kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「数学的ゼロ」と「物理学的ゼロ」;班目春樹は学者失格

班目春樹の妄言はひど過ぎる。


原子力安全委員長はただの馬鹿者であることが判明 - 木走日記 より。

 翌日になると、政府・東電統合対策室が21日の会見で配布した発表文が訂正、「再臨界の可能性はある」から「再臨界の可能性はゼロではない」となります。

 23日付け朝日新聞記事から。

班目氏発言は「再臨界、ゼロではない」 発表文を訂正

2011年5月23日0時22分


 班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長は22日夕、首相官邸を訪れ細野豪志首相補佐官福山哲郎官房副長官らと会談し、3月12日の東京電力福島第一原発への海水注入を検討した際、班目氏が「再臨界の可能性はゼロではない」という趣旨の発言をしたことを確認した。

 政府・東電統合対策室が21日の会見で配布した発表文には、菅直人首相が海水注入の検討を指示した際、「(班目)原子力安全委員長から『再臨界の危険性がある』との意見が出された」と記された。班目氏は21日夜、朝日新聞の取材に「再臨界の危険性があるなどと私は言っていない」と反論。細野氏は22日朝の民放番組で班目氏の発言を確認する考えを示していた。

 班目氏と細野氏らの会談後、22日夜に東京電力本店で発表文の「訂正版」が配られ、「原子力安全委員長から『再臨界の危険性がある』との意見が出された」との記述は「総理から再臨界の可能性について問われた原子力安全委員長が可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正された。

http://www.asahi.com/politics/update/0522/TKY201105220399.html?ref=reca


 そして24日の国会答弁では、「(海水注入の際に菅直人首相らに)『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」と答えます。

 24日付け朝日新聞記事から。

再臨界可能性「ゼロではない」は「事実上ゼロ」 班目氏

2011年5月24日13時28分


 東京電力福島第一原発1号機への海水注入が3月12日に一時中断された問題について、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長は24日午前の衆院復興特別委員会で「(海水注入の際に菅直人首相らに)『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」と述べた。自民党吉野正芳氏の質問に答えた。

 政府・東電統合対策室が21日に配布した発表文は班目氏から首相らに「『再臨界の可能性がある』との意見が出された」と明記した。だが班目氏は発言を否定し、発表文は22日に「(班目氏が)可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正された。

http://www.asahi.com/politics/update/0524/TKY201105240232.html


 「可能性はゼロではない」は事実上「可能性はゼロ」のことだと、白を黒と語る詭弁でしかないでしょう。

 「可能性はゼロではない」は、科学的には可能性について何も語ってないこととほぼ同じなんです、0%だけが否定されているだけで、0.・・・・・・・・(・・・で表せる部分の何桁のどんな数字を入れてもよい)で表現できる全ての確率が含まれているわけです。

 あの重大な局面で科学の専門知識を有するアドバイザーが「可能性はゼロじゃない」などと表現するのは、科学的には何もアドバイスしていないのと同じです。


ブログ主の木走正水さんが書かれる通りだ。いや、それ以上にひどい。

上記の話は、「数学的にはゼロではないが、物理学的にはゼロだ」という表現をされることがある。大学の教養課程で統計力学を最初に習った頃、教官がそういう言い方をしていた。

班目春樹の経歴を調べると、東大の機械工学科で修士課程を修了して、東芝に入社した後に博士号をとった論文博士らしい。ということは工学者だから、班目春樹の言う「ゼロではない」を「数学的にゼロではない」と解することはできず、「物理学的にゼロではない」、つまり可能性は無視できないという意味にしかとれない。東工大の理学部応用物理学科卒の菅直人がそういう意味にとるのは当然だし、そもそも班目春樹は「学者であるオレ様が適当なことを言ったって国民は馬鹿だからわからない」と国民をなめているのだ。

 受け手側の科学的知識のスキルに合わせて専門的知見を相手が理解可能なように配慮して情報発信しなければならないのは当然なのに、「可能性はゼロじゃない」=「事実上可能性はゼロ」などという等式(?)は、学者同士で通用していたオレサマ基準かもしれませんが、日本語としては破綻しているわけで、まして一国の運命を左右するかも知れない重大な局面で使用する言葉じゃないでしょう、一般人が誤解する可能性をなぜ考えなかったのか。


「日本語として破綻している」のはもちろん、学者が決して用いてはならない用語法だ。班目春樹は「学者失格」である。

 極めて残念なことですが、この国の原子力安全委員長は専門アドバイザーとしてはまったくの不適格者であることが判明されました。

 というか国会においてさえ意味不明の日本語を駆使し自己弁護を繰り返す、これはただの馬鹿者です。


その通りだが、この班目春樹のような馬鹿者の首さえ切れないあたりに、菅政権の限界がある。もちろん、自公や小沢一郎だったらさらにひどいだろうけれど。