kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

民主・民進支持系右派Xアカの「駅前は朝の七時」を批判する/「歴史修正」をやっているのは旧立民(2017)は不支持で新立民(2020)を支持しているらしい「駅前は朝の七時」 の方だ

 読売が維新議員をめぐって大誤報をやらかしたらしく、その証拠品を手に入れられなかったと言って私が勝手に「宿敵」視している「駅前は朝の七時」が悔しがっている。

 

 

 昨夜西友東陽町店に行ったら読売なんか普通に何部か置いてあったというか売れ残ってたよ。ああ、これが話題になってる読売の恥ずかしい誤報かと思って鼻で笑ったけど買わなかった。江東区良いとこ、一度はおいでってとこだ。なお私は西友東陽町店で高野勇斗都議と遭遇したことは一度もない。時間帯が違うからだ。

 その「駅前は朝の七時」を私と同様に激しく嫌っている「せつなりっとく」氏のXより。

 

 

 ここで「対外的にも」と書かれているが、私は「立民ないしその支持層」の「外部」にいるのに対し、せつなりっとく氏は立民支持層ないしシンパという(自己)規定があるのではないかと思う。後者は自分のことではないので断定できないが、前者の私の視点についてはまあその通りで、ぶっちゃけた言い方をすると、立民と支持層の世界には高い障壁が築かれているよなあ、非常に敷居が高いよなあ、という心証を私は持っている。だから立民支持層に対して「セルフ民主集中制」がよく当てはまる、などとしばしば書くわけだ。そしてその「敷居の高さ」が立民の支持が伸び悩んでいる段階を過ぎてシュリンク(収縮)していっている大きな原因だろうと思っている。

 せつなりっとく氏はどうやら旧立民の発足をきっかけに立民支持層になった方のようだ。

 

 

 一方、「駅前は朝の七時」は旧立民は不支持で新立民を支持している人士である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言ってることは首尾一貫はしている。ただお仲間は少数派なので、時々被害妄想的なXをポストしている。

 私が非常に気持ち悪かったのは、こんな「駅前は朝の七時」のXを、しばしば立民支持層のリベラル派と思われる人たちが好意的にリポストしていたことだ。それは立民の党名変更の賛否のようなセンシティブな問題についてではなかったけれど。

 私が「駅前は朝の七時」というアカを知った経緯は、下記「せつなりっとく」氏がしばしばリンクしてくれる下記Xからリンクに張られたブログ記事に書いた通りだ。

 

 

 上記「2人」のうちのもう1人のアカについてはかなり古くから知っていたが、一番印象に残っていたのはあの過激な新自由主義者である樽床伸二に好意的に言及したツイート(当時)だった。典型的な民主・民進系右派支持層の人だと私は認識している。

 それにしても昨年4月の衆院補選党開票日翌日に知った「駅前は朝の七時」のデマポストと、それをリポストした「ちょろ」氏、さらに彼らの界隈と思われる人たちのXのやりとりには慄然とさせられた。私にその時の悪印象が今も強烈に残っているのは確かだ。まだあのデマポストを削除する程度の良識があればそれなりの「論敵」として評価できたかもしれないが、あれを未だに残しているようではね。それこそ「人工地震」の山本太郎の同類だ。そういや、その山本はこのところ「音無しの構え」で支持者たちをやきもきさせていると仄聞した。

 せつなりっとく氏は上記Xに続けて下記の2件をポストしている。

 

 

 

 このうち「表自」に関しては、旧立民支持系のアカも結構いるから、表自であれば「駅前は朝の七時」のお仲間とは言い難いのではないか。

 なお、旧立民支持系の代表的なアカだと私がみる片岡正美氏のタイムラインを見ていて、山口周氏のXがリポストされていたのに気づいた。

 

 

 

 山口氏は出発点は電通だった人のようだが、私にとっては本多勝一著『アムンセンとスコット』(朝日文庫)の解説文を書いた人として印象深い。それを取り上げた下記読書ブログの下記記事は、同ブログの記事の中でも最多のアクセス数を記録した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 上記記事から山口周氏の文章を以下に孫引きする。

 

 よく「理想的なリーダーシップ」といったことが語られますが、そんなものは存在しません。リーダーシップというのは極めて文脈依存的なもので、どのような状況・環境においても有効に機能するリーダーシップなどというものはあり得ないのです。

 

 アムンセンとスコットの対比に関して言えば、アムンセンによる、権力格差の小さいリーダーシップは、南極点到達という、極めて不確実性の高い営みにおいては有効に機能し、一方のスコットによる、権力格差の大きいリーダーシップは、有効に機能しなかったわけですが、だからといってここから「どのような状況においても権力格差の小さいリーダーシップが有効なのだ」と断ずるのは暴論でしかありません。

 

 この示唆を、現在を生きる私たちに当てはめてみればどのようになるでしょうか? 当時の南極は、前人未到の大地であり、そこがどのような場所であるかはよくわかっていませんでした。それはまさに、現在の我々にとっての「これからやってくるアフターコロナの世界」のような局面です。このような不確実性・不透明性の高い環境において有効なリーダーシップとはどのようなものか? について考える題材を本書は与えてくれると思います。

 

本多勝一『アムンセンとスコット』(朝日文庫,2021)337-338頁)

 

URL: https://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2022/06/06/083926

 

 折しも3年連続の猛暑は「地球沸騰化」の脅威が人命を脅かす段階にきたことを痛感させられる。東京は昨夕から北風が吹いた(四ツ目通り三ツ目通りなど、南北に遮るものがない江東区の道を歩いているとよくわかる。それまでの南風が一昨夜は東風になり、昨夜は北風になった。どうやら秋雨前線の北側に一時的に位置して猛暑が一段落したようだが、それも束の間、土日からはまた猛暑がぶり返すという。

 それなのにトランプは地球温暖化自体を否定する政治家だ。また国内では参政党が反気候変動の筆頭格だ(この政党は本当にオザシン=小沢一郎信者の系列を正しく継承しているといつも思う)。

 そんな時に必要なのは、まさしく「権力格差」が小さく、構成員の知恵を吸い上げてそれを政策に反映させることができる政党だ。枝野幸男は「ボトムアップ」を掲げてそのような政党であることを標榜したが、その理想を実現させることはできなかった。だから2019年の参院選に続いて2021年の衆院選でも伸び悩み、枝野は責任をとって辞任した。しかし枝野は後継者の育成もできていなかった。後継者候補も枝野の限界を克服して大きくなろうとしていなかったのか、代表選では2021年も2024年も旧立民(2017年結党、2020年解党)に属していなかった人間が選ばれた。そしてその2人とも、代表就任の半年あまり後に行われた参院選に惨敗した。それが歴史的事実である。

 「駅前は朝の七時」の下記Xはその歴史を改竄している。

 

 

 泉健太代表の立民の大大大惨敗に終わった2022年の参院選後に立民が立ち直ったのは、「提案型野党」なる誤った路線に走ったことが立民大惨敗の原因だったと正しく認定して敗戦を総括した立民の政治家たちの功績であって、泉は持ち前の世渡り上手でもってその総括を受け入れながら党代表を辞任しなかったことによって果実を自分のものにしようとしただけの人間に過ぎない。その泉は今も「減税」寄りの言動を行い、野田佳彦が「増税派」の印象を世間に与えてしまったと動画で発言したのを、先日naoko氏にXで批判されていた。

 泉支持者は「泉健太なら参院選にこんな惨敗をすることはなかった」と言い募っているが、私はその意見には大反対だ。泉でも野田佳彦と同じような大惨敗を喫しただろう。

 ただ、泉は元「希望の党」の人間なので批判されやすいのに対し、野田は小池百合子一派、特に細野豪志に「排除」されたことがある政治家だから木村弥生支持層も批判しにくいという不公平さがあるとはいえるかもしれない。しかし私から見ればダメさ加減にかけては泉も野田も同程度だ。

 また前述のように枝野幸男にも「今さら」感がある。

 「駅前は朝の七時」は西村智奈美の名前は絶対に挙げようとしないが、野田がビジョンを明確に示さないと言ったらしい逢坂誠二なら妥協できるらしい。

 それなら逢坂誠二ならどうだ、とは少し前に書いた。

 時間がきたのでここまで。