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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ちょっとヘンだよ、田崎史郎サン

タイトルだけでも首を傾げたくなる記事だが、著者はテレビ出演などでもおなじみの、時事通信の政局解説記者。

石原新党は右傾化強める日本を象徴する「極右政党」の先駆けか?(田崎 史郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

石原新党は右傾化強める日本を象徴する「極右政党」の先駆けか?
2014年06月02日(月) 田崎史郎ニュースの深層


日本維新の会が分党することが先月末、決まった。これに伴い、共同代表・橋下徹(大阪市長)が継承する新「日本維新の会」と、共同代表・石原慎太郎(元東京都知事)が率いる「石原新党」が誕生する。橋下維新は結いの党と今夏にも合流し、野党再編が進むことになろう。

この野党再編に目を奪われがちだが、日本政治のトレンドを見る上で、石原新党の動向がより重要だ。1955年の保守合同により自民党が生まれて以来初めて、自民党よりも右に位置する政党が誕生することになり、欧州で広がる「極右」政党のようになる可能性があるからだ。


石原の背中押した「血判状組」の8人

日本維新の会には衆院53人、参院9人の計62人が所属している。同党議員は5日までにどちらの新党に参加するか、党執行部に申請することになっているが、維新には約40人、石原新党には20人前後が参加する見通しだ。石原新党には2月の東京都知事選で「将軍」と呼ばれ、注目を集めた元航空幕僚長田母神俊雄が参加する。

石原が5月28日、名古屋で橋下に会い「分党」を提案した時、石原の背中を押したのが衆院当選1回の若手8人だった。彼らは (1)自主憲法制定という旗を降ろさない (2)結いの党との合流はしない──という文書に署名し、名古屋に出向く前の石原に手渡した。実際に血判を押したわけではないが、それぐらいの決意を示したという意味で「血判状組」と呼ばれている。そのメンバーは次の通りだ。

今村洋史(比例東京)、桜内文城(比例四国)、田沼隆志(比例南関東)、中丸啓(比例中国)、西田譲(比例南関東)、西野弘一(大阪13区)、松田学(比例南関東)、三宅博(比例近畿)

名前が知られている人は少ないが、いずれも右寄りで、新党ブームに乗って当選してきた比例代表選出議員がほとんどだ。

一方、日本維新の会みんなの党の国会議員有志でつくる勉強会「自主憲法研究会」の設立総会が同30日に開かれ、顧問に石原と、みんなの党代表・浅尾慶一郎が就任した。石原は8億円借り入れ問題で失脚した前代表・渡辺喜美とも連絡を取り合っており、将来、合流する可能性がある。これに反発するみんなの党の一部は、維新と結いの党が合流する新党に参加する見通しだ。

渡辺の借入金問題で党としての信頼も失墜したみんなの党の多くは石原新党に活路を見いだそうとしているようだ。これにより、右寄りの人たちのキーワードである自主憲法制定を唱える議員集団が30人を上回る規模になるとみられている。


公明の得票率に匹敵する「将軍」田母神票

日本における政界再編はこれまで、どの党も思想的には自民党よりも左に位置した。新党の先駆となった新自由クラブをはじめとして、日本新党新進党などがそうだった。彼らは自民党より右に行かないように注意していた。

それとは逆の右へのシフトは、国際的に見ると欧州で先行している。5月下旬の欧州議会選で、フランスではルペン党首率いる極右政党、国民戦線(FN)が得票率24.95%で、国内第1党に躍り出た。これに対し、与党・社会党の得票率は13.98%にとどまり、3位に甘んじた。欧州でのように、日本でも「極右」が広がっていくのか?

直近の選挙で参考になるのは、2月の東京都知事選だ。田母神は、他陣営が「30万票程度」と見ていたのに、61万票も獲得した。田母神の得票率は全体の12.5%。読売新聞の出口調査では、田母神に投票した人は若い年代ほど多く、20歳代では当選した舛添要一に次ぐ26%だった。また、自民支持層の20%が田母神に票を投じた。

2012年12月の衆院選比例代表の全国集計結果と比較すると、田母神の得票率は公明党の11.8%(議席数は22議席)を上回る。東京都知事選結果が全国ベースの選挙結果と一致するわけではなく、「石原さんや平沼赳夫さん、園田博之さんらは次の衆院選で引退するのではないか」(自民党幹部)という見方もある。

しかし、石原新党が次期衆院選参院選で「右」の代表だった自民党を脅かす存在になるのは確実だ。自民党は当面の国会運営で協力を得られるメリットがあるにしても、国政選挙に思いをはせれば、そう安閑としておれない。

赤字ボールドの部分は、明らかにデタラメだろう。

自民党より右の政党」はこれまでにも存在した。たとえば、時計の針を12年巻き戻した2002年の時点で、小沢一郎党首率いる自由党を「自民党より『右』の政党」と評した時、これに反論できる人がどれくらいいただろうか。私は、自由党以前の新進党からして「自民党より『右』の政党」と認識していた。かつての自民党総裁河野洋平であり*1自民党社会党やさきがけと連立政権を組んでいたことを思い起こせば当然だろう。小沢一郎社会党を嫌って政権から追い出したところから、1994年の政変は始まった。

もちろん、何も小沢一郎など引き合いに出さずとも、田崎史郎は「たちあがれ日本」を忘れているのではないかとか、橋下徹谷垣禎一よりも「左」だったのだろうか、などなど、ちょっと考えただけでも田崎史郎の書くことが妄論であることは一目瞭然であろう。

さらに言えば、より深刻なのは自民党自体の「極右化」であり、自民党自体が既に極右政党といえる。石原慎太郎平沼赳夫安倍晋三のどちらが「より右か」という比較など意味をなさないだろう。

*1:但し2000年の森喜朗以降、自民党は清和会に牛耳られることになった。