kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

90年代、00年代、10年代に三度政治権力に屈した朝日新聞(その1)90年代編・小沢一郎への屈服

まずは今日の昼間に書いた お維から参院選東京選挙区に出馬の田中康夫にミョーに甘い日刊ゲンダイ(笑) - kojitakenの日記 へのコメントから。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20160605/1465098692#c1465118843

id:axfxzo 2016/06/05 18:27

軽く毒気付けば、私でもビックリするんだから(笑)、世の中の大抵の人々はワケわからないんじゃないかな?
あそこが四半世紀前に、ヒトラーと小沢とを同列に扱ってわめき散らかしていたこともよく知っているし、
そこまでふくろたたきにしていた小沢を、民主党と合流する頃からか、救世主様のように扱い始めたことも、タブロイドとはいえあまりの落差と蔑みつつ、コンビニで覗く程度の日々ですから、そりゃ、不勉強と皮肉られてもしょうがない(笑)。
鈴木なんとかも、チョロチョロと左派系(サンデー毎日や金曜日)に永田町事情通として出てきますね。
でも、これまた不勉強だけど、橋下との関わりなど、コジタサン、情報整理、ありがとうございました。
小沢はその昔、どの…とも寝られると国会だかのエレベーターかどこかで本音をはいたことを一般紙に書かれて怒ったことがありましたね。
朝日の『現在史ウォッチング』で、そんな下品な表現は書きたくないが、ことは権力の中枢にいる要人の政局での発言。看過する方こそ間違いであると、手厳しく叩かれたことを思い出しました。
政治家というより、人間性というところでしょ。志位から橋下まで、テメエが得なら何でもありなキャラ。
ゲンダイが売らんかななタブロイドであることを差し引いても、小沢をここまで利用するのは、私の購買意欲をそぐことになっているのでしょう。
ま、買わなくても、よく人物と主張を見極めれよというご指摘、サンクスですけど(笑)。

私も日刊ゲンダイはもう何十年も買ったことはありません。最後に買ったのは1983年頃かな。どういうめぐり合わせか、電車通勤をしないでも済む生活をずっとやってきたせいもありますが。

それはそうと、赤字ボールドにした件、そういやそんなこともあったなという程度の記憶しかないので調べてみたところ、こういう20年以上前の古い件にはネット検索も弱いので(それでなくても、時系列を遡るのはネット検索の泣き所です)、パラパラとしか記事が引っかかりませんでした。下記は右翼が書いたブログ記事ですが引用します。

李下で冠を正す 政治屋:小沢一郎一考(2007年3月8日)より

政治屋小沢一郎一考

(略)

II: 小沢が抱える問題点


 1.パチンコ自爆

 平成2年に、小沢は社会党参議院与野党逆転を成功させたため、土井たか子を追い落とす作戦に出た。俗に言う、『パチンコ疑惑』である。小沢は、竹下、渡辺、金丸のご機嫌伺いと、次期総裁の椅子を射止めるために、全野党議員を的に絞った調査をおこなった。
 しかし、結果は、超党派でパチンコ献金を受け取るというお粗末振りを晒した。さらに悪いことに、自民党社会党の10倍の献金を受けており、自民党の派閥のドン級が、ほとんど献金を受け、当時の閣僚7人も含まれていた。勿論、中曽根や森、金丸、渡辺、小渕等のそうそうたるメンバーばかりであった。その結果、疑惑追及は闇の中となり、その後の自民下野の遠因となる。


 2.下半身疑惑


 1)概要

 平成6年、4月25日、当時政権与党の立場にあった小沢一郎新生党代表幹事が「どの女と寝ようが勝手じゃないか」と記者相手に軽口を叩き、これを翌日の朝日新聞が報道して大騒ぎになった。
 小沢一郎は、朝日の取材に「会話の趣旨を歪曲し、意図的に私を誹謗、中傷する報道であると思います。このようなマスメディアを利用したペンの暴力については徹底して戦うつもりです」とコメント。
 また、熊谷弘官房長官は「報道は事実でない」と国会で否定した。小沢本人からの説明だとして、「国会のエレベーター内で3社と行った私的な会話だ。改新と社会党の動きについて、若い記者にもわかるように『どんな女性と結婚したりデートとしても自由だ』と述べた。それがわい曲して報道された」と述べた。
 真相が明らかになったのは1か月後のことだ。小沢が軽口を叩いた相手の記者は産経、共同、時事の記者だった。産経は5月31日になって内幕を解説する記事を出した。
 朝日の記事は3社の記者が合同でまとめたメモを元にしており、それを「ほぼ忠実になぞったもの」だった。つまり発言は事実だったのである。
 しかし小沢氏は認めなかった。撤回も謝罪もしなかった。そればかりか朝日の報道を「歪曲」「誹謗」「中傷」「ペンの暴力」と批判し、「徹底して戦う」と開き直った。


 2)当時の新聞記事

 その日午後10時半ごろ、社会党との協議を終え、酔っぱらって国会にやってきた小沢を、入り口で3社の記者が待ち受け、小沢にくっついて、エレベーターで3階の新生党控室に向かったという。その際の記者との断片的な会話の中で問題の発言が飛び出した。


 i)朝日新聞4月28日

 衆院の新会派「改新」結成と社会党の連立離脱に関連して新生党小沢一郎代表幹事が25日、「どの女と寝ようといいじゃないか」などと語ったことに関連して27日、自民党森山真弓元文相、社会党岡崎トミ子女性市民局長、無所属の紀平悌子参院議員ら3つの女性議員グループ計7人が国会内でそれぞれ記者会見し、「女性蔑視だ」「品格を疑う」などと発言を批判する声明を発表した。
 日本婦人有権者同盟(原輝恵会長)など5つの婦人団体は羽田孜新首相(新生党党首)に対し、党首として小沢氏に「真相を問い、厳しく対処すべきだ」とする要請書をまとめ、同日羽田氏の秘書に手渡した。


 ii)朝日新聞5月3日(大阪版)

 新生党小沢一郎代表幹事が衆院新会派の結成に際して「どの女と寝ようがいいじゃないか」と語ったとされている問題で、無所属議員でつくる「関西市民派議員交流勉強会」の女性議員の有志は2日、女性に対する差別発言であるとして東京・衆院議員会館内の小沢代表幹事あてに抗議文を郵送した。堺市議の吉井玲子さんや高槻市議の二木洋子さん、豊能町議の秋元美知子さんら府内の5人の市町議。抗議文では、小沢代表幹事は4月25日、新会派「改新」の結成に社会党が反発したことについて問題の発言をしたとされているが、女性を「寝る相手」と表現する態度は女性への蔑視、差別であり、公党間の関係を男女関係になぞらえるのも主権者と政治に対する冒とくである、と批判。発言を直ちに撤回し、女性の人権について正しく認識するよう求めている。


 iii)朝日新聞4月29日『声』

 新会派結成に反発する社会党の動きに関して、「どの女と一緒に寝ようがいいじゃないか……」と言ったという小沢一郎氏の発言部分を読み、こんなことをほんとにこの人は言うのだろうかと何度も新聞記事を見返しました。そしてたまらなく胸が悪くなりました。

 私が持っていたのは、彼がプロセスを重視せずに彼の信ずるところの政治を進めたいという、民主主義とは対極に位置する考え方の持ち主というイメージくらいでした。それが、どのように危険なものであろうと、一つの考え方です。真摯に議論されるべきだと考えていました。

 しかし、このような品性下劣な発言をする政治家が、今時、国の体制を問わず世界の中でいるでしょうか。しかもそれは、新生党の事実上の党首、実力者とされている人物の言葉なのです。彼は男と女の関係、そして政治を侮辱したにほかなりません。そしてハーレムを築いた王気どりの小沢一郎氏によってコケにされたのは、実は社会党ではなく、このような破廉恥な政治家をいただかねばならない国民であり、そしてすり寄る姫君になぞらえられた新会派に集まった面々なのです。(以下略)


 iv)産経新聞5月31日

 3社の記者を中心に、やりとりを再現し、簡単なメモが作成された。朝日新聞が翌26日付朝刊で報じた内容は、このメモをほぼ忠実になぞったものだ。
 小沢氏の発言を「どの女と一緒に寝ようがいいじゃないか。君ら(記者団)が(社会党を)相手にしているのが悪い。理屈の通らないことを言ってもしようがない」「そんなにヤキモチを焼くなら、こっちへ来ればいいじゃないか。(社会党は)理由なき反抗だ」と伝えている。

(後略)


ここからが本論(以下文体を改める)。実はこの件には後日譚があった。

それを伝えるのは、2003年に「月刊ロジスティックス・ビジネス」という雑誌に掲載された佐高信のコラム「不可解な妥協を繰り返す最近の朝日新聞 小沢一郎への屈服にみるマスコミの堕落」である。以下、HTML版から孫引きする。

2003年7号
メディア批評
不可解な妥協を繰り返す最近の朝日新聞 小沢一郎への屈服にみるマスコミの堕落

佐高信 経済評論家 31 JULY 2003

 『朝日新聞』がおかしい。有事法制に基本的 に賛成する民主党案を社説で支持したり、変な妥協が目立つのである。
 そのスタートともいうべき「事件」は小沢一郎への屈服にあった。「野中広務小沢一郎の正体」という副題の松田賢弥著『闇将軍』(講談社)がその経緯を詳細にドキュメントしている。
 一九九四年秋、“手打ち”はなされた。
 その前に『朝日』は小沢が「どの女と寝ようが勝手じゃないか」と発言したことを報じ、小沢とは断絶状態だった。
 それを政治部長だった秋山耿(こう)太郎が遺憾とし、関係修復に動くのである。
 同年一〇月十二日夕、秋山は総理官邸向かいの国会記者会館に足を運び、同紙の記者二〇人近くを前に、こう切り出したという。
 「小沢一郎氏とのこれまでの対立状態では、 小沢氏から直接取材できない。新・新党結成 の流れのなかでは、いかにもまずい。直接取材できるパイプをつくるため、近く小沢氏のインタビュー記事を出したい」
 驚く記者たちに、秋山は付け加えた。
 「しかし、記事が出たからといって、小沢氏に屈するものではないという信念をもっている。明日から、たとえ激しくケンカしてもかまわない。私が責任をとる」
 弁明になっていない弁明だろう。さすがに 現場の記者たちは反論した。
 「なぜ、こちらから折れる必要があるのか。折れるかたちでのインタビューは必要ない。なぜ、おもねるのか。小沢の記事で、うちと他社を比べて、どこが見劣りするというのか。他社だって小沢の情報をとれていないじゃないじゃないか」
 「承服できない。ジャーナリズムとジャーナリストの自殺行為だ」
 「かりに、ある省庁とトラブったら、その省 庁に言われるままに詫び状を出すのか。それと同じことだ。小沢には権力があるからへりくだるというのなら、権力者への屈服そのものだ」
 このように突き上げられた秋山は苛立ち、 次の趣旨の発言で押し切った。
 「“手打ち”だ……。タイミングがいいんだ。(時事通信社の政治部次長で“小沢番”だった田崎史郎が『文藝春秋』一九九四年一〇月号で小沢のオフレコ発言の一部を暴露報道した)“田崎メモ”の公表で、小沢氏が直接取材を受けたがらなくなっている。インタビューに編集局長は消極的だ。しかし、オレが責任をもつ」
 秋山が考えていた「責任」とは何だったのだろうか。その後、彼は編集局長となり、役員となったが、自らをジャーナリストとして 規定していたとは思えない。小沢への屈服インタビューは一〇月一五日付の紙面に載り、その影響か、翌年二月、信じられない事件が起こる。
 青森県知事選投票直前に『朝日』が行った選挙情勢調査の生データが、新進党担当の同紙記者から同党幹部に流れたのである。
 フリーの松田に取材対象との緊張関係があり、『朝日』の記者たちにそれがないのはどういうことなのか。松田はこう書く。
 〈一連の出来事から、朝日新聞は小沢に利用され、もてあそばれているとしかみえない。なぜ、こうなったのか。ある朝日新聞記者は、匿名を条件にこう語ってくれた。
 「そもそも“手打ちインタビュー”で『どの 女と……』発言以降の小沢氏の朝日新聞攻撃 に決着をつけずうやむやにしたことが、今回 の生データ流出問題の根底にある。つまり小沢氏は、朝日新聞はオレの言うことを黙って聞くんだと足元をみてきているんです」
 勘ぐれば、小沢が意図的に朝日新聞の名が入ったファックスをそのまま流すことで、朝日新聞は意のままになるんだと力を誇示したと受けとめられても仕方なかろう〉
 『朝日』は再び昇るのだろうか?

佐高信「不可解な妥協を繰り返す最近の朝日新聞 小沢一郎への屈服にみるマスコミの堕落」=「月刊ロジスティックス・ビジネス」2003年7月号掲載)

ああ、朝日は1994年にもこんなことをやってたのかと思った。朝日はその後も、およそ10年に一度の割合で似たような政治権力への屈服を繰り返してきた。2000年代のそれは、NHK番組改変をめぐる安倍晋三と故中川昭一への屈服(2005年)であり、10年代のそれは、記憶に新しい「慰安婦問題」に関する訂正と謝罪(2014年)だった。偶然だが、昨夜(6/4)、本棚に置いてある月刊「現代」2006年2月号*1を手に取り、NHK番組改変問題で権力と妥協した朝日を批判し、同時に叱咤激励もする田原総一朗の書いた記事を読み返したばかりだった。田原の記事を読んで、ああ、朝日は慰安婦問題の訂正・謝罪の9年前にも同じような「不可解な権力との妥協」をやってたんだな、と思ったばかりだったのだが、朝日はそのさらに11年前、慰安婦問題の件からはちょうど20年前にも、権力(小沢一郎)への「不可解な妥協」をやらかしていた。まるで20年越しの「三段跳び」ならぬ「三段(泥沼)はまり」である。

こんな記事を書いても、多くのリベラル(括弧のあるなしを問わない)にはいまさらピンともこないだろうし、今では絶滅危惧種となったごく少数の「小沢信者」から「また『小沢ガー』かよ」と言われるのが関の山であろうとは自覚しているが、それでも心あるどこかの誰かが、記憶の片隅にでもとどめておいてくれれば良いさ、と思いつつ、徒労かとも思われる作業を終える次第である。

*1:2009年1月号限りで休刊した月刊「現代」は、「週刊現代」ともども講談社が発行しており、もともとは講談社系ではあるものの別会社の発行である「日刊ゲンダイ」とははっきり一線を画している。月刊「現代」も「週刊現代」の問題の多い(多かった)メディアではあるが、それでも論外のタブロイド紙日刊ゲンダイ」と同一視すべきではない。