kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

最近読んだ本(2014年3月)

消費税増税前の駆け込みで買い物をしまくっている今日この頃。この時期、買おうか買うまいか迷う品物に「買う」決断をする閾値が大幅に下がる。そして4月1日になるとその閾値が一転して大幅に上がるのだ。私はベアの恩恵にはあずかれるご身分の人間ではないので、3%の税率の差に血眼になっているのである。

ついでに書くと、昨年秋以来、読んだ本の半分くらいは図書館で借りた本である。新刊の新書本には「外れ」が多いので、それらを買う頻度を大幅に下げた今日この頃。かくして、4月以降の消費は大きく冷え込むであろう。

そんなわけで最近読んだ本。



前に当ダイアリーで取り上げた同じ著者の『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋,2012)*1は図書館で借りて読んだが、これは新刊の新書を買った。しかし、『カウントダウン・メルトダウン』は良かったが、こちらは著書の朝日新聞主筆船橋洋一タカ派的主観が色濃く反映されており、あまり共感できなかった。朝日はこんなのを主筆にしてたんだなあと改めて思った。


青年茂吉―「赤光」「あらたま」時代 (岩波現代文庫)

青年茂吉―「赤光」「あらたま」時代 (岩波現代文庫)


これも買って読んだ。北杜夫は80年代以降人気が落ち、文庫本も絶版になったものが多く、ネット検索をかけると、北杜夫を「生きながら『過去の人』になってしまった」と評した「2ちゃんねらー」がいた。確かにそんな観があるが、それには、北杜夫躁鬱病が影を落としていたものと思われる。つまり、鬱病期には文章が書けず、躁病期には文章が荒れてしまうという悪循環だ。しかし、60代前半の北杜夫が書いたこの本は、著者が精神疾患のハンデを跳ね返さんと気力を振り絞って書いた良書だと思った。私は短歌を解さない人間だが、斎藤茂吉の実の息子であり、「これまで二代目の文士はいくらもいるが、この私くらい自分の父のことを臆面もなく讃めて書く男は絶無であろう」と書く著者が、茂吉の短歌を引用しながら、自らの思い出を交えながら書く文章を読んで、私でさえ茂吉の歌集を読みたくなったほどだ。しかし、この本にさえ、この文章を書いた時には著者は躁病期にあったんだろうなと読者に想像させる部分がある。


怪盗ジバコ (文春文庫)

怪盗ジバコ (文春文庫)


これは図書館で借りて読んだ。その一部は、少年時代の昔に本屋で立ち読みしたことがあるような気もするが、全部を読むのは初めてだった。解説で遠藤周作がこの作品のパロディを書いている。


日本アパッチ族 (ハルキ文庫)

日本アパッチ族 (ハルキ文庫)


これも図書館で借りて読んだ。北杜夫と同じ2011年の、北より少し早い7月に亡くなった小松左京も、あまり読んだことのなかった作家で、SF作家の盟友、星新一筒井康隆の作品はともに半分以上(筒井の場合は8割以上)読んでいるはずだが、小松作品は全然知らず、昨年短編「くだんのはは」をやっと読んだのだった。小松左京の処女長編であるこの作品は、のちに「小松右京」とも揶揄された保守的文化人という小松左京のイメージとはかけ離れたものだ。「小松左京の最高傑作」と評価する人が多いようだが、なるほどこれは傑作の名に恥じない小説だ。小松左京もまた「生きながら『過去の人』になっ」ていた時期が長かった人だったのではないか、などと失礼なことを思ってしまった。