「きまぐれな日々」のアクセス数アップに貢献してくれる自民党および同党OBの政治家は3人いて、大村秀章、城内実、稲田朋美である。このうち大村は新自由主義者だが、城内実と稲田朋美は極右である。
現在では「反城内実」で知られるようになったが、もともとは稲田朋美批判の記事の方が多くて、最初に批判したのは2006年に稲田が加藤紘一の実家への放火を笑いものにした頃だったし、昨年春の映画『靖国』の検閲問題の時には、連日のように稲田を批判する記事を書いたものだ。
その稲田だが、一時劣勢も予想された総選挙も、いざ蓋を開けてみれば、小泉チルドレンの中でももっとも際立った得票力を見せて小選挙区で勝利した。弁護士でもある稲田は、頭が良いことは確かで、安倍晋三だの麻生太郎だのといったボンボンが頂点に立つ「真正保守」の中にあって、城内実ともどもホープとされる存在なのだろう。しかし、その稲田による衆院選の敗因分析は、首をかしげざるを得ないものだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091016/stt0910160315000-n1.htm
もともと政治の根本は人への信頼である。時々刻々と変わっていく国際情勢や経済状況のなかでマニフェストだけで政治はできない。危機に臨んで瞬時に正しい判断ができる人か、全身全霊を傾けてまじめに政治に取り組む政治家かどうかを有権者はみている。
国民が自民党にこの国をまかせられないと思った理由もここにある。「一体政治家は永田町で何をやっているのだ」という怒りであり、不信感である。選挙に勝って政権を維持することにのみ目を奪われ「国民政党」であることを忘れ、人気取りに走った自民党に「否」をつきつけたのが今回の選挙だった。
この指摘には誰しも異存はないだろう。しかし、そこから
ことへの論理の飛躍が私には全く理解できない。それが「国民政党」の「あるべき姿」なのだろうか。
稲田は、この論理の飛躍の過程で、
民主党になくて自民党にあるものが1つだけある。それは立党の精神だ。自民党の立党宣言には、真の改革の続行、自主独立、国民道義の確立が謳(うた)われている。なかでも国民道義の確立は、日本が市場原理主義、拝金主義から本当の豊かさを求める国に生まれかわるための答えである。日本は単に経済大国というのではなく道義大国をめざすと宣言をするのだ。小さくても強く、高い倫理観と社会正義が貫かれていることで世界中から尊敬される国「道義大国日本」をめざす、と。
と書いている。「真の改革」という表現に、今なお「カイカク」派も足場を残す稲田の狡猾さが見え隠れするのだが、「高い倫理観と社会正義」などという言葉は、加藤紘一の実家への放火を笑いものにした稲田朋美には発する資格はあるまい。
産経新聞に載ったこのインタビューを見ていると、稲田朋美も「極右ポピュリスト」であるようにしか私には見えない。
そして、総選挙の敗因を「自民党が『保守』を貫けなかったこと」だと言わんばかりの稲田朋美を見ていると、リーマン・ショック後の日本経済の不振を、「カイカクが後退した」せいにした竹中平蔵となぜか二重写しになる。
稲田が「市場原理主義、拝金主義」を非難しているにもかかわらず、稲田のメンタリティは、新自由主義の代表選手である竹中平蔵そっくりとしか、私には思えないのである。