私は2012年に坂野潤治(1937-2020)の『日本近代史』(ちくま新書)を読んで深い感銘を受けた。読書記録を参照すると、読んだのは2012年9月25日から同10月6日まで。
弊ブログはこの本に指摘された時代のサイクルにおいて、当時(2012年頃)が「崩壊の時代」にあたるとこのブログに数えきれない頻度で書いた。当時、ネット仲間のオフ会(2016年まで不定期にやっていた)で仲間の方に教えていただいたことによれば、坂野は2013年初めに毎日新聞のインタビューに応じて、前年、つまり2012年末の衆院選で安倍晋三の自民党が政権に復帰した時点を境に、日本が「崩壊の時代」に再び入ったと指摘していたことを知った。
私見ではその「崩壊の時代」は2022年7月8日の安倍晋三の銃撃死によって終わり、新しい時代のサイクルが始まった。幕末に始まる前々回のサイクル及び敗戦に始まる前回のサイクルと今回のサイクルとの最大の違いは、日本が外圧によってではなく自力で新たな時代を作っていかなければならないことだ。
不思議なことに、その新たな時代が始まる直前に、私はまたも大きな感銘を受ける本を読んだ。それが本多勝一(1931-)の『アムンセンとスコット』(1999)の朝日文庫版(2021)だ。2022年6月1日から4日にかけて読んだ。
この本について書いた読書ブログの記事は、同ブログでもっとも多くの反響を呼んだ。
kj-books-and-music.hatenablog.com
読書ブログ及び「鍋ブログ」はアクセス数が少ないので、記事を公開する時には毎回当ブログから新着記事のお知らせの記事を公開している。読書ブログの場合は惹句をタイトルにしている。それが下記。
現在はまさに上記記事のタイトルにある「不確実性・不透明性の高い」時代といえるだろう。簡潔に書けば「混沌の時代」ということになろうか。
「階級構造が厳格な独裁的組織」といえば日本の政党ではいえばまず日本共産党が思い浮かぶが公明党もそうだろう。これらの政党は縮小期にあり、ことに共産党は本当に大きな危機に瀕していると思う*1。
しかし問題は、そんな今の時代にあって急伸している国民民主党(以下民民または民民玉木分派)、それに弊ブログとしては例外的に禁を破って正式名称を書くが、れいわ新選組(以下新選組)という2つの政党もまた、「階級構造が厳格な独裁的組織」であるとしかいいようがないことだ。しかもこれら2政党の最高権力者はともにアジテーター(煽動者)である。
これの2つの政党に日本の政治が引っ張られることは、リスクがきわめて大きいと考私は憂慮する。
本多勝一の本の話に戻ると、私はずっと本多の最高傑作は『子供たちの復讐』(1979)だと考えてきたが、朝日文庫版で山口周氏の解説文を得たことで、『アムンセンとスコット』が『子供たちの復讐』を凌駕するに至ったと現在では考えを改めた。
その山口周氏が2023年に下記note記事を公開した。
有料記事で、山口氏のnoteに有料登録していない私も途中までしか読めないが、おそらく私が本記事で紹介したいと考えていることはおそらく下記の無料部分に書き尽くされているのではないだろうか。以下引用する。
僕が、いろんなところで「本田*2勝一さんが書かれた『アムンセンとスコット』がめちゃくちゃ面白い!」と言っていたら、復刻する際に「解説を書いてくれませんか」とお願いされまして、もちろん喜んで引き受けました。
ということで、この研究室で僕が書いた解説を共有したいと思います。
本書は、1910年に、ノルウェイの探検家ロアール・アムンゼンとイギリスの軍人ロバート・スコットとのあいだで争われた南極点到達レースに関するドキュメントです。結果は皆さんもご存知の通り、アムンゼン隊が、大きなトラブルに遭遇することもなく、隊員が後になって「あれほど楽しい探検行はなかった」と述懐するほどスムーズに南極点に到達して帰還したのに対して、スコット隊はありとあらゆるトラブルに見舞われた挙句、最後は犬を載せた数百キロの重さのソリを猛吹雪のなか人が引いていくという信じ難い状況に陥った挙句、隊長であるスコット以下全員死亡するという悲惨な結果に終わっています。つまり、このレースは、アムンゼンの「圧倒的大差での勝利」となったわけですが、では、この「圧倒的な大差」が生まれた原因はどこにあったのでしょうか?
本書はアムンゼン隊とスコット隊の行動を逐一同時進行形式で比較しながら記述していくのでさまざまな角度での検証が可能ですから、ぜひ本文を読み進んで読者自身で分析をしてほしいと思いますが、ご参考までに、ここでは次の二点から私の所見を述べておきたいと思います。
1:マネジメントの側面=権力格差の大小
2:パーソナリティの側面=内発的動機の有無
まず「マネジメントの側面=権力格差の大小」という点について述べたいと思います。
アムンゼンとスコットのリーダーシップの違いがもっとも顕著に現れていると思われるのが、彼らのチームにおける「権力の格差」です。「権力の格差」とは、リーダーとメンバーとのあいだにおける権力の差で、もともとはオランダの組織心理学者、ヘールト・ホフステードが提唱した概念です。ホフステードはIBMからの依頼に基づいて、全世界のIBMオフィスにおける上司と部下の権力の格差を調査し、それを「権力格差指標=Power Distance Index」として数値化しました。
ホフステードによれば、権力格差の大きいチームでは、リーダーの命令は絶対であり、メンバーがリーダーの指示に反論するなどということはあり得ない、という空気が支配することになります。一方で、権力格差の小さいチームでは、組織はよりフラットになり、リーダーとメンバーが相互に意見をぶつけ合いながら集合的に意思決定されることが歓迎されるようになります。ホフステードのスコアリングによると、アムンゼンの出身国であるノルウェイは権力格差の非常に小さい国となっていますが[1]、それは本書に登場するさまざまなエピソードからも感じることができます。
アムンゼンは幼少期から探検家を志し、極地探検に関する膨大なスキルや知識を習得している「プロの探検家」でした。しかし、そのアムンゼンは、ことあるごとに隊員たちに意見や提案を求めています。これはライバルであるスコットと非常に対照的な点と言えます。例えば、アムンゼンは、いわゆる「雪目」を防ぐためのサングラスのデザインについて、どのようなサングラスがいいか、隊員たちから提案を募集し、一番良いアイデアを出した人に葉巻をプレゼントするというコンテストを南極でのキャンプ中にやっています。
おそらく、その時点で、アムンゼンには、長い雪国での体験から、どのようなサングラスが良いかについて、自分なりの確固とした考え方があったはずです。しかし、そのアイデアはおくびにも出さずに、まずは隊員からアイデアを募っているのです。こういうところに、隊員一人ひとりの意見を尊重し、結果としてチームの参画意識、自主性、モチベーションを高く保とうとしたアムンゼンのチーム運営に関する姿勢が伺えます。
一方のスコットは、チーム運営に厳格な海軍の階級制度を取り入れていました。考えるのは隊長であるスコットで、メンバーは忠実に従順にスコットの命令に従うことを求められたのです。結果、自主性も参画意識も持てないメンバーはモチベーションを低下させ、ケアレスミスを連発することになります。スコット隊の隊員はありとあらゆる状況で小さなケアレスミスを積み重ね、結局はそれらのミスが全滅に至る決定的な状況を招いてしまいます。
隊員が死亡していく順番にそれがよく現れています。記録を見返してみると、隊員が死んでいった順は、エバンス、オーツ、バワーズ、ウィルソン、そしてスコットとなっており、つまりは階級の低いものから順に死んでいます。隊長はその責任感から、最後まで頑張ったという能天気な見方もあるかもしれませんが、私は、スコット隊の厳格な階級制度が、階級の低いメンバーに心理的・肉体的なストレスを与え、死を早めたのだろうと考えています。
しかし、権力格差の大小はどのようにしてチームのパフォーマンスに影響を与えるのでしょうか?ここで示唆深い研究結果を共有しておきましょう。南カリフォルニア大学の組織心理学研究者、エリック・アシニックは、過去50年分、56カ国のエヴェレスト登山隊(計3万625人)のデータを集め、登山隊の出身国の権力格差と遭難事故の発生率について調査しました。この結果から、権力格差の大きい文化圏の登山隊の方が、他方の登山隊と比較して、死者が出る確率が著しく高いということが明らかになりました[2]。ちなみに単独登山の場合、死亡率と権力格差にはなんの相関も見られません。これはつまり、死亡率の差は、国別の登山技術や体格ではなく、純粋に組織的要因によって生まれているということです。
権力格差の大きいチームでは、地位の低いメンバーが発言を封じられることで、彼らの発見、あるいは懸念、あるいはアイデアが共有されず、結果的に意思決定の品質が悪化するのです。これは、想定外のことが次々に起き、リーダーの認知能力・知識・経験が限界に晒されるような環境下では致命的な状況と言えます。
一方で、アシニックの研究で非常に興味深いのは、想定外のことが起きないような安定的な状況においては、権力格差の大きさは、むしろチームのパフォーマンスを高めることがわかっています。そのような状況では、リーダーの意思決定が上位下達され、一糸乱れず実施される組織の方がパフォーマンスが高いのです。これはつまり、リーダーの認知能力や知識・経験の範囲内で対処が可能な状況においては、権力格差の大きさはチームのパフォーマンスにプラスの影響を与えるということです。
よく「理想的なリーダーシップ」といったことが語られますが、そんなものは存在しません。リーダーシップというのは極めて文脈依存的なもので、どのような状況・環境においても有効に機能するリーダーシップなどというものはあり得ないのです。
アムンゼンとスコットの対比に関して言えば、アムンゼンによる、権力格差の小さいリーダーシップは、南極点到達という、極めて不確実性の高い営みにおいては有効に機能し、一方のスコットによる、権力格差の大きいリーダーシップは、有効に機能しなかったわけですが、だからといってここから「どのような状況においても権力格差の小さいリーダーシップが有効なのだ」と断ずるのは暴論でしかありません。
この示唆を、現在を生きる私たちに当てはめてみればどのようになるでしょうか?当時の南極は、前人未到の大地であり、そこがどのような場所であるかはよくわかっていませんでした。それはまさに、現在の我々にとっての「これからやってくるアフターコロナの世界」のようなものです。このような不確実性・不透明性の高い環境において有効なリーダーシップとはどのようなものか?について考える題材を本書は与えてくれると思います。(後略)
最近はまた「専門知」と「集合知」についても時々考えるが、全然まとまらないので記事にならない。良い「集合知」は「専門知」を補完し得るとか、人文社会科学の分野でしばしば起きるように、ろくでもない意図を持った「専門家」自らが「専門知」を毀損するような真似をやって大衆を煽動する現象がみられるのではないか。特に名指しするが、高橋洋一はその最悪の例ではないだろうか。高橋は少し前までは日本版MMTの批判者だったはずだが、今や悪質な先導者と化しているようにしか私には見えない。
最後にくろかわしげる氏の下記Xをリンクする。異論もあるだろうが、これが現状の経済の政策に関してもっとも正鵠を射た指摘ではないかと私は思う。
日本社会の失敗は、景気のよいときほど財政出動を要求し実現させ、景気の悪いときほど、緊縮財政をやりたがり自己責任を押しつけ、人的能力を摩耗させることです。
— くろかわしげる@朝霞市議会議員 (@kurokawashigeru) 2025年4月2日
そしてその矛盾を、歴史の忘却のなかで同じ口が言っていたりします。 https://t.co/BRpZ7KgfYL
本当はそれに対する異論も紹介するはずだったが、時間が来たのでそれは次回行くうに先送りする。そんな次第ですので、異論反論オブジェクションもお待ちしています。