kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「ハンドウを回す」とは - 松本清張『遠い接近』(文春文庫)

図書館に真新しい松本清張の文庫本があったのを見つけて、借りて読んだ。


新装版 遠い接近 (文春文庫)

新装版 遠い接近 (文春文庫)


この『遠い接近』は、1971〜72年に『週刊朝日』に連載され、1972年に光文社からカッパブックスとして刊行され、1977年に文春文庫入りした。しかし、清張作品としてはあまり知られていない部類だろう。その『遠い接近』の改装新版が、昨年(2014年)9月に同じ文春文庫から出た。文庫本の解説文が文春のサイトに載っているので以下引用する。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/2690

一兵卒として戦争にかり出された人々の思い
『遠い接近』 (松本清張 著)
解説 藤井 康榮|北九州市立松本清張記念館館長

 『遠い接近』は、一九七一年八月六日号から七二年四月二一日号まで「週刊朝日」に連載された。「黒の図説」というシリーズ(一九六九年三月二一日号〜七二年一二月二九日号)のうちの一作で、『鷗外の婢』や『生けるパスカル』、『表象詩人』などの代表作も、ここで連載された。

 一九七一年は、清張が『昭和史発掘』の連載を終了した年でもあった。『昭和史発掘』は、連載中にもかかわらず一九六七年に吉川英治文学賞を、一九七〇年には菊池寛賞を受賞していた。これらの大作を、同時並行に書いていたことは信じられないくらいである。

 本作は、敗戦を挟んで前後の約七年間を時代背景としている。主人公の山尾信治は、印刷の色版画工、自営業である。三二歳で召集され、朝鮮半島に出征する。自伝的作品『半生の記』を読めばわかるように、清張本人と重なる部分が多く、作品には作者の体験が色濃く反映されており、中年兵の焦燥や、衛生兵の特殊性、内務班での古兵による私的制裁など、描写は真に迫っている。

 山尾は、私的制裁を受けながらも、一家七人の生活がかかっている印刷の仕事のことばかりを考えていた。同じ班にいた銀行員は、会社から家族へ給料が支払われているので心配がない。実際の清張自身は、入隊時には朝日新聞社の社員となっており、むしろ銀行員の立場に近いが、想像力を駆使して、山尾という人物を造形している。広島に疎開した家族全員を原爆で失うことも、戦後ヤミ屋を手伝うことも、むろん復讐劇も、創作である。しかし、この時代、多くの日本人が似たような体験をしたのであり、清張にとっても他人事ではなかっただろう。

「ハンドウを回す」という言葉について、作者は次のように書いている。

 昭和十八年六月、わたしに補充兵(徴兵検査では乙種)として最初の赤紙召集令状)がきた。(中略)入隊受付係の下士官は「ははあ、おまえは、ハンドウをまわされたな」と三十三歳のわたしの顔を見て憫笑した。そのときはなんの意味だかわからなかった。ハンドウ(反動?)をまわすのが「懲罰」という意の軍隊用語であるのを入隊してから知った。(中略)『遠い接近』は、そのときの市役所兵事係の「懲罰」をテーマにしたものである。

「着想ばなし(1)」(『松本清張全集』第39巻「月報」収録)


 このような恣意的な召集が、どこでも行われていたとは言えないだろうが、似たようなことがあったことも事実である。徴兵忌避の話は戦後わりと語られるようになったが、誰がどのように召集者の人選を行なったかについては、ほとんど触れられてこなかった。幸い、清張は生きて帰還し、家族も無事だったが、実務者のペン先一つによって、いとも簡単に戦場へ送られるという感触は、実体験として強く残ったのである。(後略)


召集令状は、戦争に協力した歌人斎藤茂吉の一族にもきたくらいだから、原則としては富める者にも貧しい者にも公平に来たと思われるが、一部にはこうした恣意的な徴兵もあったようである。有名な例としては、戦後A級戦犯として死刑に処せられた東条英機が批判者を次々と召集したことが知られている。その東条の内閣で商工大臣を務めたのが安倍晋三の母方の祖父・岸信介だった(但し岸はのちに東条から離反して閣僚を辞任し、東条内閣を崩壊させた)ことはともかく、戦時中の日本は最高権力者からして腐敗しきっていた。今と同じである。

http://plaza.rakuten.co.jp/otogibanasi/34000/ より

また、個人的に嫌いな人物や敵対者を召集して激戦地に赴任させるというやりかたも東條酷愛の方法で、毎日新聞社編『決定版・昭和史--破局への道』『毎日新聞百年史』に詳しい竹槍事件では1944年2月23日毎日新聞朝刊に「竹槍では勝てない、飛行機だ」と自分に批判的な記事を書いた新名丈夫記者を37歳という高齢で二等兵召集し、硫黄島へ送ろうとした。新名は大正年間に徴兵検査をうけたのであるが、まだ当時は大正に徴兵検査を受けた老兵は1人も召集されてはおらず、これに対して新名が黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であった経過から海軍が「大正の兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍に抗議し、陸軍は大正の兵隊を250人を丸亀連隊(第11師団歩兵第12連隊)に召集してつじつまをあわせた。新名自身はかつて陸軍の従軍記者であった経歴と海軍の庇護により連隊内でも特別の待遇を受け三箇月で召集解除になったが、上の老兵250人は硫黄島で戦死することになる。陸軍は新名を再召集しようとしたが、海軍が先に徴用令を出し新名の命を救った。


東条の癇癪のとばっちりを受けて召集された丸亀連隊の250人を殺したのは東条英機その人だったといえる。その東条を信頼したのが昭和天皇だったこととか、先年亡くなった東条の孫娘・東条由布子(本名・岩浪淑枝=旧姓東条)を引っ張り出して東条を復権させようとしたのが産経の極右月刊誌『正論』だったことなどが思い出される。故東条由布子は『正論』2005年11月号で祖父・英機を「誹謗中傷」した石原慎太郎に抗議したらしいが、どっちもどっちとしか言いようがない。

松本清張の話に戻る。清張の召集について、2008年に文春新書から森史郎著『松本清張への召集令状』が出ている(未読)。


松本清張への召集令状 (文春新書 624)

松本清張への召集令状 (文春新書 624)


その書評を引用する。

【書評】森史朗:松本清張への召集令状【ブックレビューサイト・ブックジャパン】

松本清張への召集令状
松本清張のすさまじい復讐劇、その謎が解き明かされる。
著 森史朗
文藝春秋 /文春新書 [ノンフィクション] 国内
2008.03  版型:新書
レビュワー/佐藤倫朗


著者の森史朗は、松本清張の担当編集者だった人である。
著者は、清張のあるサスペンス長編について、殺人を犯してしまう主人公は、まさに作者、松本清張自身であるというのである。

昭和19年6月、九州の小倉で印刷業を営んでいた松本清張のもとに「赤紙」が舞い込む。敗色濃くなったこの時期の召集は、そのまま「死」を意味していた。そのとき清張、35歳。一家の主として家族と両親の生活をひとり支えていた清張は、急転、絶望の淵に立たされる。
と同時に、自分のような中年(おまけに虚弱体質)がなぜ、という疑心が頭をもたげる。そしてそこには、あるカラクリが隠されていた。

思い出されるのは、前年、教育召集の検査場での場面だった。
「教育召集」とは、兵役義務のある男子を数ヵ月間入営させて軍隊生活を体験させるというシステムで、そのときもなぜ自分のような妻子持ちがと疑ったが、前線へ出るわけではないし数ヵ月間だけのことだからと自分を納得させて検査場に向かった。

が、思えばあのときの係官との会話が妙にひっかかる。

「おまえ、教練にはよく出たか」
と係官は聞いた。「教練」とは、民間の在郷軍人会が主宰する町内の軍事演習のことで、大黒柱として家業に忙しい清張は、ほとんどこれに参加していなかった。
「あまり出ていません」
と正直に答えると、係官はなるほどという顔で、
「ははあ、それでやられたな」
とつぶやいたのだ。
教練に参加しなかった、その懲罰としての召集だというのか。そして今回の「赤紙」も──。清張の疑心は、確信となっていく。
こういうのを「ハンドウをまわされる」というらしい。当時、同じようなことが日本中であったという。「ハンドウをまわされる」、意味は不明だが、意味不明なだけに、よけいおぞましい響きである。では、誰がハンドウをまわしたのか。清張の「召集令状」への執拗な追求が始まる。
こうして生まれたのが、サスペンス長編『遠い接近』である。

主人公山尾信治は色版画工。中年兵としての召集で、衛生兵として朝鮮に送られる。山尾は召集のとき「ハンドウをまわされたな」といわれ、自分が教練を怠けて懲罰的に召集されたことを知る。

そしてやがて、彼にハンドウをまわしたのが役場の兵事係長であることが判明する。
ハンドウをまわすことができるということは、逆に、意図してハンドウをまわさないこともできるということである。小役人の気まぐれな選択が、男たちの(ひいてはその家族の)生殺与奪を握っていたという恐ろしい事実。
軍隊生活では、日本陸軍のあの悪名高い「私的制裁」が待っていた。要領の悪い山尾は古参兵の標的となり、陰湿に、そして徹底的にいじめ抜かれる。
やがて終戦。復員した山尾を待っているはずの家族は、疎開先の広島で原爆によってみんな亡くなっていた。無残。
山尾信治の壮絶な復讐劇が始まる。役場の兵事係長だった男に接近し、周到な計画を練り、ついには殺害する──。
この『遠い接近』の前半部分、つまりハンドウをまわされて従軍し、復員するまでのストーリーはすべて、中年で召集されたことも、ハンドウをまわされたことも、衛生兵だったことも、朝鮮に送られたことも、要領の悪い兵隊で私的制裁を受けたことも、清張自信の体験と重なる、と著者森史朗は書くのである。

山尾信治と松本清張の無念は同じだと。国家権力や軍組織や戦争の理不尽さに対する山尾と清張の怒りと怨念は同じだと。

清張担当の編集者だったころ、夜討ち朝駆けで何度も浜田山の清張邸を訪れ、何度も清張と炉辺談義をした著者だが、軍隊体験についてこの作家が積極的に話すことはなかったという。
ただ、炉辺談義の言葉の端々から、あるいは清張のほかの著作(自伝を含め)の記述などから、著者は謎を解くようにひとつずつ、作家自身と作品『遠い接近』との密接な関係を明らかにしていく。
だから、本書は作家論でありドキュメントでありながら、まるでミステリーのように楽しめる。
そして、たぶん担当編集者としての作家への畏怖の念が随所にちりばめられているからだろう、陰惨な話の連続なのに、不思議と読後感は清々しい。
本書を読めば、必ず『遠い接近』を読みたくなるが、かくいう私も『遠い接近』を読んだことがなかった。

本屋(神保町)に走ったが「すいません。在庫切れてます」。次の本屋(新宿)も同様。急ぎ方向転換して図書館に駆けつけ、借りたという次第。だいぶ古い本だから仕方ないが、とても手に入りにくくなっている。文春文庫とカッパノベルズ、あと松本清張全集(文藝春秋)にある。


その入手困難だったという『遠い接近』が改版新装された。会社総体としては右翼的といえる文春だが、時々はこのような良いこともしてくれる。