kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

水俣病と石原慎太郎の悪行

http://mainichi.jp/select/news/20130417k0000m040091000c.html

水俣病:最高裁が初認定…熊本訴訟、基準柔軟運用促す


 水俣病と認められなかった熊本県水俣市の女性の遺族が県に認定を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は16日、水俣病と認めた2審・福岡高裁判決を支持し、県側の上告を棄却した。遺族の勝訴が確定した。最高裁による水俣病患者認定は初めて。司法が行政判断を覆して未認定患者救済の道を広げたため、新たに裁判で認定を求める患者が相次ぐ可能性がある。国が最終解決と位置づける水俣病被害者救済特措法による救済の在り方にも影響が出そうだ。

 国が1977(昭和52)年に定めた認定基準(52年判断条件)は、手足のしびれや視野狭さくなど複数症状の組み合わせを認定要件とし、感覚障害だけの申請を棄却してきた。これに対し小法廷は「感覚障害だけの水俣病が存在しない科学的な実証はない」と指摘。その上で「症状の組み合わせがない場合でも、個別具体的な判断で水俣病と認定できる余地がある」と述べ、行政側に硬直的な運用を改め、より柔軟に認定する姿勢を求めた。

 裁判での水俣病認定の在り方についても、52年判断条件にとらわれず「個別の事情と証拠を総合的に検討し、具体的な症状と原因物質の因果関係を審理して判断すべきだ」と独自に判断する枠組みを初めて示した。裁判官5人全員一致の意見。

 ◇大阪訴訟、差し戻し

 また、小法廷は16日、水俣市出身で大阪府豊中市の女性(故人)が水俣病認定を求めた訴訟についても判決を言い渡し、原告敗訴とした2審・大阪高裁判決を破棄した。審理を同高裁に差し戻し、この日示した枠組みに基づいて、水俣病かどうか更に審理を尽くすよう求めた。

 訴えていたのは、77年に77歳で死去した水俣市の溝口チエさんの次男と、3月に87歳で死去した豊中市の女性(長女が承継)。2人とも症状が感覚障害のみで基準に満たないなどの理由で申請を棄却されていた。チエさんは今後、県から正式に認定される。

 2件の2審判決は異なる判断の枠組みで認定の可否を判断していた。福岡高裁は今回の最高裁判決と同様の考え方に基づき、メチル水銀の摂取歴や症状などを総合検討し、原告の逆転勝訴とした。一方、大阪高裁は行政の裁量を幅広く認め、「県の判断に不合理な点はない」として原告逆転敗訴を言い渡していた。【石川淳一、和田武士】

 環境省「内容を精査」

 環境省は同日、佐藤敏信環境保健部長名で「両判決について、関係者と協力しつつ、その内容を精査する」とのコメントを発表した。

 水俣病

 チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水にメチル水銀が含まれ、汚染した魚介類を食べた人に起きた神経性の中毒症。1956年に公式確認された。65年には新潟県阿賀野川流域で、昭和電工の排水が原因の新潟水俣病も確認された。公害健康被害補償法に基づく認定患者は2975人。未認定患者の救済をめぐる95年の政治決着は約1万1000人が対象。09年施行の水俣病被害者救済特別措置法による救済策には、6万5151人が申請した。日本の「公害の原点」とされる。

毎日新聞 2013年04月16日 21時43分(最終更新 04月16日 22時15分)


「国が1977(昭和52)年に定めた認定基準(52年判断条件)は、手足のしびれや視野狭さくなど複数症状の組み合わせを認定要件とし、感覚障害だけの申請を棄却してきた」とあるが、これは当時経営が傾いたチッソに一方的に肩入れして決めたものだったといえる。福田赳夫内閣の時代であり、当時の環境庁長官はあの石原慎太郎である。

ここで当時以来の石原の悪行を思い出しておきたい。


人の気持ちがわからない石原慎太郎氏に今の日本は任せられない - Everyone says I love you !(2012年10月28日)より

 東京都知事を辞任した石原慎太郎氏は、長く自民党の国会議員でした。

 彼が1977年に環境庁長官であった当時、水俣病患者の直訴文に

「IQの低い人が書いたような字だ」

と言い放ちました。さらに、患者さんの中に「偽患者もいる」と発言し、これらの発言を厳しく追及されました。石原氏はついに、1977年4月22日、患者団体と水俣病患者に直接謝罪しました。(中略)

 それで弱い立場の人に対する態度を反省するということはこの人の場合なく、1999年には東京都都知事として重度障害者の施設を訪問した際に

「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」

と記者団に語っています。彼は文学者としての発言と言い訳していますが、これは都知事として障害者施設を視察したときの発言です。親御さんたちがこの為政者の言葉を聞いてどう感じるか、考えないのでしょうか。

 彼の衝撃を受ける暴言は枚挙にいとまがないのですが、2001年11月6日号にはこんな記事が載りました。

「これは僕がいってるんじゃなくて、・・・・がいってるんだけど、『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です』って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)」(後略)


国が極端にチッソに肩入れした1977年の基準にも、石原が関与した疑いが強い。昔からずっと、石原の害毒は日本を激しくむしばんできたのである。現につい昨年も尖閣諸島買収に動いて野田政権による尖閣諸島国有化を誘発した。その結果大きく業績を落とした製造業の企業が続出したが、どういうわけか野ダメ政権ばかりが責められた。しかしこの件も正しく「石原不況」と表記すべきであった。

石原の害毒は、イギリスのマーガレット・サッチャーのそれにも比肩するというべきだろう。