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民主・維新 次の焦点は野党再編 統一会派結成合意受けて(毎日)

http://mainichi.jp/senkyo/articles/20151208/k00/00m/010/092000c

民主・維新
次の焦点は野党再編 統一会派結成合意受けて
毎日新聞 2015年12月7日 20時16分(最終更新 12月7日 23時56分)

 民主、維新両党が7日、来年1月4日召集の通常国会までの統一会派結成に合意したことを受け、焦点は来春の合流を視野に入れた野党再編に移る。ただ、民主が党を存続させる形での合併を目指すのに対し維新は新党結成を求めるなど両党間の開きが大きく、合流実現に向けた課題は山積している。【飼手勇介】

 「新党を目指すということだ」。7日午後、国会内で行われた党首会談後、維新の松野頼久代表は「両党の結集も視野」との合流に関する確認事項について、記者団にこう強調した。一方、別の場所で取材に応じた民主の岡田克也代表は「新党の可能性は排除しないが、幅広い概念だ」と述べるにとどめた。

 民主側が解党せず維新が合流する形での吸収合併を目指すのに対し、維新側は新党結成を求めている。維新は国会法の規定で新党以外には党を移動できない比例当選の参院議員5人を抱えるためだ。民主幹部は「『結集も視野』はどちらの考えも表現できるようにした言葉だ」と明かす。

 さらに維新が党名変更を求めるのに対し、民主は「事務経費がかかる上、参院選で浸透できるか未知数」(幹部)と消極的。統一会派の陣容についても、民主が両党に加え一部の無所属議員を検討しているのに対し、維新は「共産以外の全ての政党と組むべきだ」(松野氏)として社民や生活の党の参加も求めている。両党の協議が整わなければ月内を目指す統一会派結成時期にも影響しかねない。

 さらには維新の分裂に伴う弱体化で、来夏の参院選に向けた合流効果も不透明だ。民主、維新は今年8月末に共通政策の協議開始で合意した際、水面下で統一会派結成の検討も開始した。しかし、維新は橋下徹大阪市長の「おおさか維新」との分裂で当時の51人から26人に半減。両党だけでは参院選に向けた野党結集効果は薄い上、松野氏が連携に前向きな生活の小沢一郎代表に対しては民主内に抵抗感が根強い。


これまでにも何度も書いてきたように、民主党と維新の党の合流ないし統一会派結成に、私は何も期待しない。

このニュースには、民主党岡田克也)、維新の党(松野頼久)双方のセンスの悪さしか感じない。ことに松野頼久は最悪だ。

もともと鳩山由紀夫の側近だった松野頼久は、社民党や生活の党と(以下略)をひっくるめて民主党を含めた「非自民・非共産」の政治勢力を作りたい希望なのだろう。既に先行している共産党提唱の「国民連合政府」とはバッティングする。

そもそも、来年の春には橋下一派に返還するという「維新」(="restration"=「復古」。反動勢力にふさわしい)の党名を当面彼らが掲げ続けること自体、「維新」の名前自体に拒絶反応を持つ人間(私もその一人だが)、つまり反自民勢力の中でも相対的に「左」の人々にとって、民主党と「維新」の名を党名に冠した政党が統一会派を結成すること自体、それでなくても下がっている民主党のイメージをさらに大きく下げる以外の何物でもない。

つまり、この統一会派は、民主党と維新の党の議席の足し算にはならない。それは、来年の参院選(あるいは衆参同日選)で大敗との結果とともに示されるだろう。

来年の国政選挙は、反自民勢力にとっては最後の籠城戦だ。私も民主党や維新の党とは違った観点から「国民連合政府」構想に懸念を持つが、来年の国政選は「立憲主義」の旗を掲げて籠城戦を戦うしかないと思う。

余談だが、昨日一昨日あたりに、なぜ政権交代前にはあれほど国政選挙に弱かった安倍晋三が、2012年以降には無敵の国政選挙での強さを誇っているのかわかった気がした。

それは、坂野潤治の言う「反体制エリート」として、小林節らの言う「クーデター」を起こして挙兵している安倍晋三は、2012年の衆院選に勝って政権をトリモロしたあともずっと「攻め」の立場に立っているからだ。2003年の衆院選前に自民党幹事長に抜擢された頃の安倍晋三は、小泉純一郎に絶対に逆らえない体制下で、「守りの選挙」を戦った。2007年の参院選でも、安倍は「小泉純一郎の後継者」として守りの選挙を戦った。しかも、有権者は「改革」の旗手とみなして拍手喝采を送っていた小泉純一郎と比較して安倍晋三を「守旧派」とみなした(本当の姿はクーデターを目指す「反体制エリート」だったのに)。だから安倍は惨敗した。「攻めに強く守りに弱い」といえば菅直人を思い起こすが、それは何も菅だけではなく、安倍晋三も、2012年に「日本生活の党」で壊滅的な大惨敗を喫した小沢一郎も同じだ。小沢の場合、2000年の衆院選では「守りの選挙」で強さを発揮したが、それは当時の自由党小沢一郎の政治思想を正しく政策に反映した政党だったからである。当時の「右」側の支持者たちは、小沢一郎を信念を持つ政治家とみなして信頼していた。事実、当時の小沢は十分「信念の政治家」といえたから守りにも強かった。しかし「国民の生活が第一」のスローガンにしても「脱原発」にしても、それらは選挙に勝つための方便に過ぎなかったから、2012年の衆院選でそれを見透かしていた有権者の支持をつなぎ止めることはできなかった。

例によってついつい小沢の話に脱線してしまったが、日本国憲法立憲主義保守本流、それに「戦後レジーム」といった敵の本丸に攻め込み、今年の安保法成立でまた一つ大きな拠点を攻め落とした安倍晋三は、来年はいよいよクーデターの成就をかけた戦いを挑んでくる。

この戦いにおいて、敵は攻城戦を行い、こちらは籠城戦を行わざるを得ない立場だ。岡田克也松野頼久もそれを理解できていないのではないか。いざとなったら白旗を掲げて降参するか、とでも思っているのだろうか。