kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

玉城デニー、沖縄県知事選出馬へ

結局、玉城デニーは予定通り沖縄県知事選に出馬することになりそうだ。今日(29日)、出馬表明する見込み。以下、産経の記事より。

https://www.sankei.com/politics/news/180828/plt1808280043-n1.html

沖縄県知事選】
玉城デニー氏、事実上の出馬表明「気持ち固まった」 野党5党派に支援要請

 自由党玉城デニー幹事長(58)は28日、沖縄県知事選(9月13日告示、30日投開票)への立候補に向け、野党5党派の代表らと個別に会談して支援を要請した。その後の記者会見で玉城氏は「熱い激励をいただき、私の気持ちも固まった」と語り、出馬の意向を事実上表明した。29日に那覇市で記者会見して正式に出馬表明する。

 一連の会談には自由党小沢一郎代表も同席した。

 立憲民主党枝野幸男代表は会談で「選挙戦の一角を担わせてほしい」と支援を約束し、国民民主党大塚耕平共同代表も「全力で応援する」と述べた。

 共産党志位和夫委員長は「『オール沖縄』の代表として最良だ。党としてあらゆることをやる」と表明した。社民党又市征治党首と衆院会派「無所属の会」の岡田克也代表も出馬を歓迎する意向を示した。

 玉城、小沢両氏は各党幹部との会談後に国会内で記者会見した。玉城氏は、8日に死去した翁長雄志(おなが・たけし)知事の「遺志を引き継ぐ」と訴えた上で「各党の力強い応援の言葉、政治の師である小沢代表の思いを携えて沖縄に戻り、しっかり取り組んでいきたい」と語った。

 小沢氏は「弔い合戦という雰囲気だけでは勝てない。厳しい選挙だ」と強調し、玉城氏失職に伴う衆院沖縄3区補選に関しては、自由党公認候補の擁立を目指す考えを重ねて示した。

 玉城氏に対しては、「オール沖縄」参加団体などでつくる「調整会議」が23日に出馬を要請していた。

(産経ニュース 2018.8.28 23:52更新)


仮に玉城デニー沖縄県知事選に負けた場合、自由党小沢一郎が受けるダメージは大きい。そのため、小沢は二度にわたって玉城デニーの出馬表明を見送らせ、その間他の野党の協力をとりつけるなどに汗をかいたと思われる。特に立憲民主党枝野幸男)とのすり合わせが目につく。立民の沖縄県連設立が今日行われるのも、玉城デニーの出馬表明にタイミングを合わせたものなのではないか。

小沢には、以前から最後には本人(たち)がやりたい道を選ばせる傾向がある*1。2012年に比例区選出の人たちが中心になって民主党から分裂した「新党きづな」の設立がその代表例であって、あれは次の選挙で当選が覚束ない連中*2が泥舟(民主党)から逃げ出そうとして起こした行動だが、あれであの年に予定されていた民主党代表選での小沢の戦略を狂わせてしまい(彼らの分の議員票がまるまる逃げてしまった)、小沢一派全体が民主党離党・新党(「国民の生活が第一」)設立に追い込まれたのだった。ここで「追い込まれた」というのは、小選挙区制下の衆院選にあって大政党から分裂することは自殺行為以外の何物でもないからだ。実際、2012年末の衆院選で「日本未来の党」は歴史的大惨敗を喫した。この、小沢の足を引っ張る行動以外の何物でもなかった新党「きづな」設立でさえ、小沢は認めた。だから、玉城デニー沖縄県知事選を強く望むのを小沢は認めたのだろう。私はそう推測している。

問題は選挙で、社民党沖縄県議会議長が持ち出した「故翁長知事が後継者に玉城デニーを指名した『音声データ』」の不透明さ、不明朗さは玉城デニーの出馬によって何ら払拭されるものではない。小沢は民主党系諸党派の協力は取りつけたが、「音声データ」で出し抜かれた形の「オール沖縄」内の保守派が寝てしまうリスクは相変わらず残っている。

そもそも、政治とは生きている人々(沖縄県政の場合は沖縄県民)のために行われるべきものだ。県知事を選ぶ知事選の候補を、その存在もさだかでない「音声データ」を決め手に選んでしまったのは、とんでもない悪手だった。政治のあり方にも反するし、選挙戦略としても拙かった。言い換えれば、筋が通っていない上に、選挙に負けるリスクを増やした*3

ところで、『しんぶん赤旗』に、糸数慶子参院議員の下記コメント

民主党政権が米軍普天間基地の「県外」移設の公約を破って辺野古移設(新基地建設)を容認した時、玉城デニーさんはきっぱりと民主党を離れ、県民の立場に立ちました。

が掲載されたらしいが(27日)、これは右翼(「安倍信者」)や「民進クラスタ」の一部が指摘する通り、明らかな誤りだ。

彼らの指摘通り、民主党政権辺野古移設を容認したのは、鳩山由紀夫政権時代の2010年5月であり、これに対して玉城デニーが小沢一派の仲間と一緒に民主党を離党したのは2012年7月だった。民主党政権辺野古移設を容認してから2年2か月もあとのことだ。

共産党の公式コメントではなく沖縄社会大衆党出身の参院議員の言葉であるとはいえ、このような「歴史修正主義」としかいいようのない嘘を機関紙に載せたことは、共産党の頽廃の表れというべきだろう。ここに批判する次第だ。

*1:この点では、少しでも刃向かう者は絶対に許さない安倍晋三ほどのエキセントリックさは小沢にはない。

*2:事実、2012年末の衆院選で「新党きづな」を経て「日本未来の党」から立候補した連中は全員落選した。

*3:水戸黄門の「印籠」みたいなやり方で一発逆転したやり方は、やられた方にとってはしこりが強く残るので、沖縄県知事選で保守派が「寝てしまう」ことは、いかに小沢一郎が金をかき集めてばら撒いたところで=そんな「剛腕」が今も小沢に残っているかどうかは知らないが=避けられないだろう。