kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

欅坂46と沢田研二とナチス

右傾化を危惧する声が高まっている今日だが、今を去ること38年前の1978年もそうだった。その2年前の1976年末に、16年ぶりに岸信介の流れを汲む福田赳夫総理大臣就任後、有事法制の検討などをめぐって右傾化を危惧する声が高まった。終戦(敗戦)記念日には、福田赳夫靖国神社に参拝もした。A級戦犯靖国に合祀されたのもこの年だった(但しこれが判明したのは大平正芳内閣に交代したあとの翌1979年だった)。

そんな38年前と今をつなぐ芸能ニュースがあった。少し古い、10日前(10/25)のリテラの記事より

欅坂46の衣装がナチスそっくりと炎上! ウケ狙いだけで「ファシズム」「軍服」を安易に取り入れる“秋元康”的手口|LITERA/リテラ

欅坂46の衣装がナチスそっくりと炎上! ウケ狙いだけで「ファシズム」「軍服」を安易に取り入れる“秋元康”的手口
酒井まど
2016.10.25

 デビューシングル「サイレントマジョリティー」が初週26万1580枚を売り上げ、女性アーティストのデビューシングル初週売り上げ歴代記録を塗り替えるなど、いま最も勢いのある欅坂46

 THE YELLOW MONKEY吉井和哉Hi-STANDARD横山健も楽曲を評価するなど業界内人気も高く、デビューから1年も経たずにAKB48以上に握手券の入手が困難になるといった状況もあり、今年の紅白歌合戦にも出場するのではと噂されている同グループだが、現在インターネットを中心に非難を浴びている。先日披露された衣装がナチスの軍服そっくりだというのだ。

 問題とされているのは、今月22日に横浜アリーナで行われたライブイベント『PERFECT HALLOWEEN 2016』で披露された衣装。全員お揃いの黒いワンピースだったのだが、それは明らかに軍服をモチーフにしたものだった。

 細身の上半身に、狭い幅でタテに二列ならんだボタン、襟の詰まった首元、ひきしまった襟の角度、腕のカフタイトル(袖章)と肩章……。さらに、黒いマント、黒い帽子、とくに帽子に刺繍された鷲のような紋章はナチスのものと酷似している。そして、全身を黒で統一し、ときどき見える裏地の赤との組み合わせは、ナチスのカラーを彷彿とさせる。たしかに、ナチスの軍服を模したと批判されても、仕方のないものだ。

 こうした批判に対しては、過剰反応だとか、べつにナチスの思想を肯定しているわけじゃないからいいじゃないかという声が必ずあがってくる。しかし、いまさら言うまでもなく、ナチスといえば、卑劣な人種差別で何百万人もの罪のないユダヤ人をはじめマイノリティを大量虐殺した。つい最近もヒトラーの生家が聖地化することを避けるため取り壊されるというニュースがあったが、ドイツ、ヨーロッパでは、いまも昔話などではなくふたたびナチス思想が力をもつことがないように細心の注意を払っている。ましてや、ハロウィンの仮装コスプレにするような“ネタ”ではない。

 実際、無自覚にナチス風のデザインを取り入れた結果、問題となったケースは過去にいくつもある。

 たとえば、2011年にはロックバンド・氣志團がテレビ番組で着ていた衣装がナチス親衛隊の制服に似ていると、ユダヤ人人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議を受け、バンドが所属するソニー・ミュージックアーティスツが公式サイトに謝罪文を出している。メンバー自身も今後は問題の衣装を使用せず廃棄するとの謝罪の声明を出した。

 さらに、お隣の韓国でも、14年、デビューしたての女性アイドルグループ・PRITZが着ていた全身黒のゴスロリ風衣装にハーケンクロイツを思わせるようなデザインの腕章がついており大問題となっている。

 また、歌手の衣装の話ではないが、ZARAで売られていた胸に大きな星のマークのついた子ども服がナチス強制収容所で収容者が着せられていた服に似ていると問題になったり、ファッションセンターしまむらで売られていたタンクトップに付属しているペンダントがハーケンクロイツそっくりと炎上した事件も記憶に新しい。

 このように無自覚にナチス風のデザインを取り入れたために、発売中止など大きな問題になったケースは少なくない。(後略)

(リテラより)


1978年にこれをやらかしたのが、今では9条護憲論者として知られる沢田研二だった。私は欅坂46の件が報じられた時、直ちに沢田研二を思い出したが、面倒臭かったので何も書かなかった。しかし、しばしばTwitterなどで6年前に書いたこの日記の記事にリンクが張られている。下記はその例。

https://twitter.com/fujiko173/status/793800793929371648

fujiko

@fujiko173

昔は野坂昭如のようにちゃんと注意する人がいたのだが・・・

野坂昭如に批判されていた沢田研二の『サムライ』 - kojitakenの日記

6:03 - 2016年11月2日


良い機会だから、昔書いた記事を以下に再掲しておく。

何度か当ブログで取り上げている沢田研二の『サムライ』だが、ネットでは、1978年当時には沢田が身につけていたハーケンクロイツの腕章は、あまり問題にならなかったのではないかという意見がちらほら見られる。

しかし、これは私の皮膚感覚と大いに異なるので、ネット検索をかけてみた。その結果見つけたのが下記記事。

http://ameblo.jp/4122-4122/entry-10270564512.html(註:リンク切れ)

サムライファッションに野坂昭如氏憤慨プンプン

沢田研二よ。キミはハーケンクロイツの意味を知っているのか!」

♪片手にピストル、心に花束……と歌う『サムライ』で、ジュリーは革の軍服を片肌脱いでシースルーの刺青模様という衣装を着て見せて、ファンをアッと言わせた。

たまたまお子さんの見ていたテレビの歌番組で、作家の野坂昭如さんも『サムライ』を歌うジュリーの姿に目を奪われた。だが、コスチュームにつけられたナチスのマーク(ハーケンクロイツ=鍵十字)を見て、「これはどういう神経か?」と思った。

本場のドイツで『ヒットラーなんて知らないよ』なんて映画が作られたのもかなり前の事。

まして日本の若い人の中には、このマークの意味を知らない人もいるかもしれない(暴走族の旗マークだと思ったりして…)

気になった野坂さんさっそく、渡辺プロダクションに電話してみた。

最初はケンもホロロの応対だったが、2度目に名前を言ったらようやく宣伝部の人が答えてくれた。

「あれは、ただドイツ国旗を付けているだけです」

そのあっけらかんとした回答ぶりに、野坂さんは「これはいけない」という危機意識を感じたようだ。

自身が連載してたエッセイのページにジュリーの事を書いた。

この文の中で、野坂さんはこう書いている―――。

ハーケンクロイツの腕章を好んで付けるのは、ナチス国防軍の中でも、ゲシュタポと並んで残虐ぶりを恐れられたSSつまり親衛隊なのだ。
――――沢田さんがご存じないのなら教えてあげよう。
SSは、ユダヤ人とスラブ人を劣等人種とみなし、その大量虐殺をはかった。
アウシュビッツだけで毎日12000人が1年以上も殺され、SSの手で約700万人の囚人が死に追いやられている。

このマークはナチス、特にSSと抜きがたく結びつき、罪もない市民を大量に虐殺した記憶と、分かちようがないのだ」
そして「なにも目くじら立てることはない、歌手の衣装に対し、いいなさんなと、言われるかもしれないが」と自任しながらも「ハーケンクロイツを身にまとうなら、SSの所業について知っておくこと、収容所へ送られたユダヤ人の運命、500万人以上の市民が殺されたポーランドについて、思いを巡らせる事だ」と強調している。


『花のステージ』でジュリーの♪サムライをNHKに初登場させた森本ディレクターは…。

この時は、もうすでに×印に変えていましたが、それでも抗議の電話がかかってきました。

内容は――

  1. 『いったい暴力とか戦争をどう考えているのか』といった、戦争体験のある中年男性からの声。
  2. 『ピンク・レディのようにフリを真似するのが流行している。片手に包丁を振りかざす事がはやったらどうするのか』という母親からの声。
  3. 『せっかくジュリーの暴行事件のことが忘れられたのに、刺青などというと暴力のイメージが蘇る』というファンの声。

NHKの森本ディレクターのところに『そのうち包丁を振りかざすんではないか!』と抗議して来たママさんの心配は実現しなかったが、現実に悲劇が起きたのは西城秀樹の『ブーツを脱いで朝食を』のヒデキのフリで、歌の時にライターを点火さす動作がありましたが、これを真似て遊んでいた子供たちが自宅に火を付けてしまい、その結果6戸の家が全焼してしまうという悲惨な事件が実際に起きてしまった。

このアクションには以前から「危険だ!」という抗議が続出していたので、ヒデキの方では自主的にライターを使うのは止めていましたが、その時にはすでに遅しで、全国に流行してしまった後だったんです。

スターになるとこんな事が大きな事件として取り沙汰されるのですから、ジュリーも大変ですね (;^_^A

まあ、それだけ注目度が高かったという事を、この野坂さんが証明してくれたようなもので、有難う御座いますとお礼を言いたいですね。


野坂昭如のエッセイというのは『週刊朝日』に連載されていたものだろう。私はおそらく読んだことがある。私の父が毎週『週刊朝日』を買って、家に持ち帰っていたからだ。だから、沢田研二ハーケンクロイツ騒動が印象に残っているのかもしれない。なお、沢田研二の暴行事件とは、1976年に沢田が「イモジュリー」と言われたのに腹を立て、相手の一般人男性に暴行したというもの。(後略)


6年前にリンクを張った記事は、今ではリンク切れになっていて参照できない。転記しておいて良かった。