kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

野坂昭如に批判されていた沢田研二の『サムライ』

何度か当ブログで取り上げている沢田研二の『サムライ』だが、ネットでは、1978年当時には沢田が身につけていたハーケンクロイツの腕章は、あまり問題にならなかったのではないかという意見がちらほら見られる。

しかし、これは私の皮膚感覚と大いに異なるので、ネット検索をかけてみた。その結果見つけたのが下記記事。

http://ameblo.jp/4122-4122/entry-10270564512.html(註:リンク切れ)

サムライファッションに野坂昭如氏憤慨プンプン

沢田研二よ。キミはハーケンクロイツの意味を知っているのか!」

♪片手にピストル、心に花束……と歌う『サムライ』で、ジュリーは革の軍服を片肌脱いでシースルーの刺青模様という衣装を着て見せて、ファンをアッと言わせた。

たまたまお子さんの見ていたテレビの歌番組で、作家の野坂昭如さんも『サムライ』を歌うジュリーの姿に目を奪われた。だが、コスチュームにつけられたナチスのマーク(ハーケンクロイツ=鍵十字)を見て、「これはどういう神経か?」と思った。

本場のドイツで『ヒットラーなんて知らないよ』なんて映画が作られたのもかなり前の事。

まして日本の若い人の中には、このマークの意味を知らない人もいるかもしれない(暴走族の旗マークだと思ったりして…)

気になった野坂さんさっそく、渡辺プロダクションに電話してみた。

最初はケンもホロロの応対だったが、2度目に名前を言ったらようやく宣伝部の人が答えてくれた。

「あれは、ただドイツ国旗を付けているだけです」

そのあっけらかんとした回答ぶりに、野坂さんは「これはいけない」という危機意識を感じたようだ。

自身が連載してたエッセイのページにジュリーの事を書いた。

この文の中で、野坂さんはこう書いている―――。

ハーケンクロイツの腕章を好んで付けるのは、ナチス国防軍の中でも、ゲシュタポと並んで残虐ぶりを恐れられたSSつまり親衛隊なのだ。
――――沢田さんがご存じないのなら教えてあげよう。
SSは、ユダヤ人とスラブ人を劣等人種とみなし、その大量虐殺をはかった。
アウシュビッツだけで毎日12000人が1年以上も殺され、SSの手で約700万人の囚人が死に追いやられている。

このマークはナチス、特にSSと抜きがたく結びつき、罪もない市民を大量に虐殺した記憶と、分かちようがないのだ」
そして「なにも目くじら立てることはない、歌手の衣装に対し、いいなさんなと、言われるかもしれないが」と自任しながらも「ハーケンクロイツを身にまとうなら、SSの所業について知っておくこと、収容所へ送られたユダヤ人の運命、500万人以上の市民が殺されたポーランドについて、思いを巡らせる事だ」と強調している。


『花のステージ』でジュリーの♪サムライをNHKに初登場させた森本ディレクターは…。

この時は、もうすでに×印に変えていましたが、それでも抗議の電話がかかってきました。

内容は――

  1. 『いったい暴力とか戦争をどう考えているのか』といった、戦争体験のある中年男性からの声。
  2. 『ピンク・レディのようにフリを真似するのが流行している。片手に包丁を振りかざす事がはやったらどうするのか』という母親からの声。
  3. 『せっかくジュリーの暴行事件のことが忘れられたのに、刺青などというと暴力のイメージが蘇る』というファンの声。

NHKの森本ディレクターのところに『そのうち包丁を振りかざすんではないか!』と抗議して来たママさんの心配は実現しなかったが、現実に悲劇が起きたのは西城秀樹の『ブーツを脱いで朝食を』のヒデキのフリで、歌の時にライターを点火さす動作がありましたが、これを真似て遊んでいた子供たちが自宅に火を付けてしまい、その結果6戸の家が全焼してしまうという悲惨な事件が実際に起きてしまった。

このアクションには以前から「危険だ!」という抗議が続出していたので、ヒデキの方では自主的にライターを使うのは止めていましたが、その時にはすでに遅しで、全国に流行してしまった後だったんです。

スターになるとこんな事が大きな事件として取り沙汰されるのですから、ジュリーも大変ですね (;^_^A

まあ、それだけ注目度が高かったという事を、この野坂さんが証明してくれたようなもので、有難う御座いますとお礼を言いたいですね。


野坂昭如のエッセイというのは『週刊朝日』に連載されていたものだろう。私はおそらく読んだことがある。私の父が毎週『週刊朝日』を買って、家に持ち帰っていたからだ。だから、沢田研二ハーケンクロイツ騒動が印象に残っているのかもしれない。なお、沢田研二の暴行事件とは、1976年に沢田が「イモジュリー」と言われたのに腹を立て、相手の一般人男性に暴行したというもの。

西城秀樹の歌の振り付けを真似て火事が起きたという事件にも、かすかに記憶がある。『ブーツをぬいで朝食を』は、『サムライ』と同じく1978年の早い頃の歌だったと思う。余談だが、これは西城が『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の大ヒットを飛ばす前年の歌で、『Y.M.C.A.』といえばビレッジ・ピープル、自らゲイを売り物にしたグループだった。同じグループの『In the navy』は、最初に聞いた時に「ピンクレディー」に聞こえてぎょっとしたが、この「空耳」を本当にピンクレディーがカバーしたのにはぶっ飛んだ。この頃にはピンクレディーのレコード売り上げが落ち始めていたので、二匹目のドジョウを狙ったのだろうが、売り上げ低落傾向に歯止めをかけることはできなかった。