kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

自己規制なんて不要に決まっているし、「安倍晋三」と呼び捨てにして何が悪い。

http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/03/19/173813(2016年3月19日)より
(前略)

「保育園落ちた日本死ね!!!」が自己規制された文章なら話題になったか?

例えば、「保育園落ちた日本死ね!!!」が、「保育園落ちた」というタイトルで、下記のように始まったら、これほど話題になっただろうか。

何なの日本。
一億総活躍社会じゃないの?
昨日見事に保育園落ちました。
どうするの私活躍できません。…

主張の明快さにブクマはついたかもしれないが、2000超はいかなかったろう。

人は、文章を書く時に自己校正して、使う単語にも規制をかける。あえて「死ね」という、批判されるような単語は使わない。

この記事にはそれがない。
少なくとも私は、規制のないストレートな心情の発露と、自らを律することができないほど余裕を失くした切実感に胸を打たれた。

タイトルが「日本死ね」だからウケたことは明らかだよね。
「日本」は生物じゃないから死にようがない。植民地にされたり、ソ連みたいに政体が変わったりすることがあっても、「ソ連が死んだ」とは言わない。

これが個人名だったら「死ね」とは書けないから「氏ね」などと書くが、それでも「死ね」の意味だ、などと言われる。それが「日本死ね」だったら、実際には安倍晋三以下の日本政府の閣僚や省庁の官僚その他に対する言葉であることは明らかであるにもかかわらず、文法上はあくまで無生物に対する言葉になる。私なんかは「読売(キョジン軍)死ね」などと(書いた記憶はないけど)よく口走るから、それも思い出された。

記事は続いて、昨日私も肯定的に取り上げた 「安倍首相はお金もあるし、子どももいないから未来の景気なんてどうでもいい」 - 斗比主閲子の姑日記(2016年3月18日)を取り上げ、下記のように書く。

正論である。
本当に、本当にその通りだ。
昨夜この記事を読んだ私は反省し、「仰る通りです。批判の仕方は私も気をつけます」とブコメをしたほどだ。

だが、今朝起きて考えた。

批判されたコメントは、下記のニュースに対しての発言だ。
麻生財務相「消費税 予定どおり10%に」 NHKニュース

このニュースには、私も非常にがっかりした。
この期に及んでも、政治家はまだ財務省の方を向いているのかと。

コメントをした人も、私と同様に落胆したのではないか。

 消費税予定通り実施
→政治家は「なぜ」国民の方を向いてくれないのか、という落胆
→その理由は、本来は国民の味方であるべき政治家は、同時に特権階級(=金持ち)であるため、景気対策を切実に捉えられないのではないかという疑問
→「すごく根本的に、この人たちは未来の景気なんてどうでも良いのよ」というコメントにつながる


このような心理の流れがあるのではないか。
そして、斗比主さんが指摘した、このコメントにスターをつけた人々も、特に「安倍首相には子供がいないから」という部分に賛同した訳ではないと思う。
コメントは言葉足らずで配慮がないが、根底に流れる「政治家は未来の景気について真剣に考えていないのでは?」という疑問に賛同したのではないだろうか。

コメントしたご本人も、下記のように謝罪している。

斗比主さんの主張は、100%正しい。
ただ、人気ブロガーであり、あれほどの才と分析力を誇る斗比主さんに、「なぜこの方がこのようなコメントをしたのか、その心理と背景」まで分析してもらえたら、さらに良かった。
(と思ったが、斗比主さんが今の政治に不満がなければそんなこと書く訳ない。だから、過ぎた期待である)

あと、批判相手がブロガーなら反論手段もあるし名指し批判もいいと思うが、この場合は一ブクマカなので、斗比主さんのはてなでの地位を考えれば、idまで晒すのはやり過ぎではと思った。

言いたいことはわかるが、私はブログ主とは違った視点から「安倍首相には子供がいないから」というコメントを批判した。このコメント及びこのコメントに多数の「はてなスター」がついたことに、たとえば「稼ぎが少なくて結婚もできない」と思っていて、かつ安倍政権になって職が得られた非正規雇用の若者は疎外感を持つに違いない、だからこんなコメントをしたり、それに「はてなスター」をつけたりする行為は、自ら安倍(自民)批判派を減らす自滅行為だ。そういう戦術的な観点から批判した。私は第1次内閣時代もそうだったが、現在も「安倍晋三の打倒」という目標に利益となるか、それに反するかを評価の基準にしている。その物差しから見れば、「安倍首相には子供がいないから」というコメントは批判の対象にするしかない。それに、そういうコメントを発する人は、斗比主氏にid晒しで批判された人が実際に見せた反応からも明らかなように、批判されたからと言ってヘソを曲げて安倍支持に走ることなどあり得ないのである。

さらに

あと、批判相手がブロガーなら反論手段もあるし名指し批判もいいと思うが、この場合は一ブクマカなので、斗比主さんのはてなでの地位を考えれば、idまで晒すのはやり過ぎではと思った。

というけれども、そういうご自身も人気ブロガーであるらしいブログ主の自意識過剰ではないかと思った。「はてなでの地位」っていったい何?、と私などは思ってしまうのだ。もちろん私はid晒しはいつもやるし、id晒しをやった記事を公開する直前に、批判した相手にコメント禁止処分をして批判を封じるという意地の悪いことも平気でやる。それというのも、当人がブログを開設して私を批判すれば良いだけだから「言論封殺」になんか当たるものか、と考えているからだ。ブログなんて誰にでも開設できる。「はてなでの地位」なんてものは存在しませんよ、と言いたい。

あと、私は読み落としたのだが、斗比主氏は呼び捨てを批判しているらしい。読者の方ならよくご存知のように、私は「安倍首相」とは書かずに「安倍晋三」と書く。「首相」をつける場合でも、「首相・安倍晋三」と書く。この日記は基本的に敬称略であり、それは敵味方を問わないが、「首相・安倍晋三」などという表記するのは敵に対する場合だけだ。だから当然ながら私は斗比主氏の批判の対象である。それに対しては、個々人の意見の相違だから仕方ないと思うだけで、表記を改めるつもりなど全くない。

しかし、上記引用のブログ主は、斗比主氏の批判を受けて表記を変えたらしい。また、ブログ主は安倍晋三を呼び捨てにしていたのを改めたらしい。以下引用する。

先日、この記事を書いた。

非正規女性が見た「自己責任」で傷つけあう社会 - ニャート(2016年3月16日)

(略)この記事の中で私は、安倍首相を呼び捨てにしていた。斗比主さんの記事を読んで修正した。

私は、派遣法を改悪した安倍首相が大嫌いだ。憎んでいると言ってもいい。その気持ちは、自らが派遣社員である者にしか理解してもらえないだろう。
もっとも、私が派遣になったのは、自分の体調を管理できず過労になるまで働いた「自己責任」であり、甘ちゃんな考えなのは百も承知している。
(注:自民党だけでなく、どの政党も嫌いです。もし非正規党ができて、クリーンな政治家が出るのなら応援します。あり得ないけど)

しかし、安倍氏を呼び捨てにしたままでは、「保育園落ちた日本死ね」が『死ね』という余裕のない表現ゆえに批判を受けるよう、私の主張も正しく伝わらない。

分かってほしいのは、言葉が乱れるほど、人々の心から余裕を奪う政治が行われているということなのだ。

いや、それは違うぞ。

安倍晋三に対する批判を受け入れない人に対して、「安倍首相」「安倍総理」などと書いたら「主張も正しく伝わ」って、支持が広がるのか? そんなケースは私には想定できない。

むしろ、それまで安倍を呼び捨てにしていたのを「安倍首相」「安倍総理」などと改めることは、呼び捨てにする人間は「非国民」だ、みたいなおかしな風潮を助長するだけではないかと危惧する。

そんなわけで、今後も「安倍晋三」と呼び捨てにし続けるぞと改めて堅く誓った今日この頃なのであった。