昔なら言いたいことは山ほどあったが、ナベツネの読売社内での影響力が既にすっかり弱まった今となってはその気力はかなり減退している。エピゴーネン(追随者)は本家より矮小との定理に従って、今の読売はナベツネの全盛期以上にダメになっているのだ。しかし、ナベツネにはそういう人たちや会社(読売新聞社やその関連会社=某棒球団も含む)を今のようにした極めて大きな責任があることは間違いない。
ナベツネといえば2000年に『メディアと権力』の大著を出した魚住昭の名前が反射的に思い浮かぶが、その魚住も当たり障りのないコメントしか発していなかった。思えば魚住は、2000年代半ば頃に佐藤優に取り込まれて以来精彩を欠くようになった。
しかし魚住の『メディアと権力』は一読に値する本なのでリンクを張っておく。
私がナベツネの名前を知ったのは1978年だった。Wikipediaによると、ナベツネはその前年の1977年に編集局総務(局長待遇)に就任したとある。また、Wikipediaには書かれていないが、ナベツネが読売の取締役論説委員長になったのは、当の読売によるナベツネの訃報記事に書かれている通り1979年である。こたつぬこ(木下ちがや)氏は、ナベツネが読売の権力を掌握したのは80年代だと書いているが、全権ではないかもしれないが社論を掌握したのは論説委員長になった1979年だから80年代より少し早い。ただ正力松太郎の死去は1969年だから正力はナベツネの出世とは関係ないことは確かだ。
ナベツネが読売の権力を掌握したのは、正力松太郎時代ではなく、務台光雄が社主の時代の後期ですから、80年代です。 https://t.co/ZMfvCqmBEf
— こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ (@sangituyama) 2024年12月19日
ナベツネが読売の社論を変えた実例が、魚住本にも書かれている下記の件である。前記のWikipediaより。
1977年、編集局総務(局長待遇)に就任、同年2月18日付の『読売新聞』社説は百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いていたが、1981年7月8日付紙面では一転し、二審判決の統治行為論を支持して、裁判所の政治介入を制限する主張に変わった。読売新聞が渡邉の主張を取り入れて、中道から保守に傾斜していく過程の1エピソードである。同年、取締役論説委員長に就任した。
1982年12月にソ連による執拗かつ周到な対日諜報活動・間接侵略(シャープパワー)が暴露されたレフチェンコ事件当時、首相官邸に赴いた際に自社の記者について後藤田正晴や中曽根康弘とやりあったという。1984年からは元旦の社説を執筆するようになった。
1987年6月、筆頭副社長に就任。1989年に球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれ、読売ジャイアンツに関わるようになるが、野球の知識はほとんどなかった。
この統治行為論肯定の一件は強烈だった。実際、ナベツネが論説委員長になってから読売の論調は右に急転回した。私にはその印象が強烈なので、たとえばこたつぬこ氏がリポストした下記2件のXなどには全然共感できない。
読売新聞の渡辺恒雄氏の訃報に接し、同紙が戦後60年に展開した『検証・戦争責任』のネット版を見直す。今日の同紙夕刊によれば、この企画は「軍国主義の愚を二度と繰り返してはならない」との渡辺氏の強い意向によるものだった、と。来年まで元気なら戦後80年に何をしただろうhttps://t.co/PAeeNYT0hf
— Shoko Egawa (@amneris84) 2024年12月19日
右派言論人の代表格と思われているナベツネさんですが、自身の戦争体験を背景とした非戦・反戦の思いはガチでしたね。それは読売の紙面にも十二分に反映されてきた。
— \江戸西/ (@hitetsugisou) 2024年12月19日
そんなこと言ったって、読売は安倍晋三政権を評価したじゃないか。安倍が総理大臣に返り咲いた2012年には、まだナベツネにも十分な体力と気力は残っていたが、ナベツネは安倍の暴走を止めたりなどしなかった。
ただ、私が好まないこたつぬこ氏ではあるが、下記Xだけはいえている。
渡邉恒雄にはポピュリズム批判の著者があります。その本の彼の主張に基づけば、今の国民民主党を徹底批判したでしょう。 https://t.co/MmEvs0LP4p
— こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ (@sangituyama) 2024年12月19日
上記Xで触れられている『ポピュリズム批判』は博文館新社から1999年に出た。今でもよく覚えているが、私は2000年1月4日にこの本を買って読んだ。敵を知るためには敵の主張をよく知っておかなければならないと思ったからだ。当時からポピュリズム批判の観点を持っていたことは、ナベツネで評価できる数少ない点の一つだろう。確かにこの本に書かれた主張に基けば、ナベツネは玉木雄一郎とその金魚のフンである今の国民民主党(民民)をコテンパンに批判したに違いないと私も思う。
「読売新聞の社論を実行できる内閣になるなら悪いことではない。そういう内閣に知恵を授けて具現化するのは僕には正義だし、合理的なことだ。朝日新聞の社論通りに実行する内閣なら倒さなければならない」。過去のインタビューです。https://t.co/FvmChQ7FZA
— 西山公隆📰(朝日新聞ゼネラルエディター補佐) (@nishiyamakimita) 2024年12月19日
2012年にはナベツネは野田佳彦政権を支持すると公言していた。ナベツネの言葉に従えば、野田は「朝日新聞より右」の政治家ということになる。私も野田佳彦は基本的に「ネオコン」の範疇に属する政治家だと考えている。だからそんな野田に対して大甘な今の立民支持層に対しては、野田は彼らの思想信条や主義主張よりもかなり右の人じゃないのかなあと思わずにはいられない。
なおナベツネの死に長嶋茂雄が悲痛なコメントを出したと聞いたが、前記Wikipediaにある通り、80年代にプロ野球の讀賣軍と関わるようになる前にはナベツネは野球には全く興味がなかった。そのため、川上哲治などはナベツネを嫌悪していたらしい。だから私はナベツネが長島を引き立てたのは「敵の敵は味方」の発想からではないかとひそかに勘繰っている。
その長嶋がナベツネの前面支援を受けて作り上げた90年代から2001年にかけての読売軍の「巨大戦力」は醜悪の一語に尽きた。ナベツネこそ日本プロ野球をダメにした最大の戦犯だったといえる。今年、横浜DeNAベイスターズが読売軍の日本シリーズ進出を阻んだことは本当に良かった。ナベツネが90代になってから読売の日本シリーズ制覇を目にすることはついになかった。