kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』を読む

朝日新聞主筆にして「福島原発事故独立検証委員会」(東電原発事故の「民間事故調」)を設立した「日本再建イニシアティブ」の理事長を務める船橋洋一の『カウントダウン・メルトダウン』を読んだ。一昨年(2012年)の12月に文藝春秋から刊行され、世評は高い。


カウントダウン・メルトダウン 上

カウントダウン・メルトダウン 上


カウントダウン・メルトダウン 下

カウントダウン・メルトダウン 下


当日記は過去に本書の著者である船橋洋一の悪口をずいぶん書いてきたが、著者がジャーナリストとして第一級の力量の持ち主であることは認めざるを得ない。本書からもその力量は十二分にうかがわれる。ただ、大新聞の元主筆だけあって、著者のスタンスは下記のようなものである*1

私は対応を迫られた組織の責任者が何を感じ、どう行動したのかに焦点を当てました。彼らは、辛い決断をする立場にあります。弱者に身を寄せているだけではその決断はできませんし、取材する側もまた、決断の背景に何があったのかを明らかにすることはできません。

私が覗き見るのに情熱を燃やしているのは、権力のカラクリなんです。そしてカラクリは、危機のときにこそ、見えてくるものだと思っています。
(中略)
 権力の構造と構図はなかなか見えないものです。しかし、国民は国家と権力のカラクリを知るべきだと私は思いますし、そのカラクリを暴くことが、記者の仕事だと思っています。国民はカラクリを知ってこそ、戦う武器を手に入れることができるのです。


著者によると、本書を書こうと思ったきっかけは、当時の首相・菅直人がひそかに作成させた「最悪のシナリオ」だった*2。著者がこれを入手したのは2011年12月だったというが、この文書は、現在ではネットでもアクセスできる(下記URL)。

これは、2011年3月25日に、内閣府原子力委員会委員長・近藤駿介が作成したもので、全15頁からなる。本書下巻180頁の記述とも一致する。この件は、著者がパワーポイントの文書を入手したのと同時期の2011年12月に毎日新聞が報じている。記事のリンクは既に切れているが、当日記の下記エントリに当該毎日新聞記事を貼り付けてある。

当該毎日新聞記事は下記。

福島第1原発:「最悪シナリオ」原子力委員長が3月に作成

 東京電力福島第1原発事故から2週間後の3月25日、菅直人前首相の指示で、近藤駿介内閣府原子力委員長が「最悪シナリオ」を作成し、菅氏に提出していたことが複数の関係者への取材で分かった。さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになると試算していた。

 近藤氏が作成したのはA4判約20ページ。第1原発は、全電源喪失で冷却機能が失われ、1、3、4号機で相次いで水素爆発が起き、2号機も炉心溶融放射性物質が放出されていた。当時、冷却作業は外部からの注水に頼り、特に懸念されたのが1535本(原子炉2基分相当)の燃料を保管する4号機の使用済み核燃料プールだった。

 最悪シナリオは、1〜3号機のいずれかでさらに水素爆発が起き原発内の放射線量が上昇。余震も続いて冷却作業が長期間できなくなり、4号機プールの核燃料が全て溶融したと仮定した。原発から半径170キロ圏内で、土壌中の放射性セシウムが1平方メートルあたり148万ベクレル以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算。東京都のほぼ全域や横浜市まで含めた同250キロの範囲が、避難が必要な程度に汚染されると推定した。

 近藤氏は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話した。菅氏は9月、毎日新聞の取材に「放射性物質が放出される事態に手をこまねいていれば、(原発から)100キロ、200キロ、300キロの範囲から全部(住民が)出なければならなくなる」と述べており、近藤氏のシナリオも根拠となったとみられる。

毎日新聞 2011年12月24日 15時00分(最終更新 12月24日 15時54分)


毎日新聞記事には「A4判約20ページ」とあるが、パワーポイントの文書なのでA4判には違いないが15頁である。ま、四捨五入すれば20頁だが。

私が書いた記事は、翌2012年1月21日付の共同通信記事を批判したものであった。こちらはまだリンクが残っている(のちリンク切れになった=追記)、

http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001950.html(註:リンク切れ)

原発事故、最悪シナリオを封印 菅政権「なかったことに」

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。

 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。

共同通信 2012/01/21 20:01)


上記記事に「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)の名前が出てくるが、前述の毎日新聞の報道を踏まえないお粗末な記事だった。さすがにこれでは恥ずかしいと思ったのかどうか、共同通信は翌22日、もう少し詳しい記事を配信している。

http://www.47news.jp/47topics/e/224789.php(註:リンク切れ)

【最悪シナリオを封印】 菅政権「なかったことに」  大量放出1年と想定  民間原発事故調が追及

 公文書として扱われず

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。


【写真】原子力委員会近藤駿介委員長が作成した「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」のコピー


 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一(きたざわ・こういち)前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。危機時の情報管理として問題があり、情報操作の事実がなかったか追及する方針だ。

 文書は菅氏の要請で内閣府原子力委員会近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)委員長が作成した昨年3月25日付の「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。水素爆発で1号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や1〜4号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出され、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるとしている。

 政府高官の一人は「ものすごい内容だったので、文書はなかったことにした」と言明。別の政府関係者は「文書が示された際、文書の存在自体を秘匿する選択肢が論じられた」と語った。

 最悪シナリオの存在は昨年9月に菅氏が認めたほか、12月に一部内容が報じられたのを受け、初めて内閣府の公文書として扱うことにした。情報公開請求にも応じることに決めたという。

 細野氏は今月6日の会見で「(シナリオ通りになっても)十分に避難する時間があるということだったので、公表することで必要のない心配を及ぼす可能性があり、公表を控えた」と説明した。

 政府の事故調査・検証委員会が昨年12月に公表した中間報告は、この文書に一切触れていない。

 【解説】検証阻む行為許されず

 東京電力福島第1原発事故の「最悪シナリオ」が政権中枢のみで閲覧され、最近まで公文書扱いされていなかった。危機の最中に公開できない最高機密でも、公文書として記録しなければ、次代への教訓を残すことはできない。民主的な検証を阻む行為とも言え、許されるものではない。

 民主党は2年半前、政策決定の透明性確保や情報公開の促進を訴えて、国民の信を得たはずだ。日米密約の解明も「開かれた政治」を求める国民の期待に応えるための作業だった。

 しかし、今回明らかになった「最悪シナリオ」をめぐる一連の対応は、そうした国民の期待を裏切る行為だ。

 シナリオ文書を「なかったこと」にしていた事実は、「情報操作」と非難されても仕方なく、虚偽の大量破壊兵器(WMD)情報をかざしながらイラク戦争に突き進んだブッシュ前米政権の大失態をも想起させる。

 民間の立場で調査を進める福島原発事故独立検証委員会が文書の取り扱いをめぐる経緯を調べているのも、そうした民主的な視点に根差しているからだ。ある委員会関係者は「不都合な情報を握りつぶしていたのではないか」と指摘する。

 昨年末に中間報告をまとめた政府の事故調査・検証委員会が「最悪シナリオ」に切り込めていないのも問題だ。政府は民間の事故調査を待つことなく、自らが経緯を明らかにすべきだ。 

共同通信 2012/01/22 21:28)


だがこの記事も、毎日新聞(や船橋洋一ら)にリークしてウチには教えてくれないとは何事か、という共同通信記者の負け惜しみにしか私には見えない。

本書より引用する。

 タイトルは「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。

 全文15枚。本文はない。パワーポイント版だけである。

 細野は、それを受け取ったとき、「もし、これが外に出たら、誰が漏らしたかを徹底して究明します」とプランBチームのメンバーの顔を見据えて、言った。

 彼らはその後、原子力委員会事務局員から、この作業で使った資料やデータは「すべて破棄するよう」に電話で指示された。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋, 2012年)下巻180頁)


それにもかかわらず秘密は漏れた。誰が漏らしたのか、その具体名は本書にもマスコミの記事にも書かれていないが、毎日新聞の記事に「複数の関係者」と書かれているので、事故対応に当たった(当時の)政府関係の複数の人間であろう。そして、共同通信の記者がどういきり立とうが、

最悪シナリオの存在は昨年9月に菅氏が認めたほか、12月に一部内容が報じられたのを受け、初めて内閣府の公文書として扱うことにした。情報公開請求にも応じることに決めた

のが事実である。現在ネットに置かれている資料も、情報公開請求に政府が応じたからこそ見ることができる。菅直人が最悪シナリオの存在を認めた2011年9月は、菅の首相退任直後である。それに先立つ2011年7月に菅政権が「脱原発依存」の方針を打ち出したことが想起される。

仮に東電原発事故が起きた時の総理大臣が安倍晋三であれば、最悪シナリオは間違いなくもみ消されたであろうし、特定秘密保護法の施行後は、仮に秘密の一端に触れた者がそれを暴露しようものなら、同法に抵触した罪に問われて逮捕されることになろう。東電原発事故が2011年ではなく2014年に起きたとしたら、と考えるとぞっとする。もっとも、安倍なら重圧に耐えられずに総理大臣の座を投げ出していたかもしれない。あるいは小沢一郎であったならどうか。あの時小沢は「雲隠れ」したが、総理大臣であれば「雲隠れ」はできない。東電原発事故発生直後、小沢一郎は「菅降ろし」の謀をめぐらせる一方、「原発処理、オレなら手がある」と威張っていたが、その「手」とは「決死隊の投入」であった*3。小沢がこれを口にしたのは2011年4月30日であるが*4、現実には東電福島第一原発のみならず、同第二原発にも「決死隊」が送り込まれていたことが本書に書かれている。そういえば、この本には「小沢一郎」の名前は1箇所も出てこない。

一方、安倍晋三の名前は本書に出てくる。当該部分を引用する。

 「万死に値するミス」


 だいぶ後のことになるが、2011年5月20日、TBS「News i」が「1号機海水注入 官邸指示で中断」と報道した。

 野党・自民党安倍晋三元首相が同日付のメルマガで「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と菅を弾劾したのがこの報道の情報源と言われた。

「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」
「この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまったことをごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを新聞・テレビにばらまいたのです」

 安倍は、同日にはこのTBS「News i」の報道を受ける形で、「私も複数の人から聞いている。首相として万死に値するミス」と記者団に話し、菅攻撃のオクターブを上げた。
「怒鳴りまくり致命的に間違った判断をする総理。嘘の上塗りに汲々とする官邸。その姿は醜く悲しい……すべての責任は総理にある。海水注入を1時間近く止めてしまった責任はだれにあるのか? 菅総理、あなた以外にいないじゃありませんか」

 1号機への「海水注入中断事件」はにわかに政治的争点となった。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋, 2012年)上巻171-172頁)


だが、海水注入は止まっていなかった。菅は実際、海水注入の是非について発言しており、官邸に詰めていた東電関係者(当時東電会長だった勝俣恒久ら東電本店の人間)がそれを利用して「首相の判断がないなかで注入できないという空気」を東電福島第一原発吉田昌郎所長に伝えたのだが、吉田が東電本店に従うふりをして海水注入を続けさせたからである。以下再び本書から引用する。

 自民党は、官邸の過剰介入が命取りになったと見て、ここぞとばかり攻めてきたのである。

 ところが、5月26日に、東京電力は、実際は、吉田所長の判断で海水注入を続けていたと公表した。

 この事実を明らかにしたのは、吉田昌郎所長が真相を明らかにしたためである。

 吉田は「新聞や国会で議論になり、もう1回よく考えてみた。国際原子力機関IAEA)の調査団が来ており、国際的教訓にするため正しい事実に沿うべきだ」と考えたからだと本店に説明した。

 IAEAの調査団は27日に福島第一原発を訪問することになっていた。

 吉田はそれまでに本当のことを伝えるべきだ、と思い、爆弾発言をしたのだった。

 吉田のこの一言が、“菅降ろし”の決め手となるはずの「首相の海水注入停止命令」説をひっくり返した。

 海水注入中断事件を政局にしようとの自民党のたくらみは頓挫した。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋, 2012年)上巻172-173頁)


本書に安倍晋三が出てくるのは上記の部分だけである。そして、本書には書かれていないが、この頃自民党と手を組んで「菅降ろし」を画策していたのが小沢一郎鳩山由紀夫であったことを思い出しておきたい。

とはいえ、本書が菅直人吉田昌郎を手放しで賛美しているかと言えば、そんなことは全くない。功罪両面をきっちり評価している。まず菅直人について。

 菅は、木を見て、森を見ることが苦手だった。
 大局観に欠けていた。
 マイクロマネジメントに傾斜しすぎた。
 官僚を上手に使えなかった。
 菅は、官僚からの報告のあと、首相秘書官の山崎史郎に「おい、これ大丈夫か」と聞くことが多かった。官僚への不信感に根ざしていた。
 その上、言葉が粗暴な上、人を試す言い方をする。堪え性がなく、怒りっぽく、人を怒鳴りつける。
 だから、国家的危機に際して、国民の胸に響く言葉を発することがついぞなかった。

(中略)

 リーダーシップのあり方からすれば、おそらく菅は落第点をつけられてもしょうがないだろう。
 にもかかわらず、菅がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切り替えはできなかっただろう。

(中略)

 危機の本質とそのスケールを誰よりも早く察知し、緊急対応へとシフトさせた。

(中略)

 菅直人の戦いは、日本という国の存在そのものをめぐる戦いだった。
 その危機感は決して的外れではない。
 福島第一原発事故は、戦後最大の日本の危機にほかならなかった。
 そのような危機にあって死活的に重要なリーダーシップの芯は、「生存本能と生命力」だった。
 そして、菅はことこの一点に関してはそれを十分過ぎるほど備えていた。


「菅という不幸」と「菅という僥倖」がストロボを焚いたように激しく照り返してくるのである。
 チャールズ・ディッケンズの『二都物語』の冒頭の「それは最高の時代であり、最悪の時代だった」の伝でいけば、菅直人という危機時のリーダーシップは「最大の不幸であり、一番の僥倖であった」とでも表現するほかないかもしれない。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋, 2012年)下巻438-442頁)


本書を読んで、「菅直人はおよそ『上司に持ちたくない』人間の筆頭格だが、それにもかかわらず東電原発事故への対応だけは一定の評価ができる」という以前からの持論を再確認した。原発事故対応以外の政治についても、自分を総理大臣にしてくれた松下政経塾組の言いなりになったとしか思えない菅の経済政策は評価できないが、東電原発事故対応だけは、総理大臣が鳩山由紀夫小沢一郎ではなく菅直人だったことは不幸中の幸いだったと思う。むろん安倍晋三などは論外である。

また吉田昌郎についても、著者はその功罪両面を冷静に評価している。

ここまでで十分記事が長くなったので詳しくは触れないが、アメリカも国務省と海軍の間に温度差がずいぶんあり、海軍は早く日本から逃げ出そうと躍起になっていた。著者によると、菅直人(や枝野幸男)は、日本が自力で東電原発事故に対処できなければ、アメリカに占領されて主権を失ってしまうぞという危機感を抱いていたとのことだが、米軍はそれどころではないと腰が引けていた。つまり東日本全体が見捨てられた可能性があった。

もちろん原発事故対応の責任は、菅直人吉田昌郎といった、事故当時に目立った個人のみに帰されるものではない。真に責任を追及されるべきは「安全神話」に象徴される「無責任」体制と、その体制を作り上げ、運用してきた人間たちであろう。「無責任」体制の行き着く先はどこか。著者はそれを下記の文章で指摘している。

 東電本店は重大事故に対する緊急プランニングを持たず、政府もまた原子炉制御不能の場合の対応策も住民避難策もなかった。緊急対応部隊も備えていなかった。その結果、東電首脳はお手上げとなり、政府は東電に「撤退はありえない」と言い渡すだけだった。かくして福島第一原発の「決死隊」が「いのちをかける」状況に追い込まれたのである。
 ここでの自らの役割イメージは、究極的には“玉砕”に行き着く黙示録だった。
 危機の間、一貫して福島第一原発に踏みとどまった東芝の技術者の一人は後に、こんなふうに述懐した。
「日本人はたぶん戦争をやったら、誰も帰ってこないとか、その風土がそのまま残っていて、ああやって自分たちを追い込んで、たぶん玉砕するんですよ、忠実に」
 その後で、彼はつけ加えた。
「恐ろしいのは、50か70か100かわからないですけど、玉砕するということを、米国は感じ取っているんですね」
 現に、米政府はこのときの東電の現場の対応態勢、なかでも従業員の数について「冗談のように少ない規模」(国務省担当官)とみなし、この数字では東電の撤退は不可避だと深刻にとらえていた。
「このレベルの原発事故だと米国なら何千人で対処する。戦争計画のようなもので臨まなければならないところだ」と同担当官は後に述べている。
 実のところその夜福島第一原発で作業に従事していた約700人の規模でさえ「最悪のシナリオ」へのスパイラルを食い止めるには決定的に不足していただろう。
 本店は、そのような「最悪のシナリオ」に対する緊急時のプラニングをつくれないまま、「全員撤退」を匂わせ、政府の対策統合本部設置という介入を招き入れて終わったかに見える。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋, 2012年)下巻427-428頁)


内閣転覆を狙った「剛腕」政治家が偉そうに「決死隊の投入」を口にするよりもはるか以前に、東電福島第一原発の「決死隊」は「いのちをかける」状況に追い込まれていた。

そして東電原発事故の翌年、自ら「嫌米」を公言する極右の東京都知事(当時)が「いざとなったらアメリカが助けてくれるだろう」との身勝手な観測に基づいて、「尖閣諸島を国営化させて『支那』を怒らせる」ことを狙って「東京都が尖閣諸島を購入する」と口にした。元ト知事の狙い通り、野田政権は尖閣を国有化し、それ以来日中関係は一触即発の状態になっているが、もとより元ト知事に「日中もし戦わば」の戦略の持ち合わせなど何もない。そんな状況下で、東電原発事故時の海水注入について発したデマを未だに訂正もしない、やはり極右の総理大臣が靖国神社を参拝した。米政府は「日本政府はまた『決死隊』に『玉砕』させるつもりなのか」と呆れているに違いない。もちろん、今度は本当の戦争における「特攻隊」の話である。