kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

橋下は既に「再稼働・原発維持容認」に路線転換済み

橋下徹が「脱原発」路線を転換したことは、もう既成事実。そう考えるべきだ。


http://openblog.meblog.biz/article/8783020.html より。

 橋下・大阪市長は、「原発再稼働に反対」を言っていたのに、「計画停電は大変だ」と気づくと、「原発再稼働を認めてもいい」と言い出した。君子豹変す。

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 橋下・大阪市長が、一転して、「原発再稼働を認めてもいい」と言い出した。「府民が認めるなら」という条件で。

 大阪市橋下徹市長は26日、関西電力大飯原発3、4号機を再稼働しない場合の夏の電力需給について、「(需要の)ピーク時にみんなで我慢できるかどうか。府県民に厳しいライフスタイルの変更をお願いする。それが無理なら原発を再稼働するしかない」と述べ、「原発か節電か」の二者択一を住民に訴える考えを示した。
 橋下市長はこれまで安全性を確認する手続きが不十分なことを理由に原発再稼働に反対してきたが、「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」と強調した。
( → 毎日新聞 2012年04月26日

 記事では、転向の理由として、「安全はそこそこでも快適な生活を望むのか、不便な生活を受け入れるか、二つに一つだ」というふうに示されているが、そんなことは今さら理屈にならない。

 そもそも、彼のもともとの主張は「節電か/再稼働か」ではなくて「計画停電を受け入れる」だったはずだ。

 ちなみに、二日前の 24日には、「朝日新聞・橋下番のツイッターが正確です」と述べながら、朝日のツイッターリツイートしていた。その内容を掲載すると、次の通り。

 「仮に今年の夏、関電管内で原発の運転を再開しないで大幅に電力不足になるとしたら」という前提を示したうえで、「節電や一時的な計画停電が必要になってもよいか」と聞くと、近畿で「なってもよい」が77%と多数を占めました。
 電力不足になるとの前提で節電や一時的な計画停電を容認する回答が近畿で77%となった点。橋下氏「やっぱり国民の皆さん本当に賢明です。日本人は本当にすばらしいなとつくづく思いました。
 橋下氏「計画停電とか簡単に言うことは慎まないといけないなと思った。僕が言いたかったのは最後に腹をくくればという意味。すぐ計画停電をやればいいとは思っていない。関西の府県民が77%、最後はやってもかまわないと言ってくださるのであれば、政治家としてそれに乗っかったらいい」
 橋下氏「政治家が説得し、信頼を得て、うそはつかない、情報は全部出す、今後の方針はしっかり出した上で、府県民の皆さんに付いてきてくださいと言うべきだ。77%なんて数字が出ると思ってもみませんでした。
 橋下氏「そう(計画停電に)ならないように全力は尽くすが、ここまで(近畿の府県民が)腹をくくってくれたなら、一致団結して新しい電力供給体制に向けて第一歩を踏み出す環境にある。だから、チャレンジしていくのが政治家の役割だと思う」。
( → 橋下徹の twilog のリツイート(朝日のツイッター)

 いかにも勇ましい口調だが、その要旨は、こうだ。
 「自分は計画停電にあまり本気では無かったが、賢明な府民計画停電になってもいいというのならば、そこに向けて第一歩を踏み出そう。計画停電を受け入れるという決断をするのが政治家の役割だ。府民には(私に)付いてきてくださいと言おう」
 これが 24日の発言要旨である。


 ところが今回はそれとは正反対のことを言い出した。
 「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」
 つまり、次の三点だ。

  • 再稼働をするべきでないという理想論は駄目だ。
  • 計画停電では生活に被害があるということに気づいてもらいたい。
  • 判断は府県民にしてもらう。

 呆れる。どのツラ下げて、そんなことを言うのか。おまえが言うな! と言いたい。

 そもそも、橋下はそれとは逆のことを言っていたはずだ。次のように。

  • 再稼働をするべきでないという理想論を言っていたのは、橋下だ。
  • 計画停電では生活に被害があるということに気づかなかったのは、橋下だ。
  • 判断は(府県民でなく)政治家がするべきだ、と言ったのは、橋下だ。

 なのに、それとは正反対のことを言い出して、シレッとしているとは。
 人の意見を自分の意見のごとく言う前に、
 「私は間違っていたので、これまでの説を撤回します」
 と述べて、謝罪するのが先決だろう。まったく、厚かましい。(弁護士だからかな。)


呆れるばかりの橋下の無節操というか「転向」だが、橋下にとってみれば、「小沢一郎裁判」の無罪判決があった4月26日に最初から狙いを定めた予定の行動だったのだろう。過去にも、ロッキード事件田中角栄裁判一審判決の日を狙ってアクションを起こした人たちがいた。

この期に及んでまだ橋下の意図を「忖度」して善意に解釈している人たちがいるが、世にあまたいる橋下礼賛者ともども、「俺の言うことは何でも通る」という橋下の自信をさらに強めさせるだけだろう。

橋下は既に「原発再稼働」、さらには将来的にも「原発維持容認」に路線を転換したとはっきり認識すべきだ。多くの人の想像通り、橋下にとって「脱原発」は「人気取り」のための道具に過ぎなかった。