼でなくて、80年代都市リベラルの系譜で、新自由主義と親和性がある」という「Munchener Brucke」の指摘には、それこそ違和感を感じる。朝日はもとからそうだったのではなく、変節したのだというのが私の意見である。テレビ朝日は、朝日新聞よりも先に変節した。ただ、左派は政治思想には敏感だが、経済思想には鈍感なところがあるので、朝日新聞の変節がさほど問題にならず見過ごされてしまったのではなかろうか。

かつては、朝日新聞岩波書店の言論は、社会民主主義と陸続きにあったように思う。