kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ランド・ポールとサラ・ペイリンと小沢一郎と

陰謀論者・「アルルの男・ヒロシ」が入れ込んでいるティーパーティーの件だが、5月に書かれた冷泉彰彦氏の記事には、そのイデオロギーは「政府の極小化主義」と表現されている。
止まらない「ティーパーティー」旋風、その政治的影響力は? | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト


冷泉氏は、「ティーパーティー」を

「小さな政府論」と「反エスタブリッシュメント」という「情念」で結ばれているだけで、中身はバラバラ

と評している。ここで紹介されているロン・ポールの倅、ランド・ポールの思想が面白い。

ランド・ポール候補は、父のロン・ポール議員同様に、極端な「政府機能の極小化」を主張しています。連銀による連邦通貨発行への反対、公的資金による民間企業救済への全面的反対、連邦としての文部省設置への反対といった実務的な部分はまだ右派全体に喝采を受けるかもしれません。ですが、例えば「イラクを救う責任はアメリカにはない」としてイラク戦争に反対し、連邦政府のプライバシー監視だとして反テロの「愛国者法」にも反対するなど、政府の極小化にあたって「軍事外交を聖域にせず」という姿勢は、例えばペイリン女史(彼女はポール候補の推薦人にはなっているのですが)の立場などとは相容れないものです。


父のロン・ポールは、小沢信者の間で人気の高い「9・11陰謀論者」だが、なるほどその思想の背景をよく理解させてくれるのが、ランド・ポールの政治的スタンスだ。

よく、小泉純一郎が「聖域なき構造改革」と言いながら軍事費を削減しようとしなかったと批判されるが*1、軍事費削減にまで踏み込む「小さな政府原理主義者」がポール親子というべきなのだろう。それはそれで筋が通っている。

一方、サラ・ペイリンは「軍備を除く小さな政府」を目指す、伝統的な「新自由主義者兼極右」といえる。

ランド・ポールの思想に戻り、以下冷泉氏の文章を引用する。

 ポール候補は眼科医だと紹介しましたが、実際にかなり熱心に活動していたようで、無保険者向けの無料での眼科治療や、眼科手術を組織的にやっていたりもしています。この辺は、クラシックなアメリカの保守主義を純粋培養したような趣があり、要するに福祉というのは「出来る人間、持てる人間が自発的に行うもの」であって、自分は無償診療で無保険者を救うが、オバマの公的な国民皆保険には「絶対に反対」というわけです。こうした姿勢、そしてイラク戦争まで「局外中立」を主張するあたりは、この親子は全米の若いインテリ層に「アイドル的な」人気があるのです。ですが、その人気は、大金を払ってペイリンのディナーショー演説を見に来る「草の根保守の自営業者」達の「反エリート主義」とは、「ノリ」がかなり違うのです。


ここにこそ論点がある。福祉とは土豪がボランティアで行うものか、政府が行うべきものかという違いである。河村たかし小沢一郎が、決して金持ち増税に踏み込もうとしないのも、前者の思想によると考えると理解できる。

但し、小沢一郎の場合は、前者の思想と、2006年の民主党代表就任以来小沢一郎自身がとってきて、政権交代後に一部実行された政策、すなわち、子ども手当や高校無償化、農家個別保障制度などと、ティーパーティーの「政府の極小化主義」は正反対の方向性を持っている。つまり、これらの政策と、小沢一郎民主党代表選で言い出そうとした「所得税と住民税の半減」は相矛盾する。このような、政策に一貫性のない候補が民主党代表選で惨敗したことは、止むを得なかったと私は考える。何も菅直人の方が良かったのではなく、小沢一郎がひど過ぎたのだ。

そんな小沢一郎が、西松事件検察審査会の議決によって、「殉教者」に祭り上げられたことは、日本政治の先行きをさらに暗くする事態だ。一方で「アルルの男・ヒロシ」や副島隆彦(ソエジー)のような自称リバタリアンから、他方で最近劇的な転向を遂げた某有名ブログの管理人のように、社民主義福祉国家的なものを志向していた人たちから、ともに熱狂的な支持を受ける小沢一郎

よく、鳩山由紀夫菅直人が、誰にでも良い顔をしようとする八方美人だと批判されるし、私もその通りだと思うが、同じ批判は小沢一郎にも当てはまるのではないか。小沢一郎が「政府の極小化主義者」からも、「サービスの大きな政府」の支持者(だろうと私は思うのだが)からも熱烈な支持を受けるのはその証左だろう。とんだ「殉教者」である。

想像を絶する世界が、いま眼前にある。

*1:実際には、当時財務官僚だった片山さつきは軍事費を削減しようとして、城内実を支持するネット右翼の激怒を買っていた。