kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今回の大地震が他の大地震を誘発する可能性があるのではないか?

数日前以来、震災と原発について文章を書く気力が少し萎えたのだが、ネットで話題になっていた竹中平蔵の確率の計算の話に接したことがきっかけだ。
確率の話は、事実が直観に反することが多いので、竹中平蔵を批判する方が間違えてしまったりする。そうこうしているうちに、竹中平蔵批判批判でさらに話が盛り上がり、結局本筋である震災と原発事故の話がどっかに飛んでいってしまう。

何より疑問に思ったことは、東北沖で大地震が起きたことによって、東海地震にせよ東南海地震や南海地震にせよ直下型地震にせよ、発生する確率は東北沖の大地震が起きる前と変化しており、より起こりやすく、つまり危険性が増したと主張する人が少ないことだ。

東日本大震災の直後に静岡県で直下型の地震があった時、ニュースで「この地震東北地方太平洋沖地震とは関係ありません」というアナウンスがあった。しかし、広義の意味で「関係ない」といえるのか、私ははなはだ疑問に思っている。ひずみエネルギーのたまっているところに、たとえプレートはつながっていないにしても刺激が与えられた場合、地震が起こりやすくなるとなぜいえないのか、私は直観的に疑問を感じる。

阪神大震災が起きてから数年間、西日本で比較的大きな直下型地震が相次いだことがあった。2000年10月には鳥取県西部地震が起き、2001年3月には芸予地震が起きたのだが、前者は阪神大震災並みの規模の直下型地震だったにもかかわらず、過疎地だったこともあって死者は出なかった。私は当時岡山県民だったが、地震発生時、たまたま中部地方に旅行しており、旅先で岡山も震度5を記録したと聞いて驚いた。翌年の芸予地震は、岡山では震度4だったが、突き上げるような揺れを感じた。四国電力伊方原発のある愛媛県伊方町や、中国電力原発建設を強行しようとしている山口県上関町では震度5弱を記録した。

この2つの地震は、阪神大震災から5年以上経っているが、鳥取県西部地震芸予地震の間隔は5か月強しかない。前者はともかく、後者は無関係とは言い切れないのではないかと私は思っている。ましてや、東北地方太平洋沖地震のような大きな地震が起きた場合、他の大きな地震を誘発することがないとどこまで言えるのか。

そう考えると、「小沢一郎原発のスイッチを入れよ」と主張した森永卓郎や同様の主張をした産経新聞、それに地震の起きる確率なんてこんなに低いんだぞと言った竹中平蔵らの主張そのものに正面から批判を加えるべきではないか。それなのに、間違いやすい確率の話で突っ込みを入れることで、話を脇道にそらしてしまって良いのか。そう思ったのである。

そもそも森永卓郎にせよ竹中平蔵にせよ新自由主義的な人物だと私は考えているが*1新自由主義者とは刹那主義者でもあるのだなあなどと考えているうちに、そんな新自由主義に対する対抗言論がいっこうに盛り上がらないことに脱力感を抱いてしまったのだ。

先週の菅首相による浜岡原発停止で、原発に関する議論が再び盛り上がったが、その話が一段落したエアポケットを狙ったかのように、東電救済色が強いとしか私には思えない政府の賠償支援政策案が決定され、毎日、朝日、中日新聞などはこれを批判したが、与党・民主党内からは逆に電力総連・旧民社系議員から「東電にばかり責任を被せ過ぎ」との批判が出されるありさまで、今朝のNHKニュースでも、電力総連系議員からの批判のみ紹介されていた。

「きまぐれな日々」のコメント欄では、小沢信者から「昨年の民主党代表選で民社協会の会長は菅を支援した」というコメントがきていたが、そんなのは当たり前であって、民社協会が支援したから菅は当選したのであり、民社協会はその前の鳩山政権に引き続いて、菅政権でも与党内与党の座を保ち続けた。自民党政権でも民主党政権でも閣僚を務める与謝野馨といいこの民社協会といい、特に悪質な連中ほど権力にしがみつく力も強い。民社協会の影響力が強かったからこそ、菅政権は震災前に「原発トップセールス」なる、小泉政権にルーツを持つ過激な原発推進政策をとったのだ。だが、菅直人枝野幸男民社協会の人間ではなく、電力総連とのしがらみもないから、原発事故後には東電を怒鳴り上げて、タイミングが遅かったとはいえ東電を命令系統下に置く対応をとった。これを私は「不幸中の幸い」と表現したのである。実際、震災後に原発推進論者の仙谷由人*2は、「菅抜きの自民党との大連立」に動いたりもした。旧民社から損害賠償政策に対する「原発推進勢力側からの」激しい批判があったことはマスコミが伝える通りだ。

もし小沢一郎が本当に「脱原発」派であるのなら、こうした動きに対抗して、政府の賠償支援政策ともども、電力総連(関西電力労組)出身の藤原正司らを「脱原発」側から強く批判してしかるべきではないのか。小沢一郎がそういう行動をとれば、世の「小沢信者」も大いに気勢を上げたに違いない。だが、そんなことをすると「数は力」の「数」から連合系議員を失ってしまうから、小沢一郎にはそんな行動はとれない。

そもそも小沢信者が、実際には何の動きもしない小沢一郎なんかに「脱原発」の夢なんかを託しているから、原発推進勢力がやりたい放題に振る舞えるのだ。小沢一郎とつながっている副島隆彦に至っては、いまや東電原発事故を「レベル7」に認定したのもIAEAの陰謀であって、原発は決してアブナくないなどと主張しているのだが、小沢信者の誰も副島を批判しない。植草一秀など、今でも副島との共著にリンクを張っている。

みんな、小沢一郎や周りの小沢信者仲間の顔色をうかがっているだけなのだ。そんな連中には何もできない。

*1:森永卓郎は自分では社民主義者のつもりらしいが、私にはとうていそうは見えない。

*2:仙谷自身は旧民社ではなく旧社会党だが。