kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今こそ「全体主義」に抵抗すべき時だ

下記は大阪ダブル選を前にした昨年(2015年)10月18日の記事だが、化学反応式に笑ってしまった。

ポストモダニズム+日本的ムラ社会→安倍晋三+橋下徹↑という『化学反応』 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2015年10月18日)

【ポストモダニズム+日本的ムラ社会→安倍晋三+橋下徹↑という『化学反応』】

 冷戦崩壊後、ポストモダニズム的な『イデオロギーの時代は終わった』などという思想が流行しました。

 著者は、これらと『日本的ムラ社会』(無言の同調圧力)が、25年をかけて、『化学反応』を起こしたと考えています。

 ポストモダニズム+日本的ムラ社会安倍晋三橋下徹


 何かを自分の考えをもって主張する人間が、以前にまして居づらい社会が出来てしまったのではないでしょうか?

 何か主張すると『偏っている』と冷笑される社会。

 これが、冷戦崩壊後、長年続いてきたのではないでしょうか。

 一部の固い信念を持った左派を除けば「デモ」をしなくなって久しくなりました。

 デモが一般人も幅広く参加して起きるようになったのは、9.11テロ後、イラク攻撃をブッシュ大統領が強行しようとした2002年末からイラク戦争が始まった2003年3月くらいのころではないかと思われます。その後、2005年ころから、格差に抗議した若者の新しいデモ(独立系メーデー)、さらに2011年の3.11を契機とした反原発デモ、2013年の特定秘密保護法反対、2014年の集団的自衛権行使容認を契機としたデモなど、冷戦崩壊後の10年間よりはデモが盛んになっています。

 しかし、それでも、まだ「選挙結果」に結びつくには至っていないのが現実です。

 そうしたことのつけが、いま、安保法なりTPPなり労働法破壊なり、原発再稼働なりで暴走する安倍晋三政権という怪物です。

 いわゆる市民派の一部も実はポストモダニズムと日本的ムラ社会の『化合物』に屈服したのです。

 一部の市民派は『右でも左でもない』というテーゼを掲げています。何か新しいものを生み出す振りをして、現実には、『偏っている』と批判されることを恐れていただけではないのか?

 また、「叩きやすいものだけを叩く」傾向もあります。橋下徹さんが一番の好例です。

 橋下徹さんに限らず、自治労なり一部地方議員の不正なりを叩いて馬鹿ウケを狙うタイプの政治家への追い風が2009年くらいから数年程度続いたのです。このタイプの主力を担ったのがわれらが団塊ジュニア世代の「大阪維新」なり「みんな」なり、一部「市民派」政治家です。

 もちろん、自治労や地方議員の一部が腐りまくっていたのは事実です。しかし、現代日本の主たる課題が、それらを叩くだけでどうにかなる訳ではなかったはずです。

 ただ、本当に批判すべき事象を批判しにくいからこそ、「自治労」なり「年配の腐った議員」なりを主たる標的にしていただけ、という面もあったのではないでしょうか?

 彼らの本音を伺うと、実は非正規雇用をはじめ格差問題に怒っておられます。しかし、結局、街頭演説など、表の活動では、正規公務員のみを標的とするほうへシフトしてしまうのです。

 「市民派」なり「維新」なりを叫んでいる議員も、有権者の動向を気にします。いや、彼らは確固たる支持基盤がないからこそ、格差是正を正面から取り上げずに、刹那的に正規公務員や、一部年配同僚議員批判に重点を置いて、ウケを狙ってしまうのです。

 「安倍晋三」さんが、「日本的ムラ社会」+「ポストモダニズム」という思想の化学反応が生んだ暴走政権(固体)であるならば、「橋下徹」さんが、その化学反応から生じた時代の空気(気体)=「叩きやすいものが叩かれる」空気、と言えるのではないでしょうか?

 最近では、それでも、反原発や反安保など、デモが盛んになり、民意が可視化されるようになりました。

 神奈川新聞さんも「偏っていますが、なにか」という論説を発表されました。
 
 こうしたことを契機に、「ポストモダニズム」と「日本的ムラ社会」が化合した、「モノを言うと偏っているといわれる時代」「叩きやすいものを安直にたたく」ような、「「安倍晋三」と「橋下徹」の時代」もそろそろ終わりにしなければなりません。

この記事にはほぼ全面的に同意できるし、「橋下徹↑」には腹を抱えて笑ってしまった。

ところで、記事中に

 デモが一般人も幅広く参加して起きるようになったのは、9.11テロ後、イラク攻撃をブッシュ大統領が強行しようとした2002年末からイラク戦争が始まった2003年3月くらいのころではないかと思われます。

とあるが、その「一般人も幅広く産樫で起きるデモ」に参加して、「もっと怒りを」とアジっていたのが辺見庸だった。その著書『抵抗論』(毎日新聞社, 2004)にはデモ批判が書かれている。それを出版の12年後に読んで、まるで昨年の安保法案反対デモについて書かれているかのようだ、と思った。

『抵抗論』を読むと、2003年のイラク戦争への自衛隊派遣反対デモの時にも、「負けた(自衛隊イラクに派遣されてしまった)けれども勝ったようなものだ」と言ったデモ参加者があったことがわかる。昨年も、「安保法は成立してしまったけれども、SEALDsのような若者たちが出てきたことには希望が持てる」という言説が流行した。しかし事実は、2003年のイラク戦争の誤りを、米英の指導者でさえ認めているのに安倍政権は認めず、そんな政権が安保法を成立させたのだ。2003年の「希望」は幻想に過ぎなかった。2015年の「希望」だって幻想に過ぎなかったことは、昨年8月上旬を底として、安倍内閣の支持率がずっと上がり続けていることから明らかだと私は思う。

この日記のコメント欄に、id:breakwaterさんは

SEALSが批判されてる理由がいまいちよくわからない。

「普通の若者」が政治に関心を持つようになったことが良いことなのか悪いことなのかわからないけど、ついこの前まで普通の日本人はそもそもデモなんてしなかったんだからね。

それにヘビーな政治通の人たちが不満をいったってしょうがないじゃん。
世の中はそんな「普通の人」で成り立ってるんだからね。

と書いたけれども*1、「ついこの前まで普通の日本人はそもそもデモなんてしなかった」というのは、マスコミがそう言って(書いて)いるだけの言説であって、事実ではありません。イラク戦争自衛隊派遣反対デモに「普通のおばちゃん」が参加していたことは、『抵抗論』を読めば確認できるし、何もイラク戦争にまで遡らなくったって、2011年から12年にかけての脱原発デモには多くの一般市民が参加していました。私はイラク戦争反対デモには参加しなかったけれども、2011年6月に松本哉氏が立ち上げた「素人の乱」のデモを皮切りに何度か脱原発デモや大飯原発再稼働反対デモに参加し、安保法案反対デモには昨年8月末の一度だけ参加しました。デモ参加者も昨年夏より2012年の原発再稼働反対の時の方が多かったし、デモ参加者の自発性に関しても、2011年6月のエクスクラメーションマークが5つついた「素人の乱」のデモが一番あったと感じました。もっともあの時でさえ、登壇してアカペラで「うーさーぎーこーいし、あーのーやーまー」と歌い出した少女とそれを追っかけるフジテレビのカメラを見て、違和感を持ったものですが。

その当時の自称「B級アイドル」が今どうしてるか知りませんが、2004年に左翼から教祖様のごとく信奉された辺見庸は、今では左翼から激しく罵倒されています。

この日記でSEALDsを取り上げた回数は数えるほどですが、私は某有名ブログの管理人とは違って、SEALDsを目の敵にまではしないし、辺見庸がブログに書いたほど強いSEALDsに対する悪感情は持たないのだけれど(それはもしかしたら私の「怒りが足りない」せいかもしれません)、SEALDsの持ち上げられ方に対しては強い違和感を持ちます。何か、「リベラル・左派・左翼はSEALDsを批判してはならない」かのような強い「同調圧力」が働いている。それが気になるのです。「リベラルはSEALDsを批判するな」などという言説は、「全体主義」そのものだと私は思います。そんな同調圧力全体主義といったものに対する抵抗こそ求められるというのが今の私の信念です。

2004年の『抵抗論』にも取り上げられ、私が当時住んでいた高松から大阪まで講演を聴きにいった2008年にも辺見庸が言及していたのが、石川淳日中戦争勃発直後の1937年12月に書いた小説「マルスの歌」でした。私は一昨年、昔岩波書店から出ていた『石川淳選集』第一巻(1979)に収録されていたこの小説を読みました。この小説は、金切り声を張り上げての反戦小説ではありません。しかし、当時の天皇ファシズムの「空気」に対して「個」として抗った、紛れもない抵抗の文学だと思います。

この小説は発禁になり、以後敗戦までの間、作家は寡作になります。戦後に復活しますが、中国の文化大革命にいち早く反対の意思表示をしたのは、「個」としてのあり方を貫いたこの作家らしい行動ではなかったか。そう思います。