kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

筑紫哲也の福田康夫論が興味深い

TBSの筑紫哲也追悼番組を見て、筑紫が福田康夫の友人だったと知った。
番組でも紹介された筑紫哲也鳥越俊太郎の往復書簡で交わされた福田康夫論は、なかなか面白い。

まず、9月5日付で鳥越が次のように書く。
http://www.taji-so.com/exchange/080905.html

総理大臣が突然辞めるなんて言い出したりするもんですから、メディア側もバタバタとさせられて今日迄日が経ってしまいました。世の中は一斉に「無責任だ」「放り出した」などと言い募っていますが、福田さんは案外正直な、自分に忠実な人で、これ以上総理の職にあると日本の社会に迷惑をかけると本気で思ったんでしょう。その判断が合ってるかどうかは別にして、まあ、こういう政治家がいてもいいんじゃないかと思っています。

これに対し、9月19日付で筑紫が応じる。
http://www.taji-so.com/exchange/080919.html
まず、

福田康夫という奇妙な政治家、なかでもメディアとの付き合いが苦手な人物と官房長官時代から個人的に付き合っていたごく少数のジャーナリストのグループがありました。
首相になってからこのグループのことは、一部週刊誌に漏れ伝わりました。私はそのメンバーでした。
小泉、安倍と続いたいささか声高なポピュリスト政治に私自身が食傷気味だったこともあって、世間や他のメディアに比べて私の福田評価は、いささか好意的だったと思います。
だから唐突な福田辞任を罵詈雑言で葬る気にはなりませんでした。

と、福田康夫に好意を持っていることを告白した上で、

この点で、鳥越さんの気持ちもわかるのですが、にもかかわらず、この辞任を厳しく批判せざるを得ないと私は思います。長年の政治記者疲れで、その気力が自分の中で失せていたとしたら、年齢だけでなく心まで老いたと反省せざるを得ません。

では、福田氏の最大の“罪状”は何か―――。
一言で申せば、日本国内閣総理大臣という地位を貶めたことです。
しかも、前任者がいとも軽率にやった同じことを見たうえでの首相辞任です。
福田康夫氏は私が政治記者になって以来目撃した21人目の首相ですが、正直にいって福田氏よりお粗末な首相は他にいくらもいました。
しかし、二代続いて首相自らがこのポストを軽々しく扱った例はなかったし、こんなに広く有権者の間からソーリダイジンの“値打ち”が下落した時代はなかったと思います。

私はそれほどナショナリストではありませんが、「自民党総裁選挙見物」でもあるまいし、国籍不明の潜水艦が悠々と領海侵犯していくのは、ちょっとブラックユーモアがすぎますね。この国の安全保障の最高責任者は事実上不在だったわけですから。
民主主義も資本主義も“命綱”は「信頼」(「信任」・「信用」)です。
その要(かなめ)が揺らぎ、収縮するコワイ時代に私たちは入ろうとしているのではないでしょうか。

と厳しく福田康夫を批判している。
私は、ここにジャーナリスト・筑紫哲也の真骨頂があったのではないかと思う。

個人的に好意を持っている相手であっても、決して批判を手加減したりはしない。これは、福田康夫に対してだけではなく、オペラ友達だった小泉純一郎に対しても同じだった。他のキャスターが軒並み異様なコイズミマンセーの奔流に流されていく中、個人的にコイズミとの親交があった筑紫だけがコイズミとの対峙をいとわなかった。

福田康夫小泉純一郎といった政治家と親しかったあたり、筑紫には結構自民党的なものに親和性のある体質があったのかもしれない。しかし、ジャーナリストとしての職業倫理に厳しい人だったのだと思う。「ジャーナリズムは権力のwatchdog(番犬/監視人)でなければならない」という自らの信念を決して曲げなかった。だから、親しい相手であっても批判を緩めなかったのだろう。