kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

おいTBS! 「こうのもろ なお」って誰だよ!!

 朝のテレビはあまり見ないのだが、たまに見るというかテレビをつけている時はたいていTBSの朝チャンだ。今朝はたまたまつけていたら、最近の教科書の内容が昔と違うとかいう話をしていた。

 たとえば平仮名の「そ」の字体が違い、60年代から80年代まで*1は2画で習ったが、それ以降は1画で習っているとか。私は2画で習った世代だがずっと1画で書いていた。おそらく子ども時代には2画で書いていたのだが面倒になったのと新聞や本などの活字がたいてい1画なのでいつの間にか1画で書くようになったのだろう。自覚は全くないのだが。

 また理科ではリットルは2011年以降、小文字でなく大文字で書くように習うようになったらしい*2。私は今でも小文字で書くが、そういえば大文字での表記が目立つようになった気もする。また、2006年に冥王星が太陽系の惑星とは認められなくなったために、「水金地火木土天海冥」*3と言わなくなった(「冥」が外れた)話もしていたが、さすがにこの件は鮮明に覚えていた。

 面白かったのは英語で、昔は "My name is Shinzo Abe."*4 式に習ったが、今では "I am Abe Shinzo." 式に習うらしい。番組の解説によると、世界的には "My name is ..." より "I am ..." と名乗る方が多く、また姓名の順番はその国で行われる順番に合わせるのが普通だとのこと。私は1992年に初めてパスポートをとった時に「姓→名」の順番にした記憶がある。この順番にこだわっていたのはかつての朝日新聞のスター記者にして現在では『週刊金曜日』の創始者として知られる本多勝一だったから、現在80代後半のホンカツ氏もこのニュースにはご満悦かもしれない。余談だが、1993年にクレジットカードを作った時のサインは日本語の漢字にした。これには国粋主義ではなく欧米人などに真似されにくいためという合理主義的な説明を聞いたが、ネット検索をかけてみたら別にサインなら何でも良いらしい。

 

news.cardmics.com

 

 なぜか本論から離れた話題でリンクまで張ってしまったが、姓名の順番に戻ると、日本と朝鮮の世襲の独裁者はそれぞれ「アベ・シンゾー」と「キム・ジョンウン」だし、福田康夫が愛好して止まないハンガリーの大作曲家は「バルトーク・ベーラ」で良いのだ。クラシック音楽の世界では特に「名→姓」の順番にしたがる傾向が強いが*5、いい加減にこの悪弊を廃するべきだろう。

 国語の部が長くなったが、やっと本論の社会科というか日本史の話に入る。これは全然知らなかったのだが(もともと日本史は大の苦手なのだ)、源頼朝の有名な肖像画は、実は足利尊氏の弟・足利直義肖像画である可能性が高く、また足利尊氏を描いたとされていた「騎馬武者像」も、尊氏の家臣だった高師直*6(こうのもろなお)かその子の高師詮(こうのもろあきら)であるとの説が強まってきて、その理由によって伝頼朝の肖像画や伝尊氏の「騎馬武者像」は教科書から姿を消したのだという。

 ネット検索で調べてみると、頼朝像についてはこの説が有力となったのは古い話ではなく、米倉迪夫(よねくら・みちお)が1995年に発表してあっという間に通説として定着したものらしい。下記リンクの平凡社ライブラリーで読めるとのこと。

 

源頼朝像 沈黙の肖像画 (平凡社ライブラリー)

源頼朝像 沈黙の肖像画 (平凡社ライブラリー)

 

 

 以下、アマゾンカスタマーレビューから引用する。

 

日本人の常識を揺さぶった不朽の名著

神護寺の国宝・源頼朝像は人違いで、足利直義像が正しいと指摘した旧版・1995年刊の「絵は語るシリーズ」第四巻の内容(新たな書き直しなし)に、旧版刊行以後の議論の展開を補論として付加した新版。神護寺三像を含む様々な画像の比較検討+足利尊氏(兄)と自分の影像を神護寺に安置するという足利直義願文(写真を掲載)とを組み合わせて、神護寺三像の真の像主(モデル)を特定する。補論にまとめられているとおり、大英博物館蔵の源頼朝像と太刀の柄に関する議論が深まったので、著者の説は現在ではさらに確固たるものとなっているが、旧版の議論だけでも源頼朝像は14世紀制作の足利直義像だとする著者の説は十分に説得力がある。

具体的には、浄土寺足利尊氏像等と対比して平重盛像を足利尊氏像に訂正し、夢窓疎石像と比較して源頼朝像が14世紀に制作された可能性を指摘し、等持院足利義詮像と対比して藤原光能像を足利義詮像に訂正するのだが、モノクロにかかわらず図版が精緻でなるほどと納得できる。特に源頼朝像(実は足利直義像)と夢窓疎石像との対比では、雰囲気が似ていることは一見して素人目にもわかるが、本書ではさらに踏み込んで、耳、目と眉、唇と鼻孔を拡大して、耳内側の濃墨のアクセントや鼻孔を灰色で色づけしている点等で共通していることを確認しており、専門家はこういう所に着目するのかと感心する。

曖昧なまま定着した日本人の常識を正す、歴史・美術学の記念碑的な名著だ。

 

 へえ、面白そうだな、いつか読んでみようと思った。

 

 武装して馬に乗った足利尊氏とされていた像のほうは、矢が折れていて征夷大将軍の絵として相応しくないとの議論があるとテレビで言っていた。それは良いのだが、なんとアナウンサーは「高師直」の名前を読む時につっかえながら「こうのもろ なお」とか「こうのもろ あきら」などと発音していたのにぶっ飛んでしまった。彼らは高師氏ではなく高氏だろ。そんなことは日本史が大の苦手だった私でも知っている。

 もっともかくいう私も子どもの頃、テレビ欄に載っていた「杉良太郎」を「すぎら・たろう」だと思い込んでいたことがあった。それと似たようなものか。

*1:テレビでは元号で言ってやがったが西暦に直した。

*2:理科の場合SI単位系での表記が原則になった方が大きな変化だと思うが、その話はしなかった。

*3:これもかなり長い間「水金地火木土天冥海」だったが(1979年から99年までの間)、ようやく元の順序に戻ったと思ったら冥王星が惑星から外れてしまったのだった。

*4:番組では別に安倍晋三の名前を例に使ったわけではなかったが、ここでは安倍の名前を使う。

*5:たとえば鄭京和(韓国の名ヴァイオリニスト)を「チョン・キョンファ」ではなく「キョンファ・チョン」と表記したがる傾向が、彼女がメジャーになった1970年代からあったが、これに対して断固として「鄭京和」と表記したのが数年前に世を去った宇野功芳だった。私は思い込みの強い印象批評家にして極右人士でもあった宇野が大嫌いだったが、この一点に限っては宇野を支持する。もっとも、さしものクラシック業界でも、ある時期から後は「チョン・キョンファ」表記が普通になったはずだ。なぜってたとえば金大中を「デジュン・キム」なんて誰も呼ばないから。

*6:エントリの公開当初、「高諸直」と誤記(誤変換)してしまって気づかずにいて、sumita-mさんのブログで指摘された。https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/28/033835 アホを嗤った究極のアホとは私のことだ。これでは故勝谷誠彦といい勝負かも。面目ない(苦笑)。