kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ついに「大阪維新の怪」からも離党者。岩見隆夫にまで批判された橋下の窮地

 しばらく、といっても過去5日間だけだが橋下徹について何も書かなかったうちにも、橋下と維新の怪の坂道を転げ落ちる凋落は続いている。

 何と言っても、「大阪から一歩出たら通用しない」(兵庫県の伊丹・宝塚両市長選で惨敗した)と言われているとはいえ、無類の強さを誇っていたはずの地元・大阪の市議からついに「維新の怪」離党者が出た。\(^○^)/


http://mainichi.jp/select/news/20130611k0000e010179000c.html

大阪維新の会:市議が離党へ


 大阪維新の会の冨岡朋治(ともじ)・大阪市議(71)=浪速区選出、2期目=が11日、毎日新聞の取材に応じ、維新を離党する考えを明らかにした。維新代表の橋下徹市長が進める政策や、在日米軍に風俗業の活用を求めた発言などに支援者らが反発しており、離党を決めたという。同日、市議団にも意向を伝えた。

 日本維新の会大阪維新の会の現職議員が自らの意思で離党するのは初めて。参院選を前に支持率が低迷する維新への打撃は必至だ。

 冨岡市議によると、橋下市長が進める市立幼稚園や保育園の民営化などの政策に地元の不満が高まっていた。また、住民らと風俗店一掃などの環境浄化活動に取り組んできた経緯があり、橋下市長の風俗業を巡る発言が「最後の引き金になった」という。

 冨岡市議は取材に「支援者は、橋下市長が風俗業発言について国民に謝罪していないと怒っている。地域を取るか、維新を取るかの二者択一になった」と話し、今後については「会派に属さず、自民に戻ることも100%ない。維新とは是々非々でやっていく」と話した。

 冨岡市議は2007年の市議選で自民党から出馬し、初当選。10年に発足した大阪維新の会に合流し、11年に再選した。維新市議団(33人)は大阪市議会(定数86)の最大会派。【村上尊一】

毎日新聞 2013年06月11日 11時43分(最終更新 06月11日 15時14分)


 さらに、右翼的な論調で知られる元毎日新聞岩見隆夫からも橋下批判が飛び出した。岩見は先月、肝臓ガンと診断されて即手術、現在は入院中らしいが、『サンデー毎日』の「サンデー時評」の執筆だけは続けるらしい。かつて松岡英夫が書いていた頃と比較してコラムの質の劣化が著しいが、その岩見も「空気を読んで」かどうか、橋下批判に踏み切った。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130612-00000000-sundaym-pol

<サンデー時評>「誤報」発言、びしっと撤回求めろ

 ◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員


 『毎日新聞』の読者欄で、横浜市の六十三歳の女性が怒っていた。

橋下徹大阪市長は自分の考えのどの部分が批判されたのか、振り返る行為が一切なく、「部分的に報道されたので真意が伝わらなかった」などと自分以外のところに批判の原因をもっていっているのです。……〉

 作家の曽野綾子さんはコラム〈透明な歳月の光〉(六月五日付『産経新聞』)で、

〈橋下市長のいわゆる「慰安婦発言」で、世間がこんなに騒いだのは、多分橋下氏の政治家としての資質に危惧を抱いたからなのである〉

 と書いている。どちらのご意見にも賛成だ。橋下さんは致命的な失敗をした。同じ流儀、つまり騒動を起こして人気をわしづかみにする手法で名誉挽回をはかるのは、もはや無理だろう。

 ただ、政治家としての資質に危惧を抱いたのは今回がはじめてではない。早い段階から相当多くの人たちが、橋下さんのまるでサーカス芸のような意表をつく言動の数々に幻惑されながらも、

「まさか、こんな人がリーダーに……」

 と、懐疑の目を向けていたのは確かである。しかし、堺屋太一さんのような長老有識者らまで、信長だ、秀吉だ、と持ち上げるから、いずれ日本の統治者の座に、と思った人も、特に大阪中心にいるかもしれない。

 橋下さんを、

「首相にしたい」

 と公言したのは石原慎太郎日本維新の会共同代表だけだろう。ほかにもいるに違いないが、実力政治家では石原さん一人だ。ともに第三党(衆院)の党首をつとめているのだから、首相擁立を口にしても別におかしくない。

 しかし、文学者としての石原さんの人物鑑識眼には本当にそう映るのか、いまも疑問に感じている。あるいは、文学者だから、私たち凡人と別のメガネがあるのか、とも思うが。

 ところで、橋下さんは自らの得意技で墓穴を掘ることになった。致命的な失敗、と書いたのは、マスコミ対処法である。リーダーとマスコミの間柄は、友好的でも敵対的でも構わない。それぞれ筋が通っていればいい。しかし、一歩踏み誤れば、大けがをする。それほどの緊張関係と思ってもらっていい。(後略)

サンデー毎日 6月12日(水)17時0分配信)


 まず細部に突っ込んでおくと、「橋下さんを首相にしたい」と公言した「実力政治家」とやら(笑)は石原慎太郎くらいかもしれないが、有象無象の政治屋になら掃いて捨てるほどいる。たとえば昨年「橋下政権ができたら」入閣するとかなんとか朝日の土曜版のインタビューで抜かしていた飯田哲也の名前がすぐ思い浮かぶ。そして、公言こそしなかったが昨年橋下に「あなたを総理大臣にする」と口説いていたことがほぼ間違いない「実力」政治屋として、小沢一郎の名前を挙げることができる。

 岩見隆夫と同業の政界遊泳記者である毎日新聞主筆岸井成格によると、小沢が嘉田由紀子を党首にして御輿を担ごうとした「日本未来の党」方式を、橋下との連携で用いるつもりだったらしい。ところが「剛腕」とやらの小沢は、保険のために石原慎太郎にも声をかけていたらしい。「総理になるラストチャンスですよ」とか何とか言って。つまり、小沢は橋下と石原の二股をかけていた。その情報をかつての同志・亀井静香から伝え聞いた石原は小沢に激怒した。だから記者会見で小沢をさんざんこき下ろしたあげく、橋下と連携したのだという。橋下にも石原にも振られた小沢は仕方なく「橋下の代わり」に嘉田由紀子に声をかけたというわけだ。岸井は上記の情報をどうやらナベツネから得たらしい。ネタ元は下記の佐高信と岸井の政界漫談本である。



 上記から推測して、小沢一郎石原慎太郎に対して言ったのと同様に、「橋下さんを総理大臣にしてあげる」と口説いたことは99%間違いあるまいと私は推測している。「薄汚い」を通り越して「どす黒い政治屋」としか言いようがない。橋下が凋落した今、小沢は口を開けば「私の考えは橋下市長と基本的に同じだ」と言っていたことについて何らかのコメントをすべきである。もちろん飯田哲也も同罪だ。飯田はTwitterを見る限り、橋下暴言問題に関して沈黙を通しているようだ。

 それはともかく、橋下形勢不利と見るや橋下批判を始めた岩見隆夫や、岩見に産経のコラムを言及されている曾野綾子が、過去に橋下についてどんなことを言っていたのか、あるいは言っていなかったのかを知りたいところではある。

 このように、「風によってやっとこさ」始めた岩見隆夫の橋下批判ではあるが、今や「右」からも見放された橋下は、もはや産経や「心の友」安倍晋三に頼るしかないかに見える今日この頃である。