kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

遅すぎたイチローの現役引退

 私はアスリートとしてのイチローのパフォーマンスはずっと買ってきたのだが、今回東京ドームで行われた引退試合は全くいただけなかった。守備はともかく打撃ではもう去年から全く通用しない選手になってしまっていて、そんな選手が公式戦に出場すること自体いかがなものかと思った。

 1993年9月から2か月間アメリカに滞在した時、当時46歳だったノーラン・ライアンの最後の登板がスポーツニュースで報じられたのを見たが、先発して一死もとれずに降板していた。いま調べてみると同年9月22日のマリナーズ戦で、ライアンは0イニングを2安打4四球5失点で降板したらしい。でも当時このニュースに接して、日本人の方がアメリカ人より平均寿命も長いんだし長く現役を務められるはずだと思ったものだ。

 それを実現させたのは工藤公康山本昌だった。山本は1993年にヤクルトから負けなしの7勝を挙げた投手で、渡米していたので知らなかったのだが、9月に試合前の練習で怪我をして戦線を離脱した。彼の故障がなければヤクルトは優勝を中日にさらわれていたかもしれなかった。一方、ヤクルトは工藤とは西武ライオンズ球場(当時。現西武ドーム)で行われた日本シリーズ第1戦で対戦して打ち込み、快勝した。ヤクルトの勝利投手は荒木大輔だった。これはアメリカ滞在末期に現地のテレビで放送されたニュースで知った。この2人がのちに現役続行にこだわる選手生活の先駆者になったが、まだ山本昌の引退から3年半しか経っていない。その山本昌が引退した2015年には、本拠地最終戦阪神戦という、わざわざ球団が山本のために用意したかのような日程が組まれていたが*1、もはや一軍では全く通用しなくなっていた山本はその試合での登板を固辞し、結局シーズン最終戦となったマツダスタジアムの広島戦で先頭打者だけに投球することにした。ところがその試合も広島のクライマックスシリーズ進出を賭けた試合になってしまったので、山本昌は大いに恐縮していたものだ。結局広島はこの試合で死に馬・中日に蹴られてクライマックスシリーズ進出を逃した。中日に助けられてクライマックスシリーズに進出したのは阪神だったが、山本昌阪神戦を引退試合にすることを固辞したのは、阪神もまたクライマックスシリーズ進出を賭けて日々必死に戦っていたことが理由の一つだった*2

 山本昌もまた、投手にありがちな自己主張の強い選手だったと私は認識しているが、その山本も一軍で全く通用しなくなった自分が後身たちの真剣勝負に水を差してはならないと考えた。これがあるべき姿なのではないだろうか。

 その山本に引き比べてイチローはどうか。東京ドームで引退試合をやってもらえることを喜んでいたが*3、同僚であるマリナーズの選手や相手球団のアスレチックスの選手への配慮は見られない。試合では両軍の選手はイチローに拍手を送っていたが、内心ではなんでこんなセレモニーに付き合わされてわざわざ日本で試合をやらなければならないのかとうんざりした選手も少なくないのではないか。

 イチローは大いなる勘違いをしていた。イチローの現役引退は一年遅かった、彼は晩節を汚した。私はそのように思う。

 

 なお、下記はてなブログの記事にイチローの言葉が引用されている。この記事を読んだから、遅ればせながらイチロー引退について書こうと思い立った次第。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記リンクの記事中、

アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれた

 という言葉*4は良かった。イチローは言葉の人ではないと私は思っているが、「リベラル」人士までもが排外主義に侵されている今、「誰だって外国人なんだよ」という当たり前のことを誰もが想起すべきだと思った。

 しかし、

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。

 というのはどうかな。

 ブログ主のsumita-mさんは

「データを重視する」ということで思い出すのは、1980年代に、野球は頭でするもんやという触れ込みとともに野村克也が唱えていた所謂ID野球だけど。あの頃も、野村を持て囃すメディアやファンと野村を拒絶するファンとに分かれて、争っていたのでは?

と書くのだが、かつて90年代に野村克也が采配をふるう試合を多く見た私は、野村野球の真髄は呪術的な魔力にあったと思う。派手な打撃戦となった1992年の日本シリーズ第6戦(対西武)にサヨナラ勝ちした試合後、野村克也はハイになってID野球の看板をかなぐり捨てるようなコメントを出したはずだ。そしてこのシリーズでは岡林洋一を、ヤクルト初のリーグ連覇と15年ぶり日本一を記録した翌年のシーズンでは伊藤智仁をそれぞれ登板過多で潰すという大きな誤りも犯した(のち野村は彼らに謝罪した)。きわめつきは1997年のシーズンで、開幕直前にある局のインタビューに答えて「自信のある監督は強気のことは言わないんですよ」と言いながら、別の局のインタビューでは自軍の選手をさんざんにこき下ろしていたのだった。そして開幕戦で広島から移籍したばかりの小早川毅彦が、前年まで3年連続開幕戦完封勝利を挙げていた読売の不動のエース・斎藤雅樹から放った3打席連続本塁打。斎藤に強い小早川が広島で戦力外と判断されたのを知って獲得したのは確かに「データ重視」だろうが、3打席連続本塁打まではデータからは出てこない。何かプラスアルファがあったのだ。

 なお、野村克也同じような呪術的な魔力を持つ監督として、中日の落合博満が挙げられる。それだけに、2011年のシーズン終盤に中日のフロントが落合を監督から引きずり下ろそうと画策した時、「これで当分優勝できなくなるぞ」と思った中日の選手たちが発奮してヤクルトが逆転されてしまうのではないかと危惧して、そのことをこの日記にも書いたら、なんとそれが現実になってしまった*5

 「頭を使う」ことは必要条件だが十分条件ではない。言語化が容易ではないプラスアルファが必要なのだ。イチローは自らのプレーではそれができていたからこそ不世出の選手になったと思うのだが、言葉としては

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。

 などという陳腐なことしか言えない。

 だから、イチローは言葉の人ではないと考える次第だ。

*1:山本昌は選手生活の後半において阪神戦を得意とし、2006年に史上最高齢ノーヒットノーランを首位攻防の阪神戦で記録したほか、2014年には史上最年長勝利を阪神戦で記録した。

*2:阪神山本昌が登板しなかった中日戦に負けてしまい、結局広島対中日最終戦クライマックスシリーズ進出チームを決める試合になってしまったのだった。

*3:イチローは、神戸の球場で(オリックスのオープン戦か何かで?)引退試合をやることになるんじゃないかと思っていたなどと語っていたが、東京ドームで派手にやるよりその方がずっと良いじゃないかと私は思った。

*4:https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro からの引用。

*5:しかもその後の中日の低迷まで現実になっている。