kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『宇宙戦艦ヤマト』と松本零士と沢田研二

宇宙戦艦ヤマト』は、1974年に読売テレビで制作されたアニメだそうだが、1977年頃再放送でブレイクした。同級生の間でも話題になっていたが、私は当時から「戦艦大和」をもじったタイトルが嫌いで、また佐々木功が歌う主題歌が、そのイントロからして大嫌いで、今に至るまで30分番組のアニメ一編たりとも全く見たことがない。また、松本零士の漫画自体も、他の作品も含めてほとんど読んだことがない。ただ、アニメ番組『銀河鉄道999』は何回か見た。松本零士には冷淡だった私が、手塚治虫の『火の鳥』にはまったのは、その少し前、1975年のことだった。

70年代末から80年代前半にかけて、『宇宙戦艦ヤマト』は日本の右傾化を象徴するアニメとしてしばしば論じられ、批判されてきた。特に、80年代前半の終戦記念日日本テレビが『宇宙戦艦ヤマト』の映画版を放送した時には、かなりの批判を浴びた。

原作者・松本零士ペンネーム「零士」は、「零戦の兵士」という意味で名づけたものと思うが、松本零士自身はさほど批判を浴びず、プロデューサーの西崎義展*1という人物が激しく批判されていたと記憶する。ネット検索をかけてみても、特攻隊を美化するかのようなストーリーは松本の原作にはなく、西崎が創作したものだったといわれているようだ。いずれにせよ、私は松本の原作も西崎が製作に深く関わったアニメも見たことがないので、これ以上は何も言えない。

あの時代は、急激に右傾化が進行した時代だった。1975年頃までの知事選や市長選で、次々と革新自治体が誕生していた流れが、1978年の京都府知事選を境に変わり、1979年の統一地方選挙では、東京都知事選や大阪府知事選も含めて自民党候補が次々と勝利を収めた。その流れで一気に大平首相が一般消費税を導入しようとして敗れたのが同年の衆院選だったが、自民党内の「40日抗争」を経て翌1980年6月に行われた衆参同日選挙では自民党が圧勝した。この流れは、中曽根政権下の1986年に行われた二度目の衆参同日選挙でピークを迎えた。

選挙において自民党の復調を最初に示したのが1977年の参院選だったが、前年末に三木武夫を引き摺り下ろして首相に就任した福田赳夫は、参院選与野党逆転を阻止したことに勢いづいて、タカ派政策を推進した。福田首相は、1978年の終戦記念日には靖国神社にも参拝した。

宇宙戦艦ヤマト』のブームには、そんな時代背景があった。

沢田研二の「サムライ」だが、歌詞や曲調が格別に国粋主義的だったわけではない。しかし、「サムライ」というタイトルとハーケンクロイツの腕章は、右翼的なイメージを与えるには十分過ぎた。少なくとも私は、「沢田研二って右翼だったのか」と思ったし、その印象は映画『太陽を盗んだ男』では払拭されず、沢田が「9条護憲」の歌を歌ったというニュースを聞くまで続いた。平沼赳夫を連想したのは、平沼が新党名を「侍」にすると言っていたことがあるからであり、右翼政治家が「サムライ」を気取るのはよくある話なのだ。

「サムライ」を歌う沢田のコスチュームを初めて見た時、私はなんだこりゃ、と驚いて拒絶反応を起こしたし、沢田が批判されて鉤十字の使用を止めたのも当然だと思ったので、怒ったのがフランソワーズ・モレシャンだったということは覚えていなかった。国民一般の間でも沢田への反発は結構強かったのではないかと思う。沢田が「ヤマトより愛をこめて」という劇場版ヤマトの主題歌を歌ったことも忘れていて、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271449256 を読んで思い出したくらいだが、当時はもちろん「右翼っぽい沢田研二に相応しいな」と思っていたに違いない。

ところで、劇場版ヤマトが公開されたと同じ1978年には、劇場版の『火の鳥』も公開された。評判が悪く、興行成績は不振だったそうだ。私も見ていないが、こちらの主題歌はおぼろげながら覚えている。転調の多いバラード調のメロディーで、調べてみたら松崎しげるが歌っていたようだが、あまりヒットしなかったと思う。しかも、映画本編には松崎の歌は使用されなかったらしい。

*1:後年、松本零士と西崎義展は仲違いして、裁判で対決もした。