kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立憲民主党、国民民主党と小沢一郎の醜い「野党内主導権争い」(呆)

またぞろ朝日新聞の政局観測記事が一部で話題になっている。

https://www.asahi.com/articles/ASLDK4SB2LDKUTFK00G.html

立憲、野党の参院改選組「脅し」て取り込む きしむ共闘
山岸一生、河合達郎、安倍龍太郎
2018年12月24日18時11分

 約6年となる安倍政権。自民1強が続く要因の一つは「多弱」野党だ。最大野党の立憲民主党無所属の会(無会)の一部の会派合流を決めたものの「単独主義」をとり、旧民進勢力の結集は否定する。来年の参院選を前に、野党は共闘関係よりもきしみが目立つ。

 「幹事長のおひざ元。必ず勝たなければならない」。立憲の枝野幸男代表は16日、福山哲郎幹事長の地元・京都市で、参院選京都選挙区(改選数2)に新顔の増原裕子氏(40)の擁立を発表した。

 京都の改選現職は自民、共産。国民民主党前原誠司元外相の元秘書の新顔斎藤アレックス氏(33)を10月に公認済みだ。しかし枝野氏は「他党の動向はまったく関係ない」と言い切った。

 前原氏は京都での議席奪取を目指し、候補一本化を強く求めてきた。8月の国民府連結成大会では、来賓の福山氏を前に民主党で共に行動してきた経緯を挙げ「選挙戦を勝ち抜くために、私と福山さんで野党結集を図りたい」と秋波を送った。連合京都も一本化を呼びかけた。

 溝は埋まらず、前原、福山両氏の「代理戦争」の様相に。前原氏は「福山さんと話しても『うちは出します』の一点張りだった」と周囲にこぼす。国民府連幹部も「こうなった以上、もう突っ込むしかない」。

 立憲と国民は京都など改選数2…

朝日新聞デジタルより)


この朝日新聞記事についてTwitterからいくつか拾うと……

https://twitter.com/sartrean/status/1077195531598757890 より朝日新聞記事の引用部分

"枝野氏に近い立憲幹部は「国民は来年の参院選までの政党。今後の野党で起こるのは、再編ではなく弱肉強食だ」と解説する。まずは参院選で国民を「解体」し、野党の立憲主導を確立させる。"

5:33 - 2018年12月24日


いかにも立憲民主党の「幹部」が考えそうなことだ。実際、今の国民民主党は、衆参とも同党の実力や政党支持率からすると議席が過多であり、今後の同党には勢力の縮小しか考えられないことは確かだ。現在の同党代表・玉木雄一郎を筆頭とする同党の幹部が考えているのは、議席が多い今のうちに、立民に主導権を完全に渡さず、野党陣営における主導権の一部を確保しておきたいことに尽きる。一方、立民の「幹部」にしてみれば、小池百合子の「排除」劇で「排除する側に立った奴らが何を言うか、支持されていない政党は滅びろ」というのが本音だろう。そこには、野党内の醜い権力抗争しかない。あの時小池百合子なんかを担いだらこんなことになるのは目に見えていた(事実、私は2017年8月2日付の記事で、小池が「排除」劇を引き起こすであろうことを完全に予測していた)のに、馬鹿げた野合劇を仕掛けた前原誠司小沢一郎の責任というか罪は、言いようがないほど重い*1

朝日の政局観測記事は、その小沢が最近橋下徹に接近したことにも触れていた。再びTwitterより。

https://twitter.com/ixabata/status/1077208314268676096

朝日の記事、補足するとおざーさんは立憲に蹴られ国民に蹴られ橋下に接近したとのこと

6:24 - 2018年12月24日


https://twitter.com/kgssazen/status/1077412835213303808

朝日新聞のこの記事からは、小沢一郎氏の窮状がよく伝わってくる。立憲からも国民からも統一会派構想を断られ、橋下徹氏からも色よい返事が得られなかったと。2012年の衆院選をきっかけに、小沢氏はずっと浮上できずにいるが、過去の所業もあり、再浮上は難しいのではないかと思う。

19:56 - 2018年12月24日


そういえば一時期小沢と枝野幸男が密談を重ねていると報じられた時期があったが、結局枝野にすげなくされた小沢は、昔から馬の合う玉木雄一郎*2に接近し、一時は「非共産、非立憲」で統一会派を結成することで合意したものの、国民民主党内から反発を買って話がまとまらなかったという。それで小沢は橋下徹に接近したのだが、この文脈から推測すると、世に言われている「前原誠司が小沢と橋下とを引き合わせた」というよりも、橋下が朝日新書から出した「著書」の中で小沢を絶賛していることを知った小沢が、前原に命じて橋下との会談をセッティングさせたと考えねばなるまい。つまり、明らかに小沢が主導権をとって橋下に接近したのだ。しかし、橋下は「著書」に書いた小沢絶賛とは裏腹に、色よい返事をくれなかった。私に言わせればそれも当たり前で、以前にもこの日記に書いた通り、橋下は同じ右翼にして新自由主義志向の安倍晋三とは戦っても勝てないから、安倍が政権の座にいるうちは動くはずがないのだ。石破茂枝野幸男か、はたまた別の誰かかはわからないが、次の総理大臣が誰になろうが次期総理大臣と橋下との距離は安倍と橋下との距離より確実に大きく開くから、橋下はその時こそ政権との対立軸を鮮明にすることができるのであって、橋下が動くのはその時だろう。もちろんその時にはもう小沢は政界を引退しているはずだ。だから、今年の小沢は、沖縄県知事選で玉城デニーを当選させた大きな「金星」があったものの、中央での権力闘争に関しては成果がなかったといえる。

今回の朝日の政局観測記事から思い出すのは、故岸井成格が(おそらく)ナベツネから聞いた話として佐高信との対談本『保守の知恵』(毎日新聞社,2013)で暴露した2012年の小沢の妄動だ。「国民の生活が第一」を立ち上げた頃の小沢は、「私の考えは橋下市長と同じだ」というのが口癖で、あからさまに橋下に秋波を送っていたが、その裏ではなんと石原慎太郎にもアプローチをかけていたという。それに腹を立てた石原が小沢抜きで橋下と野合した(「日本維新の会」への「太陽の党」の合流=2012年11月)というのだ。小沢はそのみじめな失敗にも懲りず、今年も同じようなことをやらかし続けたわけだ。

小沢ほど節操のない「権力闘争マニア」はそうそういるものではない。小沢が導入のために剛腕をふるった衆院選小選挙区制といい、1989年の海部俊樹内閣発足以来現在まで小沢が政界に垂れ流してきた害毒はどうしようもないほどひどかった。そういえばその期間が「平成」の30年間にぴったり重なる。「平成」とは「小沢一郎が垂れ流した害毒の時代」だったと言っても過言ではない。上記は元号廃止論者の私としてはあまり使いたくない表現なのだが、あまりにも小沢がのさばった時期と「平成」とがみごとに重なるのでつい書いてしまった。

野党共闘」論者たちの多くは、未だに小沢一郎に未練たらたらのようだが、もういい加減小沢から「卒業」すべき時期だ。

*1:現在でも、立憲幹部が「まずは参院選で国民を『解体』し、野党の立憲主導を確立させる」などと「取らぬ狸の皮算用」をしていることは、安倍晋三衆院を解散させて衆参同日選挙をやらせるための大きなインセンティブを与えているようなものであって、危なっかしいことこの上ないと思うが、そんな現状を招いた元凶も昨年の「希望の党」設立劇と、それによって必然的に起きた小池百合子の「排除」劇だった。それを引き起こしたのが小沢一郎前原誠司なのである。

*2:一時期、反自民・反安倍系右派政治評論家の鈴木哲夫が『サンデー毎日』で民主党時代の玉木が、民主党を出て生活の党を立ち上げた小沢に接近していることを宣伝する文章をよく書いていた。なお、鈴木哲夫は「小沢信者」御用達になる以前には、『若き政治家 下村博文』(河出書房新社,2001)なるクソ本を出したこともある、唾棄すべき極右人士である。