今日は政治の話を書く気が起きないので昨日に続いて長嶋茂雄の話を。
自民党から共産党まで!
私は現役の長嶋を知っているが、しかしそれは彼が全盛期を過ぎ現役引退に向かう1970年代前半である。「天覧試合」も同時代人的知識ではなく歴史の知識として(後から)知ったことだ。だから、団塊の世代前後の年上の世代の人みたいなリアリティは持っていない。多分50代以下の人は野球選手としての長嶋を知らないし、20代以下の人はジャイアンツの監督としての長嶋を知らない。もしかして、長嶋一茂の父親という感じのリアリティ? だから(大谷翔平を含む)若い人のコメントは、形式的(定型的)なおくやみという感じがした。
さて追悼ムードの中で隠蔽されている〈闇〉については
「長嶋茂雄死去」https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2025/06/04/083856
を。
URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2025/06/04/083856
私もsumita-mさんと同世代なので長嶋の現役時代を知っているが、それは長嶋の選手生活の晩年で、勝負強さよりも併殺打の多さの方が目立った。一昨日にnews23に出ていたやはり同世代の真山仁(1962年大阪生まれ)によると大阪でも阪神と読売のファンは拮抗していて、読売のファンは長嶋ファンと王ファンの2つに分かれていたというがその感覚はわかる。でも真山氏も長嶋の全盛期は知らないはずだ。だが関西*1でも阪神と読売のほかに「アンチ読売」あるいは両球団以外のファンという第三勢力があって、私は後年その領域に入っていくのだが、小学生の頃は読売の試合をVHFで、阪神の試合をサンテレビで見ていた。結局どちらにもなびかなかったのだが、親の世代(晩年に極右化した亡父は熱心な読売ファンで、母親は軽度の阪神ファンだった)が「勝負強さ」を力説する長嶋にはなびかなかったことに、その後「第三勢力」に入る萌芽があったのかもしれない。家の購読紙だった毎日新聞がしばしば読売球団をdisっていた*2影響を受けた可能性がある。
しかし私より少し上の世代には長嶋にかぶれた人たちが多かったから、カリスマ性はあったのだろうと推測するばかりだ。私がその世代の人だったら長嶋にかぶれたかどうかはわからない。
長嶋は1936年生まれだが早生まれで、1994年生まれの大谷翔平とは実に学年が59も違う。私と世代がそれくらい違うといえば、ネット検索をかけたところ浜崎真二(1901-1981)くらいのもので、この人は10年ほど前に山本昌に最年長出場記録を破られた人なので、要するにほとんどいないということだ。プロ野球の老舗球団といえば読売と阪神だが、読売が昨年創立90周年で阪神は今年がそうらしいから、浜崎くらいしかプロ野球草創期のベテラン選手がいなかったのもわかる。
その世代である私でさえ長嶋の全盛期をリアルタイムでしか知らなかったのだから、長嶋の熱烈なファンは自民党や立憲民主党(立民)や共産党の支持層の中核をなす世代に多く、だから「自民から共産まで」長嶋追悼のメッセージが出たのかもしれないと思う。長嶋がナベツネ並みにあと9年長生きしていたら、訃報も今回とは違ったものになったかもしれない。また大谷翔平を含む若い人たちが「定型的なお悔やみ」の反応しか示さなかったのも当然だろう。
しかし長嶋追悼ムードの中で隠蔽されている「闇」は確かにある。特に長嶋が最初に解任された1980年から監督を退いた2001年までの間の期間には、明らかに長嶋の「光」よりも「影」の方が多かったと私は思うから、その「影」の部分も書き残す必要があると思った。だから昨日のような記事を書いて公開した次第。
そういえば長嶋がホームランを打ってホームインした時にスキップしたシーンがあって、それを「ほほえましい」とかいう人がいるが、あれなんかどんなものだろうか。
あの試合はテレビの生中継で見たような記憶があるが、古い記憶だからあてにならない。あとで知ったものかもしれない。ただいつどこでどの球団相手に行われた試合かを確認しようと思ってネット検索をかけたらAIが「1959年の『天覧試合』(対阪神)」だとか答えを返してきた。しかしこれは大嘘だろう。そんな馬鹿なことを調べる人間がほとんどいないから出鱈目な答えをしてきたものと思われる。しかし嘘も百回いえば本当になる式に、そういう真偽が疑わしい言説が一部の人たちの間で「真実」と化すようなこともあるんだろうなと思った。政治に関するネットの言説にそういうのが多いと思う。
わかったのは後楽園球場での試合で、相手は中日、時期は中日の選手のユニフォームから判断して1973年以前ということだ(中日は優勝した1974年にユニフォームを赤色を含むものに変えた)。残念ながら打たれた投手は星野仙一ではなかった。満塁ホームランだったとするネット情報もあるが確認はとれていない。
あれはあの時代で読売のホームゲームでやったのが長嶋、それにおそらく読売の一方的な試合だったから許されたという類のパフォーマンスであって、今なら相手選手への敬意を欠くなどとして批判の対象になったのではないか。
もっともその程度では長嶋の「影」あるいは「闇」の部分とまではいえない。批判は主に第2次長嶋監督時代の読売球団のあり方にかかわる部分が中心になるべきだと思う。