kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

辺見庸の1995年の対談集『屈せざる者たち』を読んだ

松本清張の中篇2つを収めた『疑惑』を図書館に返したあと、1990年代後半に朝日新聞社から出版された辺見庸の対談集2冊を借りた。


屈せざる者たち

屈せざる者たち


新・屈せざる者たち

新・屈せざる者たち


このうち、『屈せざる者たち』を読み終えた。1996年の本で、当時の辺見庸の肩書きは「共同通信編集委員」だ。辺見は、共同通信に在職しながら朝日新聞社が1995年に創刊した月刊誌『RONZA』(のち『論座』、2008年休刊)で対談のホスト役を務めていた。『屈せざる者たち』の内容については、アマゾンカスタマーレビューに良い書評があるのでそれを拝借する。

★★★★★ 95年の肖像画
投稿者 mugi 投稿日 2014/12/22

深作欣二河野義行船戸与一、金福善、李容洙、左幸子遠藤誠西江雅之山本理顕串田孫一北林谷栄原一男ら12名との対談集。96年1月になされた北林さんとの対談を除き、すべて95年に交わされた発言である。したがって阪神淡路大震災地下鉄サリン事件の記憶が生々しく(辺見さんは事件の被害を受けた当事者でもある)、それぞれの言葉には、表に裏に両事件の衝撃と傷が見え隠れしている。その意味でこの本は95年のある種の肖像画であると言える。

本書のテーマやトーンは多岐に渡るけれども、その中でもとりわけて目につくように思われる主題主張は、「身体と言葉が乖離している」「矛先を向けるべき敵が見えにくくなった」ということである。河野さんを誤認逮捕した警察機構に与し、安全な立場から無責任な共犯関係を結んだマスメディア、オウム事件を単純な善の立場からしか裁こうとしなったマスメディア――これは原発事故に際し政府見解をそのまま垂れ流し、批判検討を加えられなかった現今のマスメディアの弊害とダイレクトに結びついている。

また敵が見えないという問題については、どう捩じれ折れ曲がったか、韓国や中国など隣国を根拠なく侮辱し、攻撃し、敵視するという安易なナショナリズムに問題がすり替わってしまった。もちろん「敵が見えない」ということと「隣国を仮想敵として鬱憤晴らし叩く」というのは通底している。問題はより下衆な方向に深化したといってもよい。

95年から20年後のいま、われわれの何が変わっただろうか。情報量が異常なほど大量に、迅速に取り交わされるようになったのは確かだ。でもそれ以外のことは何も変わっていないような気がする。あれからいくつもの惨事を経てもなお、むかしの繰り言を相も変わらず繰り返している。何の反省も責任感もないままに。

しかしだからこそ、本書で語られている個々の言葉の重みというものは現在でもなお有効であるように見える。とくに何がと問われれば、いろいろと語られているのでどれと答えるのが難しいけれども、大事なことは要するに「個人として生きる」ということと「予定調和的なものを信用しない」ということだろう。大勢というのはいかにそれが口当たりよくとも――いや口当たりがよいからこそ、忌避すべきものなのだ。

対談の中で北林谷栄さんがこう言っている。「オウムのときは、よく見ておりました。変なジャーナリストの井戸端会議みたいなのに毎日、掛け持ちででていた人たちがいたでしょう。おまえは卑しいな、と言って切るの、昔、岸信介が映ったときなんかも器量悪いね、と言って切っちゃってました。」

ああこういう心の持ちようってさり気なくて、自分にもできそうだなと、やけに心励まされる発言だった。今度テレビでAが映ったら「おまえは卑しいな」と吐き捨ててやろう。

上記レビューの最後に出てくる「A」とは安倍晋三を指す。

さて、対談者は多くが辺見庸より年上で、物故者も多い。生(没)年を記すと、深作欣二(1930-2003)、河野義行(1950-)、船戸与一(1944-2015)、金福善(1926-2012)、李容洙(1928-)、左幸子(1930-2001)、遠藤誠(1930-2002)、西江雅之(1937-2015)、山本理顕(1945-)、串田孫一(1915-2005)、北林谷栄(1911-2010)、原一男(1945-)となる。既に半数以上の方が亡くなっている。

対談者の中で一番若いのが、松本サリン事件で警察やマスコミに犯人と疑われてさんざんに書き立てられた河野義行氏だ。この対談集の中でも特に印象に残ったのが河野氏との対談だった。ネット検索をかけても、この本の感想を書いている人の多くが同様のことを書いている。

河野氏については、私も新聞記事などを読んで(当時購読していたのは今と同じ朝日新聞だった)、犯人だと信じて疑わなかった。当時友人に、「あいつなんでまだ捕まらないんだ」と言ったことを覚えている。

辺見庸でさえ、河野氏が犯人ではないかと疑っていた。以下本から引用する。

辺見 集中豪雨的な報道の中でいくつかミスを犯すというのを内部で見ていますので、どちらかというと距離を置いて見る癖ができているんですけど、それでも私、正直に申し上げますと、河野さんを疑っていたんです。

河野 だって、読んだ私が、これは私が犯人だろうという書き方ですからね。

辺見庸『屈せざる者たち』(朝日新聞社,1996)37頁)

辺見庸は、この本の最後に置かれた原一男(映画監督)との長い対談*1でも河野氏に言及している。以下再び引用する。

(前略)だから、古典的な私としては、松本サリン事件で容疑者扱いされた人に魅せられましたね。この間、機会があって話したんですが、非常に面白かったですね、あの醒めた目が。われわれが意味世界に取り込まれて、意味づけした人間たちとは違う生活者がいるんだなと思いました。きわめて頑固で、カッコいい。渓流釣りが趣味で、「あなた方は終身雇用制の中で、それを疑問とも思わないで転職しないでやることがいいかもしれないけれど、われわれからしたらそうじゃない。転職していかざるを得ないんですよ」と。労働観さえ違うんです。したがっていっぱい資格をとる。テレビと週刊誌は彼の転職歴をいかがわしいと報じ、たくさんの資格所有を奇妙だとやったわけですよ。ショパンを聞くのが趣味で、ワーゲンも好きな彼にそう言われたときに、ハッと思うことがあったですよ。俺はくだらん仕事をしてるな、と。僕だって彼を疑ってたわけですから、はっきり言って。

辺見庸『屈せざる者たち』(朝日新聞社,1996)299頁)

週刊誌やテレビが河野氏を「犯人」だと決めつけた報道の中には、こんなのがあったようだ。河野氏との対談から引用する。

辺見 当時の報道で一番びっくりした見出しは、写真週刊誌の「毒ガス事件『疑惑の会社員』の奇妙な半生」というのですが、どう思われますか。

河野 やっぱり商業主義で、見出しと中身は違っていても構わないんだと。

辺見 同僚の方が河野さんを真面目だとほめて、鼻唄を歌いながら仕事をしていたと言うと、「鼻唄を歌いながら仕事を」という見出しで、ふてぶてしいというイメージをつくる。ある週刊誌は、「一回も町内会の役員をやってくれたことがない人でね」「まあ、変わり者なんでしょう」という町内会長のコメントを載せる。これは本件にいささかも関係ない。行き方を批判されるいわれは何もないのになと思いました。

辺見庸『屈せざる者たち』(朝日新聞社,1996)42頁)

ああ、それだったら私も週刊誌やテレビに犯人にされるな、と思った。なぜなら私は、中国地方の某地方都市に住んでいた時、町内会の役員など一度もやらなかったばかりか、町内会の役員から郵便受けに入れられたメモに腹を立て、そいつの家に猛烈な剣幕の関西弁で怒鳴り込んだことがあるからだ*2。よく「田舎生活のススメ」などを目にするが、地方は都市部とは比較にならないくらい強烈な「ムラ社会」だから、都市部から地方に移住しようという人はそのことを覚悟しておいた方が良い。特に自分が「変人」であるという自覚がある人(私もその一人だ)には、都市部から地方への移住は絶対におすすめしない。

さて、以下は松本清張の本のネタバレがあるので、知りたくない人はここで読むのを止めてほしい。

対談でも河野氏が言っているが、松本サリン事件で暴走したメディアとして、地元紙の信濃毎日新聞を挙げなければならない。そして、松本サリン事件における信濃毎日新聞と同様に、地方紙の記者が先走って犯人と決めつけた被疑者が無実だったという筋書き*3の小説が、冒頭に触れた松本清張の「疑惑」だ。


新装版 疑惑 (文春文庫)

新装版 疑惑 (文春文庫)


この小説は、松本サリン事件が起きる12年前の1982年に書かれた。松本清張が松本サリン事件を予言していたという「松本」つながりになるのも面白いし、その小説を読んだ直後に、河野義行氏との対談が収められた本を読んだという偶然も面白かった。なお、清張の小説では、被疑者は「鬼塚球磨子」(おにづか・くまこ)という名前に設定されていて、それを北陸地方のT市(明確に富山市をモデルにしている)の地方紙の記者が「鬼クマ」という仇名をつけて犯人に決めつけて書きまくった。富山県は、信濃毎日新聞社の本社がある長野県が接している8つの県の中の1つだ*4。もちろん、清張が松本サリン事件を予言したというよりは、警察から得た情報をそのまま垂れ流して無実の人間を冤罪に追い込むことは、昔から新聞記者がずっとやり続けてきた悪行であって、その悪弊が22年前の信濃毎日新聞の記者にも強く残っていたということだ。

なお松本清張の小説「疑惑」の発想の元となったのは、同じ本に「疑惑」のあとに収められていて、一昨日のこの日記の記事でも紹介した小説「不運な名前」(1981)の題材ともなった熊坂長庵の(おそらく間違いなく)冤罪だ。というのは、熊坂長庵は、平安時代の伝説上の盗賊・熊坂長範と名前が酷似していて、「いかにも悪そうな名前だから贋札事件の犯人にされた」とは、贋札事件の起きた当時の明治時代から言われていたという。熊坂長範なんて私は知らなかったし、今では私同様知らない人が大半だろうと思うが、明治時代には浪曲などでおなじみの悪党の名前だったという。明治時代には名前で悪者にされたが、現在では「変わり者」が毒物撒布の犯人にでっち上げられてしまう。さらに、2007年に香川県坂出市で起きた3人が殺害された事件で、いかつい顔立ちの男が、その顔から受ける印象によって犯人だと決めつけられたことがあったが、全くの無実だった。この時暴走したのはあの悪の権化・みのもんただったが、テレビのワイドショーも一斉に「いかつい顔立ちの男」を犯人と決めつけていた。

名前で犯人にされ、顔で犯人にされ、変人だと言っては犯人にされる。人の世の生きにくさにおいては明治も今も変わらないのかも知れない。

ところで、辺見庸が大のアンチ読売だったことを知った。近年の辺見の著書にはプロ野球の話など全く出てこないが、まだ少ししか読んでいない対談本の続編の方には広岡達朗との対談が出てくるし、読み終えた正編の方にも、串田孫一との対談で辺見はこんなことを言っている。

(前略)実は私は、ある野球チームが非常に嫌いなんです。関係者の顔も見たくないくらいなんですよ。毎日の楽しみは、そのチームが負けることなんですね。ところが強いチームなので、なかなか負けない。だから非常に不機嫌になるんです。そのことに無意識にこだわっていて、そのチームが出ればテレビを見てしまうんです。そうすると、本当は僕はこのチームが好きなんじゃないかなと思ったりするときがあるんですよ。愛憎の不思議という点で、串田さんが書いていらしたことと関係あると思いました。

辺見庸『屈せざる者たち』(朝日新聞社,1996)185頁)

この「ある野球チーム」が読売を指すことは、続編に収められた広岡達朗との対談で確認できる。

上記のくだりだが、最初の方には強く共感するが、「強いチームなので、なかなか負けない」というのは疑問だ。というのは、対談が行われたのは1995年12月だが、この年ヤクルトスワローズは読売を17勝9敗とカモにして優勝し、2位は広島で、読売は3位に過ぎなかったからである。さらに、後半には強く抗議したい。私も90年代には読売の出るプロ野球中継をよく見ていて、読売が負けると喜んでいたが、同時に読売という球団は消滅すれば良いと当時から思っていたし、今でもそう思っている。間違っても「本当は読売が好き」などということはあり得ない。1999年か2000年頃、プロ野球掲示板にそう書いたら、読売ファンに「お前は不健全なアンチだ。健全なアンチは、『強い巨人』を倒すことに喜びを感じるものだ」と言われたことがある。

読売の話はともかく、串田孫一との対談も印象に残るものだ。特に串田孫一の語る「人間が全部滅亡してしまったあとの風景」は印象に残る。以下引用する。

(前略)人間が全部滅亡してしまったときのあとの風景というのを時々思い描けるわけです。それがとてもきれいな風景なんです。何かの加減で猛烈な風が吹いて、地上にあるものはみんな海の中へ吹き飛ばされてしまい、そのあとの、荒涼としているというのか、さばさばとしているのかわからないけれども、きれいになくなったような世界というのが時々見える気がするんです。どうしてなのか、と自己診断すると、この二、三年の間に感じるようになった、そういう恐れのようなもの、まさか願望ではないにしても、諦めのようなものがその風景を僕に組み立てさせているかもしれないと思うんですね。

辺見庸『屈せざる者たち』(朝日新聞社,1996)185頁)

長崎尚志が事実上の原作を書き、浦沢直樹が描いた漫画『MONSTER』(1994-2001)のクライマックスに出てくる「終わりの風景」(平然と殺人を犯し続ける「怪物」であるヨハンが思い浮かべ、ヨハンを狙撃しようとした主人公の日本人医師・テンマにも見えた風景)を思い出したが、漫画は2001年に描かれたから串田孫一の発言よりもあとだ。長崎尚志(あるいは浦沢直樹)は串田孫一の言葉を読んでいたのではないかと思った。

辺見庸は本のあとがきに、「ああ、何という寂しいことを串田さんはおっしゃるのであろうと私は思った」と書いている。

前述のように、串田孫一は2005年に89歳で亡くなっている。この串田氏の「全部滅亡してしまったときのあとの風景」、どこか他でも読んだことのあるような気がするが、それが串田氏の本か、それとも辺見庸の他の本だったか、それは全くわからないし、そうでなくて串田氏が他の表現でペシミスティックなことを言っていたのを読んだだけかもしれない。

もう書き切れないが、他の対談もそれぞれに面白かった。ゲストが多彩で、映画監督も女優もいれば、元従軍慰安婦もいて、かと思うと建築家までいる。この本で対談に登場している作家の船戸与一への追悼文は先日読んだ『もう戦争がはじまっている』に出ていた。おかげで、船戸与一の本を読みたくなった今日この頃なのであった。

*1:この対談のみ『RONZA』ではなく『文學界』(1995年7月号)に掲載された。

*2:中国地方と関西とでは、兵庫・岡山両県の県境でアクセントがガラリと変わる。中国地方の方言は基本的に東京式のアクセントである。関西出身の人間にとっては、中国地方の方言はとても恐い言葉のように聞こえるのだが(対照的に、一部地域を除いて関西弁とアクセントが近い四国の方言には馴染みやすい)、その逆も真だったに違いない。私は大阪(梅田)で岡山の人と思われる年配の男性が、おそらく疎外感を感じてであろう、「都会の人」(確かそう言っていた)の言動に文句を言ったあげくに、「おえりゃあせんがあ!」と岡山弁で絶叫し、配偶者と思われる女性に取り押さえられていたのを目撃したことがある。

*3:そのあとに恐るべき結末が待ち構えているが。

*4:長野県は、他に新潟県岐阜県、愛知県、静岡県山梨県、埼玉県、群馬県と接している。