kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「ノビー」(池田信夫)の新自由主義は己の優越感を満足させるための道具に過ぎなかった

「きまぐれな日々」のコメント欄に、greenstoneさんの秀逸なノビー(池田信夫)論が寄せられた。最近閑古鳥が鳴いている同ブログのコメント欄だけにとどめておくのはもったいないので以下に紹介する。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1220.html#comment12862

イケダという男を見ると新自由主義者についての洞察を深められると思います。
イケダの考えは、原発の安全性と便益はトレードオフであり、便益がその危険性のもたらす損失を上回るので、原発推進に立つというものでした。
そうであれば、原発の経済性が疑問視されている現在では、新自由主義の考え方からも、理論的にはどちらの立場にも立ちうるはずです。
ところが、イケダは便益と安全性を経済性の観点から厳密に比較検討するという作業をせずに、自動車というリスクの性質が異なるものを持ち出して、極めて大雑把に原発を肯定します。
イケダの立場であれば、その比較こそが主張の核となるはずなのに、そこを簡略化して反原発を嘲るわけです(核廃棄物の処理はプレートに埋める、等の荒唐無稽な提案をしています)。
つまり、原発推進という結論ありきの議論なのです。


原発は、便益の享受者とリスクの負担者が分かれます。
これが正に原発の本質的な問題なのですが、イケダは、便益の享受者の立場に立って、その人たちの利益を守るために、安物のプロパガンダを繰り返しているだけなのです。
便益と安全性を厳密に比較するという本来の立場を捨てているわけです。
こうなってくると、この男の新自由主義の考えは、一定の政治的立場を正当化する手段に過ぎないのではないかと思われてきます。
これが新自由主義者一般にいえることかどうかは検討しなければなりませんが、我々に重要な視点を与えてくれます。
結局、イケダは、市民運動が嫌いな「旧保守」で、弱者を叩き大衆を侮蔑して、奇妙な優越意識を楽しんでいる、気味の悪い男に過ぎないのではないか。
(文中で池田氏を乱暴に取り扱っていますが、これは彼が本年6月12日のブログで反原発デモ参加者を侮辱したことに対応したものです)


2011.10.05 06:34 greenstone


上記赤字ボールドは私による。この部分こそ、山本七平を持ち出したノビーの記事を読んで私が思ったことだった。

最近、私はブログの記事を書くとき手抜きをするようになって、わざと誤解を招くタイトルをつけてひっかかる読者を笑うという悪趣味なことをやっている。たとえば、「旧来右翼」に過ぎない正体を露呈したノビー(池田信夫) - kojitakenの日記 がそうで、記事についた「はてなブックマーク*1を見ると案の定、

id:kojitakenをはじめとする左翼が進歩できないのは何でもかんでも「あいつは右翼!」と叫ぶだけで満足できるからなのだろうな。だから記事の内容も同じことの繰り返しで劣化する一方。

などという頭の悪いブコメがついていたので、記事を書いた甲斐があったと思ってしまった。やっぱりもののみごとに引っかかった人間がいた。

私が「旧来右翼」と書いたのは、いうまでもなくノビーが「新自由主義」の論客として売ってきたことを踏まえている。要するに、「ノビーってネオリベを気取ってたけど、なーんだ、旧保守じゃん」と言いたかったわけだ。「右」と「左」を対比したのではなく、「新保守」と「旧保守」を対比したのである。


greenstoneさんのコメントはさすがで、私の意図を正しく汲み取っているのみならず、私の筆力では到底及ばない簡潔にして論旨明快な文章だなあと感心する次第。