kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

佐々岡と古田の引退に思う

私はかつて熱心なアンチ巨人ファンだったので、セ・リーグで巨人に対抗していたチームの主力選手は結構よく見ていた。
佐々岡真司は、1991年の活躍が印象深い。この年、東京ドームの巨人戦で終盤に同点に追いつかれ、延長戦でサヨナラのピンチに立ち、スタンドの大部分を占める巨人ファンのサヨナラを願う応援を向こうに回してピンチを凌ぎ切り、延長12回だったかの末に勝利投手になった試合は、特に印象深い。ハートの強い投手だった。この年のカープは、中日につけられた大差を終盤で大逆転して優勝したが、佐々岡は最多勝最優秀防御率の両タイトルを獲得した。シーズンMVP、沢村賞ベストナインを総なめにしたのは当然だった。なお、この年を最後にカープは優勝から遠ざかっている(1996年に巨人に「メークドラマ」を許したのが痛かった)。

古田敦也はいわずとしれたヤクルト黄金時代の立役者である。だが、92年、93年、95年、97年、01年と思い出そうとしても、意外と具体的な試合が頭に浮かばない。92年は阪神との首位攻防戦での岡林の力投や広沢の決勝ホームラン、日本シリーズで同じく岡林が3試合を投げ抜いた力投、第1戦の杉浦のサヨナラ本塁打西武球場での第5戦の池山の決勝ホームラン、93年は伊藤智とハウエルの活躍、95年は開幕第2戦での桑田の危険球や吉井の復活、97年は開幕戦での小早川の3本塁打と冴え渡った野村監督の采配、01年は巨人の自滅がすぐ頭に浮かぶ。古田で一番印象に残っているのは、91年の落合(中日)との熾烈な首位打者争いで、なんといっても驚いたのは、ダブルヘッダーで6打数5安打だか7打数6安打を記録しないと古田を抜けない状況にあった落合が、本当にそれを記録して古田を抜いてしまったことだ。古田は、翌日バントヒットで落合を抜き返し、首位打者に輝いたが、見る者の印象は古田より落合のほうがずっと強かった。落合といえば、中日時代、巨人時代を通じて印象に残る場面を何度も作った。落合が移籍して来る以前の中日は弱小球団だったが、1987年の落合移籍以降、中日はBクラスに落ちる頻度が巨人に次いで少ないチームになった(これを星野仙一の功績とする見方もあろうが、私はその見方はとらない)。

もちろん、古田は捕手だから、投手のリードが最大の仕事であり、そこに古田の真骨頂があったのだろう。師である野村克也と同じだ。野村も、若い頃南海ホークスで兼任監督をやった。1973年に阪急と前後期優勝チームが対戦するプレーオフを争い、後期戦で1度も勝てなかった阪急(12敗1引き分け)を3勝2敗で破る知将ぶりを見せたが、1977年にスキャンダルを起こして球団を追われ、ロッテ、西武で現役一本に復帰して45歳までプレーしたあと、長くネット裏から野球を見て、1990年にヤクルトの監督に就任した。その年のルーキーが古田だった。野村監督就任2年目にヤクルトは中日、広島と優勝を争って11年ぶりにAクラスに入った。最初に書いた佐々岡の活躍で広島が優勝した年であり、古田が落合を抑えて首位打者に輝いた年でもある。翌92年にヤクルトは、今度は巨人、阪神と優勝を争って14年ぶりのリーグ優勝を遂げた。野村が南海を追われてから15年後のことだった。そういえば、この年だったか、野村と古田がコマーシャルに共演していたのを覚えている。この頃は、プロ野球中継を見るのが本当に楽しかった。以前にも書いたが、97年にヤクルトと横浜が優勝争いを演じたのは、セ・リーグ史に残る快挙だと私は思っているが、既にその頃には、読売によって導入された新自由主義的施策の毒が、プロ野球を蝕み始めていた。97年というと「メークドラマ」の翌年。この年の開幕戦で、江川卓を引退に追い込んだ小早川毅彦が巨人のエース・斎藤雅樹から3本の本塁打を放ったが、この1試合だけでこの年ヤクルトは巨人を完璧に沈めた。斎藤に強い小早川をヤクルトが広島から獲得したのは、野村克也の差し金であり、野村はこの開幕戦に監督生命のすべてを賭けていたのだと私は確信している。この年ほど野村采配が冴え渡ったシーズンは、後にも先にもなかった。仮にこの開幕戦がなければ、97年も巨人が優勝しただろうと私は今でも思っている。それくらい巨人の戦力は膨れ上がっていたのだが、不思議なことに巨人は98年も99年も優勝を逃した。00年、ついに巨大戦力が爆発して巨人が優勝したが、奇怪な化け物のような巨人の野球は醜悪の一語に尽き、この年を境にして私はプロ野球観戦から徐々に離れていった。プロ野球をだめにしたのはナベツネ長嶋茂雄だと私は思っている。

さて、古田というと、なんといっても04年の球界再編成の時の選手会長としての大車輪の活躍を誰しも思い出すだろう。だがそれはグラウンド外での活躍だ。古田がいったんグラウンドを離れたのち、野村克也のように再び戻って監督として成功できるかどうかはなんともいえないと思う。何より、「格差」が固定化してしまった今のプロ野球で、どれだけ監督の手腕を発揮できる余地があるだろうか。野村克也阪神で土台を作ったが、監督在任中の3年はずっと最下位だった。それでも阪神には人気があり、それだけ金も使おうと思えば使えるアドバンテージがあった。今、ヤクルトや広島をどうやったら強くできるか、私には見当もつかない。

一説によると、古田に民主党が政界入りの勧誘をしているとも聞く。私はあまり賛成ではないが、星野仙一自民党から立候補するのよりは、よほどマシだろう。キャラクター的にも、星野はいかにも自民党的、古田はいかにも民主党的だと思う(笑)。