kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「平成の無血革命」と普天間飛行場移設問題

平成の無血革命成功を期す鳩山首相演説: 植草一秀の『知られざる真実』 より。

普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる。嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を軸に着地点を見出す必要があると考えられる。

素朴な疑問だが、この主張って岡田克也外相の姿勢とほとんど何も変わらないんじゃない?
琉球新報」の10月25日付社説を以下に引用する。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-151781-storytopic-11.html

岡田外相発言/迷走する鳩山政権の限界 安保の沖縄依存から脱却を
2009年10月25日

 またも普天間移設問題で鳩山内閣がぶれた。今度は岡田克也外相だ。「県外移転は考えられない」として23日、嘉手納基地統合案を含む県内移設を表明した。
 政権発足当初からぶれ続ける鳩山内閣だが、今度は最も選挙公約に忠実だったはずの岡田外相だ。
 さすがに、もういいかげんにしてほしい。これでは、外交・安保政策にとどまらず、新政権自体への国民の信頼を失いかねない。
 普天間問題とインド洋給油問題は、鳩山政権のアキレス腱(けん)といわれる。米国が交渉相手だからだ。


◆「呉越同舟」政党の弱点
 外交・安保政策は、旧社会党から自民党右派まで「呉越同舟」の思想的寄り合い所帯である民主党の最大の弱点だ。そこを突かれると内部から瓦解しかねない。
 だが政権政党となれば弱点と正面から向き合わざるを得ない。しかも「論憲」という改憲政党が参院での多数を維持するために、「護憲」の社民党と連立を組んでいる。沖縄を重要な足場とする社民にとって普天間基地の県外・国外移設は「党是」の感すらある。
 今回の岡田外相発言は、連立政権のそんな事情を「失念」しなければできない発言だ。
 3党連立合意にも反する発言を鳩山首相は、どう処理するか。注目したい。
 普天間問題は民主党の「選挙公約」の真価を問う重要な試金石でもある。公約の「沖縄ビジョン2008」で民主党は明確に「県外、国外移転」の検討を打ち出し、選挙前の党公約でも「現行案の見直し」を明記したからだ。
 改憲自衛隊容認、外交の基軸を日米同盟に、集団的自衛権すら認めかねないという点で民主党自民党との違いがほとんどない。
 それでも政権を奪取できたのは景気対策脱官僚行財政改革と同時に「対米追従から対等な日米関係への転換」という決意への国民の期待も要因の一つだ。
 対等な日米関係が構築されるか否か。その試金石の普天間問題が早くも行き詰まり、対米追従の現状容認に流れつつある。その裏には、ゲーツ米国防長官やマイケル・マレン米統合参謀本部議長ら相次いで来日した米政府要人からの「恫喝(どうかつ)」的外交交渉がある。
 岡田発言の背景にもしたたかな米外交に圧倒され反論・主張できない日本外交の限界がある。
 しかし、政府が守るべきは米国との約束の前に国民との約束だ。日米安保は国民を守るためにある。その安保のために沖縄に駐留する米軍がレイプや殺人、強盗など犯罪を繰り返し国民である県民の命を危険にさらす。
 犯罪ばかりか、演習事故や日夜を問わず米軍機の爆音が子どもたちの教育環境を破壊し、安眠を妨げ、誤射弾や通告のない落下傘降下訓練が命を脅かし続けている。


◆県民の命を守る安保を
 実弾演習で山野を燃やし、放射能漏れの原潜寄港を許し、犯罪米兵の身柄すら同盟国の好意的考慮にすがる。これが日米同盟の現実。優先し守るべきは日米安保体制ではない。国民の命のはずだ。
 在日米軍の専用施設の74%を、国土のわずか0・6%にすぎない沖縄が背負い続けている。
 普天間問題の源流は、1995年9月に起きた少女乱暴事件であったことを忘れてはいないか。事件を契機に、米兵犯罪の撲滅、基地の整理縮小、不平等な日米地位協定の改定を県民は求めた。
 危険な基地の象徴である普天間飛行場の撤去は、少女の人権すら守れない日米安保への反省と復帰後も安保を過重に負担してきた沖縄県民に、日米両政府首脳が約束したわずかばかりの贖罪(しょくざい)だったはずだ。
 それがいつしか「代替」施設の新基地建設が焦点となり、グアムの新基地建設まで「沖縄の負担軽減」を理由に進められている。
 そんな対米追従安保の変革を公約に掲げた新政権への国民・県民の期待と信頼を裏切る発言を、最初は北沢俊美防衛相が、次は鳩山首相が、そして今度は岡田外相が繰り出している。
 民主党が政権を掌握できたのは、選挙公約があったればこそだ。「公約選挙」と呼ばれた政権交代選挙が公約無視の「羊頭狗肉」に終われば、この国の政党政治と民主主義は崩壊しかねない。
 米国の恫喝に屈し、対米追従現状追認で県民の負担軽減どころか過重負担を強いる。これが新政権なら政権交代は失敗だった。

ここで「琉球新報」が批判している岡田外相の発言と、植草元教授の主張はほとんど変わらないと私は思うのだけれど、最初から腰が引けてアメリカに対して日本の立場を主張しようとさえしない岡田外相に対しては、一部の人たちによって「マスゴミ」と蔑称されているテレビのコメンテーターからさえ、厳しい批判が浴びせられていた(たとえばTBSテレビ「サンデーモーニング」)。

何より、「琉球新報」の社説が主張するように、

「沖縄ビジョン2008」で民主党は明確に「県外、国外移転」の検討を打ち出し、選挙前の党公約でも「現行案の見直し」を明記した

のである。ところが、政権与党になるや否や、この公約を反古にしようとしているから批判を浴びているのだ。

果たして、沖縄を犠牲にした「無血革命」とやらに何の意味があるのか、私にはさっぱり理解できない。アメリカを、「悪徳ペンタゴン」の一角として普段から厳しく批判している植草元教授が、なぜ今回のようなブログ記事を書いたのかも意図がわからない。隠れた意味があるのかと思って読み返してみたが、どうもそうではなく字面通りの意味であるとしか読み取れない。

そりゃ交渉ごとだから何もかも日本にとって都合の良い結果になるとは限らない。だが、交渉ごとにおいて最初から自分の立場を主張しなかったら、成果がゼロに終わるのは当然だろう。

 民主党が政権を掌握できたのは、選挙公約があったればこそだ。「公約選挙」と呼ばれた政権交代選挙が公約無視の「羊頭狗肉」に終われば、この国の政党政治と民主主義は崩壊しかねない。
 米国の恫喝に屈し、対米追従現状追認で県民の負担軽減どころか過重負担を強いる。これが新政権なら政権交代は失敗だった。

という「琉球新報」の批判を、民主党政府はよくかみしめるべきである。

[追記] (2009.11.8)
その後、http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20091108で、琉球新報が報じた嘉手納町民大会の様子と同紙の社説が紹介されました。是非ご参照ください。