kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎と安倍晋三の「連続性」について

「小沢・孫崎信者」小林信彦が憲法記念日の朝日新聞「オピニオン面」に登場(呆) - kojitakenの日記(2014年5月3日)のコメント欄より。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140503/1399088882#c1399253666

id:norindan2 2014/05/05 10:34
小沢―安倍といえば、『週刊金曜日』の臨時増刊で中野晃一という人が、法制局に対する敵対的姿勢を始めとしていくつもの点をあげながら、小沢一郎安倍晋三の連続性をきちんと指摘していた。あまりにも当たり前のことだと思うので、別に感心もしないのだが、どうもこういう観点から小沢を論じるのは、ある種の人のあいだで、一種のタブーになっている感はある。しかしその中野はといえば、「小鳩信者」内田樹とつるんで色々やっているらしいし、なんだかな…

もっというと、小沢―小泉―安倍の流れ、といってもいいかもしれない。どうもそうした小沢ファンが、都知事選ですんなりと小泉支持にまわったのも私には良くわかるので、小泉が元気で色々やるなら、あと数年くらいは、彼らの新たな拠り所になるかもしれない。そのうち小泉進次郎にでも入れ込むんじゃないか…

中野は、「同じ靖国参拝でも小泉と安倍は違う、小泉は歴史修正主義者だと思われていなかった」という言い方をするのだが、それはそうだろうが、私がそういう言い方をどうも気に入らないのは、今に至るナショナリズムの高まりというのは小泉が靖国参拝を繰り返した頃に手が付けられなくなったと思うからだ。またあとで振り返っても胡・温体制になってからは、今と比較すれば、外交的にも随分穏健で親日的だったのであり、いったいなんのために参拝を繰り返したのか、国益を毀損したこと甚だしいと思う。

「小泉支持に回った小沢信者」の著名ブロガーが都知事選の頃、Twitterで「小泉純一郎が、過去の靖国参拝自己批判して、中国に謝罪して、関係改善を言って、その上でポスト安倍の小僧を北京に遣ればいい」などといっているのを見て、開いた口が塞がらなかった。小泉は昨年の講演でも過去の靖国参拝を正当化しているのに。

小沢一郎安倍晋三の連続性については、小沢一郎の支持者(いわゆる「小沢信者」を含む)のみならず、安倍晋三の支持者にとっても「不都合な真実」であるがために、小沢・安倍双方の支持者のいずれの側からも「一種のタブーになっている」観があります。

たとえば、コメント元の記事からリンクを張った記事の表現に即して言えば、安倍晋三の支持者は、安倍晋三を「古き良き与党につながる安定感をかんじさせる政治家」に見せ掛けたいという欲求を持っているのだろうと想像します。安倍晋三小沢一郎と同じく「実体は古き良き自民党を破壊した男なのにも関わらず」*1

もちろん、同じことは「自民党をぶっ壊す」とブチ上げて高い人気を得た小泉純一郎についてもいえるのであって、「小沢―小泉―安倍」の流れが、「保守本流」に抗して「新しい自民党政治」即ち「新保守」(ネオコン)の政治を作り上げたことは、冷静に政治の流れを見ている人間であれば到達して当然の結論だと思います。

*1:安倍晋三を「保守本流」と僭称しようとする人間は跡を絶たないことは、彼ら(安倍晋三の支持者)の欲求(野望)の一つの表れと思われるが、もちろんこれは事実に反する。安倍晋三は「保守傍流」に過ぎない。