kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

旧字旧仮名

戦争を挟んだ時期に創作活動をしていた作家には、「旧字旧仮名」にこだわった人たちが多い。最近接した文学作品の作家について言えば、内田百間(ひゃっけん=「けん」は正しくは門構えに月)、斎藤茂吉石川淳などがそうだ。斎藤茂吉の倅・北杜夫の処女長編『幽霊』(自費出版)も旧字旧仮名で書かれていたそうだが、その後商業誌に小説を発表するに当たって、新進の作家たちはみな新字新仮名を使っていたので、自分もそうしないと新進作家として評価されにくいかもしれないと思って新字新仮名を用いているうち、旧字旧仮名を忘れてしまったとのこと(もちろん北のこの言葉を真に受けてはならないが)。それでも、『幽霊』が新字新仮名表記に書き換えられた時には、自作が汚されたような気がしたらしい。

もっとも、今では内田百間石川淳も文庫本は新字新仮名表記になっている。1987年に亡くなった石川淳晩年の作品『狂風記』(1980年)は、初出の単行本では旧字旧仮名表記だったが、集英社文庫に入った時に新字新仮名に改められたらしい。

私は、古文の文法は苦手だが、昔の新聞の縮刷版などには子供の頃から馴染んでいたから、旧字旧仮名であっても昭和の戦前・戦中くらいに書かれた口語体の文章ならほとんど抵抗なく読める。

石川淳の短編小説「マルスの歌」は、1938年に書かれたが、「反軍国調」だとして発禁処分になった。私はこの作品の存在を、2008年秋に大阪で聴いた辺見庸の講演会で知った。読んでみたいと思ったものの、なかなかその機会がなかったが、ようやく今年の正月休みに、岩波書店が1979年に出した「石川淳選集」第一巻の古本で読む機会を得た。旧字旧仮名表記である。この第一巻をすべて読み終えたのはつい先日であって、最後に読んだ、一番長い「普賢」(1937年度の芥川賞受賞作)が、11の短編・長編を収めたこの巻の小説の中でもっともすぐれていると思った。というより、こんな小説が書ける人間の頭の構造にシャッポを脱いだのであった。

旧字体の漢字の二字以上の熟語には、ルビがほとんど振られていないので、読めないものもあった。新聞記事やなんかとはさすがに勝手が違った。それにもかかわらず、旧字旧仮名で読んでしまったあとには、同じ小説を新字新仮名で読み直したいとは思わなかったし、昔の物書きたちが旧字旧仮名にこだわった気持ちも少しわかるような気がしたのであった。