kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

自民党や鳩山由紀夫の政権だったらさらに悪い経過をたどっていたに違いない「東電原発事故」の原因は、恐るべき「無責任体制」だ

東電原発事故のまとめは、だいぶ前に毎日新聞が書いた記事の線に沿ったものが多いが、その後出てきた状況で、本当に危機的状況に陥ったのは3月14日から15日にかけてであることが判明し、その期間に焦点を当てた記事が出てくるようになった。下記日経の記事もその一つ。


http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C889DE0E5E4EAE6EBEBE2E1E2E2E6E0E2E3E39FE3E2E5E2E3

怒鳴る首相、募った「東電不信」 初動混乱の原発事故
迷走1カ月半を検証

2011/4/30 4:00


 「レベル7」という最悪の事故に至った福島第1原子力発電所放射能漏れ。東京電力原子力安全・保安院首相官邸と官僚機構など日本の頭脳たる官民の組織は、初動から、その後の対処でも混乱の収拾は遅れた。幾重もの安全装置の壁を軽々と越えて浸入してきた未曽有の津波を前に的確な情報集約さえできず、米国からの支援も事実上、断るなど瞬時の判断を誤った。迷走した1カ月半。危機は必ず来るという前提で「想定外」に備える難しさを浮き彫りにした。


 海江田万里経済産業相は3月14日深夜、東京電力清水正孝社長から電話を受けた。「放射線量が多く、これ以上、現場では作業ができません。第1原発から退避して第2原発に行きたい」

 爆発寸前の第1原発を事実上、見捨てて南に約10キロも離れた第2原発に大半が避難したらどうなるのか。政府と自衛隊に丸投げされても対処は不能だ。経産相から社長発言の報告を受けた菅直人首相は怒鳴った。「そんなことありえないだろ」


■溶融の恐れに衝撃


 現場は切迫していた。午前に3号機が水素爆発し、午後には2号機で水位低下。午後9時には炉心の燃料溶融に関し枝野幸男官房長官が1〜3号機とも「可能性は高い」と言明し衝撃が走る。

 自衛隊員4人が午前の水素爆発で負傷し、防衛省は東電の「大丈夫」との判断に疑問を抱く。夜には中央特殊武器防護隊員らが郡山市の駐屯地に一時退く。

 同様に第1原発の近くで待機していた原子力安全・保安院の職員らも郡山に退く。住民は半径20キロ内からの避難指示だが、安全を担うはずの保安院は50キロ以上先の郡山へ。炉心溶融か、という極限の状況を考えれば、だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。

 一方で首相の東電不信は頂点に達していた。国の存亡、自身の進退を含め、あとはない。第1原発には6つの原子炉と7つの使用済み核燃料プールがある。「チェルノブイリ原発をはるかに超える規模なのに、最悪の事態に関して聞いても誰も答えられない」

 そこで首相は原子力災害対策特別措置法をよく調べるように指示。「原子力災害対策本部長(首相)は事業者に必要な指示をすることができる」との文言を見いだすと「これで東電との統合本部がつくれるか」と口にした。

 清水社長の官邸入りは15日午前4時17分。首相は「本当に撤退を考えているのか」とすごむ。清水社長は「いや、そうではありません。すべてを引き揚げるわけでは……」。

 東電側は「必要な人員だけ残し、その他は離れるとの判断なのに政府が取り違えた」(幹部)と説明する。だが、首相官邸と危機対応の現場では「複数のルートの情報があった。東電が事実上の撤退を念頭に置いていたのは間違いない」と見る関係者は少なくない。(後略)


もう何度も書くけれども、私が事故発生直後、非常に強く苛立って、菅首相や枝野官房長官を呼び捨てにして非難したのは、公的部門のトップである総理官邸が、当初事故への対応を営利企業である東電に丸投げしていたからだ。上記で赤字ボールドで書いた部分は、今でも怒りが収まらない話で、そんなことは政府が大地震当日の3月11日に原子力緊急事態宣言を出した時、それと当時に行わなければならなかった。それが私の感覚だ。だが、マスコミの論評や世論は必ずしもそうではなく、菅首相が東電幹部を怒鳴り上げたことが報じられた15日になっても、「菅が東電を萎縮させている」などという批判の方が目立った。

とんでもない。緊急時こそ政府が先頭に立って、東電に対して強制力を持つ命令を下さなければならないのは当たり前だ。それが、「暴力装置」たる政府の仕事だ。

この日経の記事が事実に即したものかどうかはわからないが、仮にこの通り、14日に菅首相が「原子力災害対策特別措置法をよく調べるように指示」しなければ動かなかったとしたら、いや、実際その通りに違いなかっただろうと思うが、恐るべき話だ。「原子力安全神話」という虚構によって、そんな事態を想定する必要はないとされていたから、こんなことになったのだろう。これがどっぷりと原発利権に浸ってきた自民党の総理大臣や鳩山由紀夫だったら、菅首相のような指示を発することさえ思いも及ばず、事態は現在よりさらに悪化していたであろうことは、火を見るより明らかだ。自民党政権だったら撤退を言い出した東電の言い分を認めて、最悪の事態に至っていたかもしれない。

これが「無責任体制」というものだ。総理大臣を菅直人から小鳩派の誰かに代えたところで、あるいは民主党政権から自公政権に戻したところで解決する問題では決してない。

政府は原発依存のエネルギー政策からの脱却を明確に打ち出さなければならないし、これまで原発を推進してきた人たちには、責任をとって一斉に退いてもらうしかない。自らがこれまで原発を推進してきたことに対してただの一言も言葉を発さない人間の言うことなど、絶対に信じてはならない。


[PS]
日経記事につけられたid:Gl17さんの「はてブ」コメント*1に感心したので紹介する。

Gl17 「原発という危険物を責任回避するため、逆に誰も決定権持たないようされた制度」をこじ開けないと事態が動かなかった、という件。/撤退の話、読売初報は「原発事業から撤退すれば」て異様な補足入れてたよね。 2011/04/30

このフレーズだけで、私の長文をはるかに超えている。お見事の一語。