kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎の「集団的自衛権」論

「集団的自衛権」/「集団安全保障」(小沢一郎) - Living, Loving, Thinking, Again より。

小沢曰く、

直接的に武力攻撃を受けたときの反撃手段のため、最小限度の軍事力として自衛隊を持つ。加えて国連の一員として平和維持活動に協力して「国連常備軍」の創設を計画したり、軍縮核兵器廃絶などの具体的な目標を法律(安全保障基本法)に織り込むことも可能である。

 新世紀を迎えようとする日本が平和を維持し、生き残っていくためには、国際社会との協調を図らないければならない。そのためには、国連を中心としたあらゆる活動に積極的に参加していく以外に道はない。その意味で私は、日本が率先して国連常備軍の構想を提案すべきだと思う。兵器・技術の発達により、もはや昔の主権国家論は通用しなくなった。個別的自衛権集団的自衛権だけで、自国の平和を守ることは不可能である。集団安全保障の概念、すなわち地球規模の警察力によって秩序を維持するしかない。自衛隊は歴史的使命を終えて、これから縮小することになる。そして日本は国連常備軍に人的支援と経済力を供出すべきである。

ここで小沢は「集団的自衛権」については名前だけ出しただけで、具体的には何も言っていない。今引用した箇所は、(「個別的自衛権」の体現たる)「衛隊は歴史的使命を終えて」「最小限度の軍事力として」まで「縮小することになる」。それに代わって、(「集団安全保障」の体現たる)「国連常備軍に人的支援と経済力を供出」することになると主張していると、取り敢えずは読める。その後小沢が「集団的自衛権」について具体的にどう言っているのかはわからない。 


とのことなので、下記書籍を参照してみた。


90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論

90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論


これは、月刊誌『論座』の2005年10月号から12月号にかけて連載された小沢一郎インタビューをまとめたもの。「郵政総選挙」で自民党が圧勝した前後、前年(2004年)に年金未納を理由にして民主党代表就任を固辞した後、民主党内で無役だった頃の小沢一郎の思想が開陳されている。インタビュアーは五百旗頭真伊藤元重薬師寺克行の3氏。

−− 集団的自衛権の問題は、どうお考えですか。
小沢 集団的自衛権も個別的自衛権も、観念上、区別しているだけの話で、自衛権であることに変わりはないです。国連憲章でも集団的自衛権と個別的自衛権自然権として認めている。ただ、9条の趣旨は、日本の安全にかかわるときにのみ自衛権の発動が許されるとしているというのが僕の解釈です。集団だろうが個別だろうが、それは同じことです。だからガイドライン関連法の審議のときも、僕は外務省が反対するのを押し切って、「周辺事態だからいいというわけじゃない。放置しておけば日本の安全が脅かされる場合にのみ自衛権を行使するとすべきだ」と主張し、条文を変えさせたんです。
−− 現実を見ると、「日本の安全が脅かされる」状況というのは、次第に広がってきていますね。テロを放置しておいたら東京だってやられるかもしれないとか、ミサイルがどこかから飛んでくるかもしれないとか。
小沢 そうではありません。あくまでも、日本国の周辺、安保条約で言えば、極東における紛争で、放っておけば直接日本の安全が脅かされるような状況が周辺事態だ。ガイドライン関連法の場合は、米国との共同作戦の話だからね。一般論として、集団的自衛権は何かとてもおどろおどろしいもののようにみられているけれど、僕はそうじゃないと思っている。むしろ個別的自衛権を拡大解釈して行使する方がはるかに怖い。歴史上、戦争はすべて自衛のため、すなわち個別的自衛権の行使を理由にしていた。集団的自衛権は複数の国が関わっているから、みんなの合意を得るために抑制的な力が働くことになる。だから、個別的自衛権に比べると、集団的自衛権の方が暴走する危険性ははるかに低い。日本の安全保障を論じるとき、その点をもっと正しく認識すべきだと思います。

(『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞社, 2006年)194-196頁)


なお、昨年の衆院選の前に行われた毎日新聞えらぼーと」に、小沢一郎は下記のように回答している。2009年衆院選前も同様の回答だったと記憶する。
2012衆院選 岩手4区 小沢 一郎 - 毎日jp(毎日新聞)

問1:憲法改正)あなたは憲法改正に賛成ですか、反対ですか。
回答:1. 賛成
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問2:集団的自衛権集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきだと思いますか。
回答:1. 見直すべきだ