kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎、立民と社民の統一会派を「数合わせ」と批判。お前が言うな

 小沢一郎が仕掛けた自由党と国民民主党(民民)との合流計画は、結局統一会派結成にとどまるしょぼい展開となったが、これに対して立憲民主党(立民)が小沢に「切られた」形になった参院社民党統一会派を組んで対抗するなど、とうとうスポーツ紙に面白おかしく扱われるにふさわしいレベルの「数合わせ合戦」になった。下記は日刊スポーツの記事。

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201901250001075.html

小沢氏が立民を批判、社民と「数合わせ」統一会派

自由党小沢一郎共同代表は25日、立憲民主党と国民民主党が展開する野党第1会派をめぐる争奪戦に関し、立民が社民党参院限定での統一会派を組んだことを「数合わせ」との認識を示し、厳しく批判した。

小沢氏はこの日、自由党が衆参両院で統一会派を組むことで合意した国民民主党を訪れ、玉木雄一郎代表とともに同党が新設したスタジオで動画生配信に出演。終了後の取材に、立民と参院社民の統一会派結成について「統一会派をつくるのは、党と党の中でやっていくこと。数合わせはダメだと言っている」と述べ、「数合わせとの認識か」と問われると、「そう思いませんか?」と述べた。

野党第1会派をめぐる動きは24日、ジェットコースターのように動いた。国民と自由は午前、衆参での統一会派結成で合意。自由の衆院2人、参院4人の計6人が国民の会派に合流することで、参院の会派人数は一時、立民を上回り、参院では国民&自由が野党第1会派の見通しになった。

しかし、衆参両院で野党第1会派を維持したい立民は、午後に社民党との参院会派結成を提出。この時、2会派の所属人数は参院で27人と同数になったが、夜に国民の参院議員1人が離党の意向を示し、立民に入党届を提出。これで立憲&社民が28人、国民&自由が26人となったが、25日の参院議院運営委員会では手続きが完了していないとして、どちらが第1会派になるか結論は出なかった。

共闘を目指す野党が、主導権争いで2つの塊に“分裂”。野党結集を目指す小沢氏は「我々は、参院の数を増やすためだけに会派をつくったのではない。片方(参院)だけというのは分からない」と述べ、野党の主導権争いを過熱させた立民に疑問を投げかけた。

(日刊スポーツ 2019年1月25日20時24分)

 そりゃ立民がやったのは小沢の言う通り「数合わせ」だが、先に数合わせを仕掛けたのは小沢と民民の方なのだから、小沢に対しては「お前が言うな」の一語に尽きる。

 ところで立民と社民の統一会派についても、立民側から持ちかけたという報道が多いけれども、一部には小沢に切られた社民が立民に持ちかけたとの報道もあった。まあ両党のニーズが一致したということなのだろう。
社民党は2009年の政権交代前後から小沢の「衛星政党」と化していた。2010年の鳩山政権退陣は鳩山の「辺野古現行案回帰」を受けての退陣劇だったが、その件が原因で連立を離脱した社民党の「小沢の腰巾着」ぶりは実にひどく、ことに現社民党党首・又市征治の小沢へのすり寄りぶりは醜悪の一語に尽きた*1。当時小沢は鳩山退陣を受けて行われることになった民主党代表選(2010年6月)について、「社民党からも理解を得られる候補を推す」と公言していたのに、いざ蓋を開けてみたら、小沢一派は右翼かつゴリゴリの新自由主義者である樽床伸二を推したのだった*2。これには開いた口がふさがらなかったものだ*3。この件からも明らかなように、自らの衛星政党であろうが平気で公党を虚仮にするのが「小沢流」だったのであって、それにもかかわらず社民党は長年小沢の衛星政党に甘んじていたのだが、今回いとも簡単に切られてしまった。社民はそれならばと立民と組んだ恰好で、まあそれに対しても、立民と社民のどちらが持ちかけたにせよ、正直言って「何やってんだか、まるで子どもの喧嘩だな」と私も思ったが、少なくとも長年社民党を虚仮にし続けた小沢に偉そうな口を利く資格など全くない。

 野党はいつまでこんな奴に振り回されているんだろうか。あまりにいつものことなので、もはや大して腹も立たなくなったが、それにしても「これはひどい」。

 これもまた「崩壊の時代」にふさわしい野党各党の劣化の一コマだろう。

*1:その悪印象があまりにも強かったので、私は現在に至るも又市征治を一切信用していない。

*2:もっとも、一方の菅直人前原誠司野田佳彦民主党内右派に担がれて代表選に立候補した。この時の小沢・菅双方の妄動が、2年後の衆院選での民主党惨敗につながったのだった。

*3:民主党代表選での小沢の妄動はこの時にとどまらない。2011年には、小沢自らは脱原発志向を匂わせていながら、代表選では大の原発推進派である海江田万里を推し、「小沢ガールズ」と呼ばれた小沢一派の女性議員たちを困惑させたこともあった。