https://twitter.com/mtcedar1972/status/460713397487562753
折も折、友人・吉井勇の再婚を茂吉が羨む手紙が出てきたそうで http://t.asahi.com/elmq 茂吉のエロエロ振りも酷いもんだったんだ>北杜夫『茂吉彷徨』を読む - kojitakenの日記 (id:kojitaken) http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140426/1398491441 …
とのことで、リンク先の「朝日新聞デジタル」の記事を読んだ。紙面では、4月28日付朝刊に掲載されている。
http://www.asahi.com/articles/ASG4P65V0G4PPFIB00R.html
茂吉、友人の再婚うらやむ一首 絵はがきなど24通発見
直井政夫
歌人の斎藤茂吉(1882〜1953)が、友人で歌人の吉井勇(1886〜1960)に送った私信24通が、京都府立総合資料館(京都市左京区)で見つかった。1通の絵はがきには、妻と別居中の茂吉が、再婚した吉井をうらやむような短歌がしたためられていた。
高知工業高等専門学校(高知県南国市)の細川光洋(みつひろ)准教授(日本近代文学)が、遺族から寄付された吉井の関係資料を多く持つ総合資料館で、未整理だった手紙やはがきを見つけた。
昭和12(1937)年12月20日の消印がある絵はがきには「勝鬨(かちどき)のうづもよけれど南なる君が家居(いえい)もにくからなくに」と記されていた。消印の前日は、男性関係の醜聞を起こした妻輝子と別居中の茂吉が、まな弟子で愛人の永井ふさ子との伊香保温泉(群馬県)旅行から帰京した日。茂吉は離婚が難しい状況だったが、吉井は妻徳子と離婚して国松孝子と再婚していた。
(朝日新聞デジタル 2014年4月28日16時23分)
一昨日に書いた、北杜夫『茂吉彷徨』を読む - kojitakenの日記(2014年4月26日)と、もろに関連するニュースだった。
大歌人・茂吉は当然ながらはがきにも短歌を書き記していて、平叙文の結びにも、
わが心君に沁みなば文等をば焰のなかにほろぼしたまへです
などと、五七五七七で手紙の焼却を永井ふさ子に命じていた*1。そのため、
ふさ子は初めの三十数通は言われるままに焼却したが、そのあとのものは焼くにしのびず、手元に保存した
のだった*2。