kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小渕優子とは何も考えていない政治家だった(呆)

小渕優子に関しては実像をよく伝えているのは下記の記事ではないかと思った。

政治資金問題でも露呈! 小渕優子はやっぱり何も考えていない女だった!|LITERA/リテラ

政治資金問題でも露呈! 小渕優子はやっぱり何も考えていない女だった!

 小渕優子経済産業大臣が政治資金問題を巡り、いよいよ辞任に追い込まれそうだ。この間の追及に対する小渕の対応を見ていてあらためて思うのは、結局この人は親の政治的遺産を引き継いで、周囲に流されるまま、何も考えずにやってきた人間だということだ。
 金集めや資金処理も親の代からやっていた旧態依然とした方法をそのまま引き継いだだけの他人任せで、追及に対しても自分の言葉で語るわけでもない。「知らないでは済まされないことだと思います」「今やるべきことは、政治資金に関することを調査することだと思います」。まるで他人事のように語るばかりだ。
 こうした小渕優子の主体性や自覚のなさ、もっと言えば何も考えていないということを、リテラは安倍内閣発足直後に指摘していた。ここに再録するので、一読してほしい。
(編集部)

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 女性の活用の象徴として起用された安倍内閣の女性閣僚たち。しかし、本サイトは、山谷えり子拉致問題担当相、有村治子女性活躍担当相、高市早苗総務相、そして稲田朋美政調会長の4人がむしろ女性の社会進出を阻むカルト的女性差別思想の持ち主であることを指摘し、彼女たちの過去のトンデモ発言を紹介した。

「結婚しない女は生物学的に欠陥」「母乳で育てないと発達障害になる」「性教育は結婚後に!」「神様仏様から、子供が授かった」「妾の子を差別できなくて悔しい!」「DVという言葉が独り歩きすれば、家族の崩壊」

 何度読んでも頭がくらくらする発言だが、しかし、そう考えると、同じ安倍内閣の女性閣僚でも小渕優子経済産業相あたりは4人に比べるとかなりマシかもしれない。彼女は、党内では安倍首相とは距離を置き比較的リベラルなスタンスの野田聖子元総務会長に師事し、ともに男女共同参画社会の実現に向けた施策に取り組んできた……とか思っていたら、なんと小渕センセイについてもトホホな発言を見つけてしまった。

 その発言が載っていたのは、「新潮45」(新潮社)9月号の「女たちよ、政治家をめざせ」という記事。小渕が慕うその野田と二人の子分的存在の金子恵美衆院議員との「女性の活躍」をテーマにした鼎談なのだが、議員数に一定の女性枠を儲けるクオータ制に議論が及んだとき、小渕センセイはこんなことを口走っていたのである。

「クオータ制にはあまり賛成でないというのが本音。機会の平等という観点から考えたときに、女だからという理由で下駄を履かされるのはごめんですからね」

 おいおい、「女性だからって下駄をはかされるのはごめん」って、あんた、もっとすごい「下駄」をはかせてもらってることに気がついてないのか。他の候補者は絶対持てない「元総理の娘」という看板に、これまた親から譲り受けた強固な地盤と豊富な選挙資金。政治的資質の有無についての審判なんて一切受けることなく、すんなり当選を果たしてこれたのは、その「下駄」のおかげじゃなかったのか。それを棚に上げて、「機会平等」とかどの口がいってるんだ!と思わず、読んだ方が興奮してしまうくらいの鈍感ぶりを発揮したのだ。 

 同じ二世議員の野田はさすが、その点はわかっていて、後輩の小渕をこう諌めている。

「私たちみたいな女性議員は、自分たちが実力があるだなんて驕ってはいけない。(中略)少なくとも私たち3人は実力で議員になったんじゃない。恵まれたバックグラウンドがあって議員になった。その陰で、私たちよりも優秀な女性が、境遇に恵まれていないせいで政治の世界に出てこられない現状がある。そういう人たちの才能を活かすためにもクオータ制が必要なんじゃないかな。」

 もっとも、その野田も根本的に世襲という問題を否定する気はないらしく、女性議員を増やす方策としてこんな驚愕の提案をするのだ。

「じゃあ、私たちみたいな。政治家を親や祖父に持つ女性に、とにかくまず立候補してもらうというのはどう?」

 つまり、政治家を息子でなく娘に継がせる制度をつくろう、というわけだ。これはこれで「男女平等も世襲前提かよ!」とツッコミたくなる発言だが、しかし、野田の場合は「世襲制批判があるのを承知の上で、敢えて」「女性議員を増やすのであれば、ひとまず下駄を履いた議員でもいいから政治の世界に送り込んでいかないと」とも付け加えているので、一応、いろんな問題点がわかっていてあえて挑発的に語ってみせたのだろう。

 しかし、問題なのはやはり小渕の反応だ。小渕は野田のこの挑発にも、まったく悪びれることなくこう返したのである。

「でも現実には、息子でなく娘に後を継がせるという感覚は、政治の世界にはまだまだないと思います。例えば私には6歳と4歳の息子がいますが、『よかったですね、これで跡継ぎができたね』と、よく言われる。ちょっと待って、私は娘ですが跡を継いだんですけどと思ってしまう。」

 え? そういう話? 野田は一応、世襲制という悪をあえて利用するという文脈で語っているのに、小渕はそれを素直に受け取り、自分のエピソードを淡々と語るだけなのだ。小渕にとって世襲はデフォルト。その後も、彼女の口をついて出てくるのは、夫に挨拶を変わってもらったら、「いつでも、旦那さんに議員を変わってもらえるね」といわれてイヤだったとか、そういう話ばかり。小渕はこの鼎談で自分がいかに野田聖子を尊敬し、目標としてきたかを語っているが、どう見ても、野田の政策を理解しているようには思えない。

 それは、テーマとなっている女性政策についても同様だ。女性政策が一気に進み始めた事についてこんな発言をしている。

安倍総理はそういったところをわかっていらっしゃる。だから、これだけ女性政策を進めてくださってる」「日本のリーダーが。こんなにも女性政策を提言してくれるなんて、今までなかったことですからね」

「進めてくださってる」と、女性政策がまるで男社会からのサービス、安倍首相からの施しのように平気で語ってしまう神経。ひょっとすると、この人、実は何も考えてないんじゃ……。発言を読めば読むほどそんな疑問がわいてくるのだ。

 実際、小渕優子がどういう政治スタンスでどんな政治的成果をあげてきたかを即答できる人はほとんどいないだろう。目立たず騒がず、ただ淡々とその場の流れにあわせてふるまっているだけ。その一方で気配りは一級品で、力をもっている人間、自分の味方になってくれる人間には最上の気配りを見せる、それが小渕優子の永田町評だ。実際、この鼎談でも、野田聖子を一番尊敬しているといいながら、安倍首相をほめあげ、会話の合間に「あっ、聖子先生にお酒を。」なんて気配りを全開している。

 どの組織にもいるタイプだが、しかし、案外こういう人が強いのである。思えば、彼女の父親もそうだった。何もやっていないのに、気がついたら、総理大臣……。

 ちなみにこの鼎談は第二次安倍内閣の組閣前に行われたものだが、その組閣で、小渕優子経産相という重要ポストに抜擢され、総務会長を務めていた野田聖子は外された。そして小渕優子には案の定、“ポスト安倍”という声が上がり始めている。恐るべし、小渕優子、というしかない。
(水井多賀子)


この記事で引き合いに出されている野田聖子にしても、ここのところ、あたかも「ハト派」「リベラル」の政治家であるかのように語られることが多いのに私は唖然としている。野田は確かにもともとは河本派の流れだったようだが、郵政解散・総選挙当時の2005年には大いに右傾化して、亀井静香タカ派政治家たちとつるんで勇ましい声を張り上げていた悪印象が私には強い。また、麻生内閣の消費者行政担当相だった2009年の終戦記念日には、野田は閣僚でただ一人靖国神社に参拝するという暴挙に及んだことがある。当時の共同通信の記事より。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009081501000223.html

野田聖子担当相が靖国参拝 麻生首相は見送る意向

 野田聖子消費者行政担当相は終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。麻生太郎首相は同日午前、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花したが、靖国参拝は見送る考えを明らかにしており、野田氏以外の16閣僚のうち15閣僚も参拝しない考えを表明している。中曽根弘文外相は明言を避けているが、中韓両国に配慮して見送る見通し。一方、小泉純一郎安倍晋三両元首相は同日午前、それぞれ靖国神社を参拝した。

 麻生首相は10日、靖国参拝について記者団に「最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきだ」と見送る意向を表明。民主党鳩山由紀夫代表は11日、衆院選後に首相に就任しても靖国神社を参拝せず、閣僚にも自粛を求める考えを示した。

 小泉氏の終戦記念日靖国参拝は、首相退任直前の2006年から4年連続。安倍氏は首相だった07年の終戦記念日は見送ったが、昨年から2年続けて参拝しており、この日は記者団に「御英霊に尊崇の念を供するためにお参りした」と述べた。両氏はいずれもモーニング姿で、本殿に上がり「昇殿参拝」を行った。

 野田氏は福田改造内閣の閣僚だった昨年も終戦記念日に参拝。今月11日の記者会見では「幼いころからの行事であり、閣僚であろうとなかろうと私人として参拝する」と述べた。

共同通信 2009/08/15 13:15)


そんな野田聖子が、今なぜ「ハト派」を装っているのか不思議だが、おおかた安倍晋三らとの違いを際立たせたいとかいった類の「目立ちたい」一心からくるものであろう。こんな野田の「ハト派ブリッ子」に騙されてはいけないと思うのだが、その野田聖子と比較しても、小渕優子がいかに「天然」というか、政治家にふさわしい見識を全く持っていないらしいことは、最初に引用した記事からうかがわれる。はっきり言ってここまでひどいとは思わなかった。

そりゃ安倍晋三も辞任を認めるだろうよ。小渕のイメージは地に堕ち、「原発再稼働を進めるための人気とり」としての利用価値もなくなってしまったのだから。